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第二次世界大戦以前は並四受信機が普通だったのですか

第二次世界大戦中や戦前には、日本人のラジオは、並四受信機が普通だったのでしょうか。 5球スーパーを持っていた日本人は少数だったのでしょうか。

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  • staratras
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回答No.3

>5球スーパーを持っていた日本人は少数だったのでしょうか。 はい。戦前にはスーパーヘテロダイン式の受信機は極めて少なく、日本放送協会の「ラジオ年鑑」(昭和15年版)所収の昭和13年度の調査では、真空管を5球以上使用したラジオ受信機は全体の3%に過ぎませんでした。(このうち電池式が0.1%、エリミネーター式(電灯線が電源)が2.9%)この時の調査で最も多かったのは4球使ったもので全体の約85%を占めていて、その多くは「並四」でしょう。(「並三」に高周波増幅を加えた「高一」の可能性もあるかもしれません) なお真空管を5球使用した受信機はすべて「5球スーパー」と考えたいところですが、実はすべてがそうとは限らずこの時代には高周波増幅を2段つけた「高二」受信機も相当数ありました。これも5球を使いますので、5球(以上の)スーパー受信機の割合は、この「5球以上」の3%よりさらに少ないと推測されます。 その後戦争の時代となって、「協会型」と呼ばれるラジオの製造が進みましたが、このうち第1号・第11号・第122号は「並三」、第123号はこれに高周波増幅1段を加えた「高一」受信機です。(このうち122号と123号はトランスレス方式) 戦後になってもしばらくは「並四(並三)」や「高一」受信機の時代が続き、NHKの3年ごとの調査では「スーパーヘテロダイン」が過半数となったのは昭和30年からです。(下のグラフ:「NHK年鑑(1957年版)」のデータを基に作成) 回答者が子どものころ(昭和30年代)に自宅にあったラジオはまだ再生式で、スーパーではなく時々「ピュー」と発振していました。

satoshi2017
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その他の回答 (2)

回答No.2

訂正。「3ベン」は「3ペン」の誤記です。

satoshi2017
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回答No.1

>第二次世界大戦中や戦前には、日本人のラジオは、並四受信機が普通だったのでしょうか。 並四の他、3ベンも多く使われていました。 >5球スーパーを持っていた日本人は少数だったのでしょうか。 そこそこの裕福な家庭(例えば庭に土蔵があるような)には5球スーパーがありました。

satoshi2017
質問者

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