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日本語訳をお願いします!
日本語訳をお願いします! 下記サイトの内容を教えていただけないでしょうか、よろしくお願いします! https://www.junglesinparis.com/stories/the-old-school-charms-of-musette
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補筆と訂正。 >bal musette 現物を見たことがなくて訳すのは,(生物や機器類でも)かなりむずかしいです。musette という楽器は,文章を読むと「ふいご式でリードを鳴らす吹奏楽器」で,バグパイプに似たもののようです。後にはアコーディオンが代替した。balを調べると,バラードと説明されていました。 したがって,bal musette をしいて訳せば,「哀愁ただようバラード音楽をかなでる,ふいご楽器」(笑)。 >他の民間楽器よりもだいぶ大型のアコーディオン(誤) 他の民俗楽器よりもだいぶ大音量がだせるアコーディオン(正) >cliché ふつうは「常套句」という意味です。文脈から「観光名所」と訳しておきました。
- SPS700
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初めて、アコーディオンを見た時私は一目で好きになりました。私がまだ小さい時、母と一緒にピアノを買いに行き、持って帰ったのはアコーディオンでした。 なぜだか分かりませんが、綺麗で、ピカピカ光っていて、魅力的だったからでしょう。 古典的なティティ・パリジアン(パリっ子)は、俗語で喋り自由な子です。誰にも囚われません。私は、今も残っている、パリっ子の一人だと思います。 プラス・ドゥ・テルトゥルの絵描きの一人は、私を「小さなスズメ」(ピアフ)とさえ呼んでくれます。 街の俗語では、アコーデオンは「貧しい人のピアノ」とか「肩に下げるピアノ」です。昔は、お金持ちはピアノを弾き、貧乏人はアコディオンを弾きました。 今ではもう(アコーデオンは)パリの街の風景の中にはありません。我々はこの楽器を街中で奏でる伝統を失ってしまったのです。 祖父母のおかげで私は今ではもうほどんど知られていないこのミュゼットの伝統の中で育ちました。 今、La Java Bleue、や Le Dénicheur や Le Petit Vin Blanc を弾く人はいません。その代わりにみんなは La Vie en Rose や Amelie からの歌を所望します。 時に、私はありきたりのパリ土産に写真を撮ったり、ビデオを撮ったりする観光客の背景に過ぎないではないかとさえ思います。 でも1日過ぎて、よく考えてみると私は確かに私の役割はそうかもしれない、と思います。 これで私は助かり、パリの街の伝統は生きてゆくのですから
ぼくは音楽に暗いので(AKBほかのアイドルにのみ詳しい),ところどころ不詳です。リンク先のページの全文を訳しました。 The typical “classic" Parisian scene, real or imaged, tends to be accompanied by a particular type of music. It's played on the accordion, and it's called bal musette. 典型的で古風なパリの光景は,それが現実にしろ空想のものにしろ,ある種の音楽を伴う。それはアコーディオンで演奏され,それはbal musetteと呼ばれる。 Rarely is this street genre heard anymore. Pop surpassed musette in France—permanently, it seems—in the early sixties. But in its day, this folk-inspired music style was pop. It originated in the late 19th century; entered the mainstream in the twenties and thirties, via the streets and lively Bastille dance halls; and reached its peak in the postwar years, when the accordion routinely accompanied huge chanson stars like Edith Piaf. (しかし実際には)この種の音楽はもはや聞こえない。ポピュラー音楽が1960年代はじめにフランスの伝統音楽を駆逐し,たぶん永久に圧倒するだろう。しかし,この民謡に影響された音楽形式は,その全盛期には当時のポピュラー音楽だったのだ。これは19世紀後半に始まり,街頭や活気あふれるバスティーユのダンスホールで広まりつつ,1920年代~1930年代の音楽の主流に加わり,第二次世界大戦後に絶頂をむかえた。そのころ,Edith Piafのようなシャンソンの大スタアの歌には,いつもアコーディオンが伴奏した。 Like tango in Buenos Aires and rebetiko in Athens, musette developed during urbanization movements at the turn of the 20th century, a felicitous collision of modernity and rural tradition. Homesick migrants from the Auvergne, a mountainous region in central France, brought the roots of this style with them when they came to Paris. Originally, they played their songs on a small bagpipe called a cabrette, or musette. Before long, though, the accordion—portable, versatile, and considerably louder than other folk instruments—became the norm. 20世紀初頭の都市化の激動のなかで,近代的なものと地方の伝統に衝突が起こったとき,ブエノスアイレスのタンゴ音楽やアテネのレベティコ音楽のように,musette音楽もまた発展した。フランス中央部の山岳部オーヴェルニュから移住してきた故郷を愛する人々は,musette音楽の原型をパリにもたらした。初期には,彼らはcabretteという小さなバグパイプ,すなわちmusetteで曲を演奏した。短期間のうちに,可搬性や汎用性があり,他の民間楽器よりもだいぶ大型のアコーディオンが,通常使われることになった。 The accordion occupies a much quieter position on the Parisian landscape than it once did. Its sounds seem less danceable. And in this age of tourism, most of its remaining practitioners don't venture far beyond easy cliché. A few, however, do still draw from a repertoire that includes musette—a reminder, of sorts, of a previous era of urban mixing. アコーデオンは,かつてのパリの風景に点在したよりも,はるかに隠れた存在である。その音は,ダンス向きではないようにみえる。かつこの観光化の時代にあっては,いまだ現役の演奏者はたんなる「観光名所」にすぎない。しかし,数人の演奏家は,かつて都市と地方が衝突した時代に生まれたmusette音楽を,いまなおつむぎだしている。