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「昨日今日とは思わざりしを」とはどんな時?

「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを」という歌は具体的にどんな状況ですか。 現代ならガン宣告されて余命2か月というときとか脳梗塞で少し話せるときとか を思い浮かべますが平安時代だったらどんな病気だったのですか。 長患いでいよいよ食べることが出来なくなったときとかを想像しますが このような歌を書ける状態の病気でもうダメだという病気が想像できません。 どんな状況だったのかお教え下さい。 誰しもが最後に通る道とは聞いていたが、まさかそれが自分の身に、間近に差し迫ったものだとは思いもしなかった。

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  • hue2011
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回答No.3

人間の意識というのは、仮に全身の筋肉が麻痺するようでもキープできることがあります。 病気じゃあまりイメージできませんが、事故を考えてください。 塔の上から落ちたり、牛車にぶつかったりして、息もできないほどの大けがをした場合なんかでも意識はある場合があるのです。そのとき「ああ今自分は死ぬんだな。まさか今日の今命がなくなるなんてさっきまで考えていなかったな、昨日はもっと何年も生きられると思ったな」と考えたとしたら不自然じゃありません。 このまま死んでしまったらそんな歌は残せません。 そこまで瀕死状態になったけど、なんとか心臓はとまらないでいて、全身は麻痺していても声はだせるという状態になったとします。 そのとき、助かったと思いますかね。 やっぱりすぐに死ぬ状態なんだなと信じて疑わないと思います。 そういうときにそばに居る人に、歌の形式でこの感想を言うというのはあり得ます。 本当に次の1分ぐらいで自分の息は止まるかもしれませんから。

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  • foomufoomu
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回答No.2

昔のことで、だれにでもわかる症状があり、確実に死ぬ病気となれば、労咳(ろうがい)、今でいう肺結核でしょう。 咳をするたびに血を吐き、最初は少しにじむ程度だったのが、日増しに増えて、やがて、まとまった量を吐くようになれば、「もうだめだ」と思うこと間違いないでしょう。

  • SPS700
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回答No.1

 平安時代なら、牛車事故でギッシャが転覆、頭を打って認知できなくなり、年老いて罹る病が、まさか昨日今日と来るとはは思はざりしをって可能性はいかがでしょう。