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賢者とは、最終的には、自分には与えられなかった当た
賢者とは、最終的には、自分には与えられなかった当たり前の日々”を思うものだろうか? それとも孤高のひとりぼっちの神官の様として生きることを受け入れ、この世についてありとあらゆる事柄の本質を教え、どの様に生きるのが最適か、学ぶことの重要性を教え諭し、本音から悩み苦しみ生きる人間や後世を生きる人間のために、見ず知らず他者を幸福にするために奮闘する人間を指すのではないか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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質問者が選んだベストアンサー
全宇宙は、自己(意識)の内にある。 ちゃんと「自分ひとり」を自覚すれば、 「全て」は自己の内にあり、何ひとつ 「与えられなかったもの」などない。 その自覚において、他者のために犠牲に する自己などなく、他人のために役立つ 事が自己の喜びでもあり、その幸福感の 相乗効果によって、無限の幸福の生成が 可能となる。 奪い合えば貧しく、与え合えば最も豊か。 その意味で、最も平凡な(譲り合う)事が 最も賢明なのだ。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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回答No.2
賢者こそ君に苦悩を与えている。 君が自らよりすぐれている人物を見て絶望する限りはね。
質問者
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます💝
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます(╹◡╹)(ハート)