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大河を見て、江戸にお供する武士の費用
大河を見ているのですが、武士が地方の藩から江戸へお供をする場合、何か役料というのは出るのでしょうか? 江戸の薩摩屋敷で食事は出ると思うのですが、その他何が自弁で何が藩の支給なのでしょうか?
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- ichikawa2017
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>武士が地方の藩から江戸へお供をする場合、何か役料というのは出るのでしょうか? 参勤交代の場合は役料という名目ではなく、御共人下金、あるいは御共人貸渡金というものが支給されました。 貸渡金を律儀に返したという記録がありません。 まぁ~名目はどうであれ現代のサラリーマンの出張旅費のような性格のお金が何がしか支払われていました。 金額は各藩の財政状態によりけりです。 >江戸の薩摩屋敷で食事は出ると思うのですが、その他何が自弁で何が藩の支給なのでしょうか? 宿泊費や宿での朝昼晩三食のの食事代を藩が取り纏めて支払っていました。 加賀藩の場合は昼食は宿が用意したものではなく自炊していました。 恐らく米などの食材は藩が取り纏めて購入していたと思われます。 すぐに擦り切れる草鞋も藩が支給していたようです。 何を買うにしましても大量に一括購入した方が安く購入できますので金銭による支給ではなく現物支給だったとお考えになられた方がよろしいでしょう。 当時は紙幣ではなく硬貨でしたので大量の硬貨を持ち歩くのに数人の人足が雇われていました。 この人足があまりの重さにへたばって行列から遅れてしまったという記録もあります。 参勤交代のお供は道中は藩が面倒をみてくれましたが江戸へ着いてからが大変でした。 江戸屋敷には江戸詰めの同僚がいますので仕事らしい仕事がありませんでした。 国元に家族を残してきていますので普段の俸給は家族の生活費に使われ上記した下金や貸渡金が頼りでした。 殿様が国元へ戻るまでの間このお金で暮らす必要がありました。 寝泊りの場所は江戸藩邸内のお長屋にありましたが数人の相部屋でした。 金は無いけど暇はあるということを絵にかいたような生活をしていました。 江戸見物に出かけても昼飯に金がかかります。 相部屋の仲間と僅かな酒を買ってきて飲む程度が楽しみでした。 江戸で最も安い食材は白米でした。 白米だけやたらに食べて江戸わずらいになる連中が沢山いました。 江戸を離れれば玄米や雑穀が主体でしたので国元へ帰るお殿様について二三日道中すればケロリと治りました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一応手当てはあたわけですか、ただし加賀藩となるとおそらくもっとも恵まれたケースですね。 ざっくりいうと食住は基本藩もちであるが、小遣いがないといったあたりでしょうか。