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日光東照宮

家康はなぜ、三河から遠く離れた日光に自分のお墓をつくったんでしょうか?

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回答No.3

幕府の政治顧問だった金地院崇伝が残した『本光国師日記』によるとお墓を設けさせたのではなく守護神として祀れと言い残したとされています。 遺体はそれまで大御所として政務を執っていた駿府の久能山大樹寺に埋葬されました。 日光は家康以前の頼朝の時代からから関東の宗教的な権威でした。 この地に祀られることで八州(やしま)=日本の守護神になることを願っていたと言われています。

advent
質問者

お礼

死後も日本を守りたいという想いがあったのでしょうかね

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回答No.4

家康が死んだ頃は まだ豊臣の残党が残っていた いつまた戦乱が起こらないとも限らなかった そのため家康は 死後に自分の墓が荒らされない事、また 万一変事が起こった場合は 日光に立て篭もって戦う事 を想定していました 行ったことあればわかると思いますが 日光東照宮は山奥にあって 墓なのにまるで要塞の様です 家康は自分の死後に何かあるかもしれない事を見越して 日光の山奥に墓を作らせたのです

advent
質問者

お礼

要塞のようになっているとは知りませんでした

  • oska2
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回答No.2

>家康はなぜ、三河から遠く離れた日光に自分のお墓をつくったんでしょうか? 家康は、臨終に臨んで「亡骸は、(駿河国)久能山に」と遺言しています。 現在の、駿河・久能山東照宮です。 日光にあるのは、「秀忠が、将軍の威光を示す為」に「改葬」したのですね。 ※現在の日光東照宮は、三代家光が大規模に改修したもの。 日光の地は、神道・仏教でも「聖地」だと天海が強硬に主張したとの事です。 余談ですが・・・。 天海は、明智光秀本人との説も多いですよ。 質問者さまも、色々調べると大変興味を持つかも?

advent
質問者

お礼

天海=明智説は根強いですね。日光の地は、神道・仏教でも「聖地」というのはすごいですね

  • kensyo7
  • ベストアンサー率20% (96/470)
回答No.1

京都の比叡山、これが鬼門。 江戸にとっての鬼門が「日光」

advent
質問者

お礼

鬼門守護のためだったのですかね