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学ぶなら大学か本、どっちがおすすめ?

大学の分野によって違いますが、例えば語学や化学や経済学なら本があれば学べますよね。先生がいた方がわかりやすいことは事実、しかしとある勉強家な大学生が言っていました。 ”これまで自主的に読んでいた参考書と講義内容は変わらない。既に知っている事ばかりだった” お勉強したいのなら本でも、独学でも構わないと思うのです。 それなのにどうして大金を払い大学へ行こうとする受験生がいるのでしょう。そのお金で本も買えますし、試験が受けられます。彼らは学歴が欲しいのでしょうか。

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  • cbm51901
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回答No.3

たとえば語学なら会話実習があります。色々な発音や場面場面に応じた語調といったものを本から習得することができるでしょうか。本に話しかけても本は言葉を返してはくれません。 たとえば化学なら実験があります。本はアンモニアの匂いを教えてくれるでしょうか。或いは、濃硫酸に銅片を入れて加熱したときに発生する二酸化硫黄の、あのきつい匂いを教えてくれるでしょうか。 たとえば経済学なら小論文の提出やゼミでの議論があります。本を読んでどれだけ中身を理解できたか、また理解した内容を土台にどこまで自論を展開していけるかを試す場でもあります。果たして本はそれに応えることができるでしょうか。 本を読むことは勿論大事なことだと思います。しかしそれは物事を「学ぶ」ことの一部分でしかないと思います。頭で理解したつもりでも、それを現実世界で応用してみることで、初めて足りていないことを思い知るのだと思います。 もっとも、大金を払ってまで大学に行く価値があるのか、と訊かれると確かに答えにつまります。学歴のため、という側面も大いにあると思います。あとは単純に4年間の学生生活、キャンパスライフを送りたいがため、でしょうか。 果たしてどれだけの人間が「学ぶ」ことを目的に大学に進学しているのか...。 その点については私も疑問です。

luciaid
質問者

お礼

大学は人間関係や勉強法なども身につく場所、 ”学ぶ”ことにおいても、確かに本だけでは実践にはかないませんよね。 皆様回答ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • IXTYS
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回答No.14

こんにちは。 とても深い素晴らしい質問です。 ● 大学は学歴が欲しいからなのか知識を得るためか。 あなたのその分析は素晴らしい。 多分未だ高校生なのかな? それでそこまで論点をピンポイントに選定する能力は素晴らしいと思います。  (1) 大学は知識を得るところではありません  知識は高校時代の受験勉強でじゅうぶん。 これ以上に学べる知識なんてありません。 大学は《learning》するところではありません。 《study》するところです。 この二つの英語の単語の意味の違いはおわかりですか?  前者は受け身で知識を学び覚えること。 後者は自分で課題を見つけ、それに関する答えを自分で本を読んだりして見つけ出すこと。  (2) 大学は自分の生きる目的を見つけ出すところ 《study》に《study》を重ねながら、ご自分の生きる道を見つけ出すところなのです。 知識の断片なんか本を読めばいくらも書いてありますが、《この道に進みなさい》とはどの本を読んでも書いてない。  (3) 大学は同じ悩みを持ち、もがき苦しむ友人が集まるところ 誰も自分が進むべき道がわからない。 自分だけじゃない。 みんな苦しんで苦労して道を探し出す。 苦しむのは自分だけじゃない。 お互いが助け合って道を見つけるのです。 (4) 《大学のありがたさ》は卒業して時間が経過すればするほどに増すものなのです。  大学ってすばらしい。 10年目にはそんなにわからなかった、 30年目、ようやくわかって来た。 少しですが、、。 今、卒業して55年目ですが、良くこんな自分を入れてくれたと感謝しています。 感謝しても感謝し切れません。  大学って知識を詰め込むために行くところなんかじゃない。 あなたの人生の大切なたからものを探して見つけ出すところなんですよ!   

回答No.13

カネがあれば大学。 カネが無ければ本。

回答No.12

語学はネイティブな国に行って短期の語学学校に行った方が良いです、日常会話はもとより、その言葉で物を考えないと、本当の意味で覚えられません、頭のなかで翻訳しているようでは、商談など出来ませんから。 経済学は習うより慣れろだと言われています、基礎経済学は本で学べば良いです(過去の経済みたいなものです)し、現実は進退を繰り返しながら、違う方向に進んでいる、ある意味進化しているわけで、学校で教わるのは過去でしかありません、最も未来が的確に予測できるなら、大金持ちになれます。 化学に関しては、実験やコンピューターシュミュレーションなどで、新しいものを研究する場でもありますから、とてもじゃないですが、個人の資力では無理ですし、またメーカータイアップの研究など、極秘資料などもあり、そんなもの一般人が入手できる訳も無いです、また学会資料等も一般では細かな部分は入手できません。 まあ技術系は最先端の研究があり、一般人では情報の入手やスパコンによる計算などは不可能、実感機材や測定器も数千万単位の物が多いわけで、それを使えるかどうかで、なし得る答えが大きく違います。 まあスパコンでなくPCでと言えば確かに不可能では無いですが、演算速度が1000倍違うとして、スパコンで10時間かかる計算は1万時間かかると言う事です、ただ市販のPCは1,000時間でもCPU負荷100%で動かしたら壊れると思います、そもそも、24H✕365日で8760時間です、から結果が出るのに1年以上かかるわけで、最終結論が1年先だったら、誰かにスパコンで先にやられてしまう可能性があります。 それに本は、最先端の事は書かれていません、最先端は企業の研究所や大学の研究室で行われているものであり、その結果をネイチャーなどの雑誌に載せているだけ、しかも詳しい部分までは掲載されていません、それが本になるとしたら早くて数ヶ月後不通1年後位です、最先端分野で1年は歴史教科書的なものです。 うんちくや歴史を学ぶなら本でも十分ですが、今現在を学ぶなら本では無理です。

  • 9133313
  • ベストアンサー率19% (266/1349)
回答No.11

数学・物理なんて公式をどのように応用するかさえ分かっていれば、偏差値65は簡単です。 (私は英語が苦手で、偏差値43くらいでした・・・。マークシート方式で「0点」なんてこともありました。) 自己学習:狭い価値観でしか題材を用意しない 大学:受身学習ではあるが、周りとの競争心があり、視野は広がる >”これまで自主的に読んでいた参考書と講義内容は変わらない。既に知っている事ばかりだった” →視野が広がっていない証拠。 (答えを導き出すだけなら、高校・予備校で実践しているはず。問題は、回答ではなく、どれだけ人とのコミュニケーションを養うかが大学生の姿)

回答No.10

私の意見ですが、経済と金融は、教授によって言っていることが正反対の場合があります。 とくに国家会計、政府の支出、財政が絡むと真っ二つにわかれます。 そのため、金融、経済、財政は時代時代の数字を出し、矛盾箇所が綺麗になくなる方を正解と判断しています。 金融、経済は国家財政、会計が大きく関係してくると思うのですが、とくに1971年のニクソンショック以前と以後では、金融はまったくの別物になっていますが、そこを忘れているのか、同じように比べ、考えている教授も多々いますので、本にしても私は、海外の学者の本を参考にしたりしています。 なにしろ同じ東大の経済学者でも、正反対なことを話している学者がいますので・・・

回答No.9

>例えば語学や化学や経済学なら本があれば学べますよね。 本来の大学という教育機関は知識を教える機関ではありません。 思考を教える教育機関です。 専門的な思考を進めるために必要な知識を補助的に教えているだけです。 指導教官は、ある問題に関して自分はどのように考えて来たかということを披露します。 大学では授業と言われずに講義と呼ばれるのはこのためです。 必要な知識は図書館で自主的に取得すれば良いと考える指導教官もおられます。 ご質問のように知識を取得するだけであれば書籍で充分だということです。 >それなのにどうして大金を払い大学へ行こうとする受験生がいるのでしょう。そのお金で本も買えますし、試験が受けられます。彼らは学歴が欲しいのでしょうか。 ご指摘の通り大学本来の趣旨を逸脱して就職予備校化しているのは事実です。 大半の学生は学歴欲しさに進学しています。 これには幾つかの原因があります。 〇私企業が職務遂行能力よりも学歴差で給与に差を設けていることも影響しています。 〇日本ではビジネスに直結した教育機関である専修学校が制度的に設けられてはいますが私企業側が評価せずに大学卒者よりも低い給与を支払っています。 海外特に英米では大学とは別にビジネススクール制度が定着しています。 単に大学を卒業しただけでは高額な給与が得られません。 著名な大学とビジネススクールの履歴が重要視されています。 〇ベビーブームと呼ばれていた時代に私企業や社会の認識を是正しないまま大学を乱立したことも影響しています。 〇週刊誌やマスコミが大学本来の趣旨とは別に就職率を基準として大学をランク付けしていることが受験生に強い影響を与えています。 〇私立大学は学生が支払う受験料や授業料で成り立っていますので、大学を維持するために就職活動に力を入れることになり大学本来の趣旨が等閑視されるようになってきています。。 私学援助金というのが国庫から支払われていますが、実はこれは憲法違反です。 条文の解釈で憲法違反を回避しています。 指導教官は大学本来の趣旨に則って講義を行いますが大学を運営する事務局は就職率を上げることに注力します。 大学を就職予備校とこころえて知識を教える高等学校と同じ学習の仕方を続けた学生は入学後数か月で講義についていけなくなります。 この手の相談が当サイトでも散見されます。

  • hekiyu2
  • ベストアンサー率35% (271/774)
回答No.8

どうして大金を払い大学へ行こうとする受験生がいるのでしょう。    ↑ 1,学歴が必要。   日本では、と、日本を強調する人が多いようですが、   学歴による収入格差は米国の方が大きいです。   中国韓国はもっと大きいです。 2,勉強する動機付けになります。   独学で勉強出来るひとは、少数派だと思います。   金出して、登校して、やっと勉強出来るひとが   大半です。 3,独学は時には鋭い考えに達することが出来ますが   穴が多いですね。   それに独断というか、間違うことも多いです。   反面、どうでも良いことを深く考えたりします。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.7

独学というか「自ら学ぶ姿勢」が大切なことは確かですが、大学(に限りませんが教育機関で)教師や学友と「ともに学ぶ」ということも重要だと思います。 数学者のガロアや物理学者のアインシュタインのように、これまでになかった新しい考え方を作り出せるようなとてつもなく優秀な「金メダリスト」であれば、凡庸な教師について学ぶより、自分で学習・研究した方が効率的でしょうけれど、到底そこまでいかない「市民ランナー」の一般人は教育機関で学んだ方が効率的であるし、また挫折しません。「啐啄同時」という言葉の通り、学びたい気持ちが外にあらわれ出たときに教えられたことが最も身に付き、一般人の独学では「勘違い」や「思い込み」を修正できる機会が限られるからです。 40年前に卒業した大学生活を振り返って見れば、先生や学友とのつながり以外では、「学んだこと」よりも「学んだ方法(研究手法)」の方が役に立っています。卒業後40年社会で働くとすれば、大学で学んだ知識そのものは古くなってしまう可能性がありますが、「いかにして学ぶか」という部分は決して陳腐化せず今も有用です。 きれいごとばかりではなく、「○○大学(院)卒の経歴を得る」ことが世間で役に立つのも否定はしません。しかしリタイアした後でも役に立つのはそのことではない、ということに人生の第3コーナーを曲がったあたりで気づかされます。

  • ithi
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回答No.6

luciaid さん、こんにちは。 学問ばかりの問題ではありません。学歴が必要なのです。日本は学歴社会であることはいまだに違いはありません。それがないと例えば、企業でも大企業の正社員になることは難しいでしょう。独学で知識を得たとしても試験でもない限り、その知識を披露する場所もないでしょう。いずれにせよ。職人で人間国宝でもならない限り無理です。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.5

独学だと、どこか認識や理解や解釈を間違えていた時にそれに気づくことさえできないって面はあると思います。 また、人間というのは誰でも独善的な解釈をしてしまうものです。他の人と接したり議論することによって他の視点からの解釈を知ることによって複合的な知見を得ることもできますよね。 私は少しだけ、アメリカの大学に研修に行ったことがあります。そのとき、日米の高等教育の根本的な違いをものすごく実感したのです。 日本の教育は生徒がノートと教科書を広げて、「はい先生。教えてください」というスタイルです。 一方、アメリカの大学では講師(教授)がノートと教科書を広げて、「さあ、なんでも聞いてこい」という感じでした。だからアメリカの大学の講師は生徒からどんな疑問が投げられてもきちんと答えられるように勉強しないといけません。一方、学生は自ら疑問を持ち考えなければなりません。これが本当の高等教育なんだなって思いました。日本の大学が学歴発行所と化しているのは否めませんが、でもそれは今に始まった話じゃなくて、たぶん少なくとも50年くらい前からそうなっていると思います。

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