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宗教について。

日蓮宗と日蓮正宗の違いについて教えてくれますか? 他にも浄土宗、浄土真宗、他にも色々な仏教の宗派がありますが、名前のみでもいいから一通り教えて下さい。 只、日蓮宗と日蓮正宗の違いは詳しく教えて下さい。 回答、お願いします。

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回答No.3

>日蓮宗と日蓮正宗の違いについて教えてくれますか? 日蓮の後継者の違いです。 日蓮は晩年に日昭・日郎・日興・日向・日頂・日持の六人を高弟として選びその中から後継者が生まれることを期待していました。 後継者を指名することなく亡くなった為に六人の間で後継者争いが起きました。 六人の中の日向が独立したのが日蓮正宗の始まりです。 残りの五人が一意団結して日向に対抗したのが現在の日蓮宗の始まりです。 秀吉が晩年五大老五奉行制を設けていて秀吉亡き後にその中から家康が独立したのと良く似ています。 後継者争いで宗派が分かれているのはイスラム教がスンニ派とシーア派に分裂しているのと同じ現象です。 お互いに正統性を主張しています。 お互いの主張の論拠は部外者には極めて分かり難いので割愛します。 日蓮正宗は静岡県 富士宮市の大石寺を総本山としています。 日蓮宗は大本山として誕生寺(千葉)、清澄寺(千葉)、中山法華経寺(千葉)、北山本門寺(静岡)、池上本門寺(東京)、妙顕寺(京都)、本圀寺(京都)と複数あります。 個人の場合部外者が見て比較的分かり易いのが礼拝する仏壇に飾られているものの違いです。 両宗派とも共通しているのが仏壇の中央に仏像がありません。 南無妙法蓮華経と書かれた小さな掛け軸が飾られています。 この掛け軸のデザインが両派で違います。 日蓮宗の場合は掛け軸の他に大黒天や鬼子母神が祀られるていることがあります。 >名前のみでもいいから一通り教えて下さい。 世界的な規模で言いますとおそろしく沢山あります。 これは仏教の創唱者とされているお釈迦様が何も書き残さなかったのが原因です。 後生の信奉者が色々解釈してその解釈の違いで宗派が生まれました。 キリスト教でもキリスト自身何も書き残していません。 結果としてカトリックやプロテスタントなど沢山の宗派があります。 日本で仏教と考えられているものは日本独自の仏教です。 中国で仏教とされているものも中国独自のものです。 いずれも当初インドで唱えられていたものとは違います。 現在インドでは仏教は衰退していてヒンズー教の一宗派と考えられています。 仏教は当初東南アジアなどの地域に広がりました。 南伝仏教(上座仏教、小乗仏教)と呼ばれています。 お釈迦様が亡くなって500年以上経ってから中央アジアから中国へ広まったものを北伝仏教(大乗仏教)と呼びます。 中国で独自に発達したものが日本へ伝わってきました。 日本国内で広まる際に日本独自の解釈が加わり現在の日本仏教になりました。 中国仏教や日本仏教には五千巻を越える経典があります。 大半が如是我聞(我れかくのごとく聞けり)で始まり以降は執筆者の解釈や主張が書かれています。 結果的に一つ一つ読み比べると矛盾だらけになります。 日蓮宗が大切にしている法華経もお釈迦様が亡くなられてから五百年ほど後に書かれたものです。 お釈迦様に聞けばオレはそんなものは知らネ~と言うでしょう。 現在日本で伝えられている日蓮宗以外の宗派は 三論宗(元興寺・大安寺)成実宗(元興寺・大安寺)法相宗(興福寺・薬師寺)倶舎宗(東大寺・興福寺)華厳宗(東大寺)律宗(唐招提寺)真言宗(高野山金剛峯寺)天台宗(比叡山延暦寺)浄土宗(知恩院、増上寺)浄土真宗(本願寺) 臨済宗(建長寺、南禅寺)曹洞宗(永平寺、総持寺)黄檗宗(萬福寺) 等があります。 この他に新興宗教と呼ばれる宗派というか教団があります。 日本は長い間土着の神道と仏教が融合していました。(神仏習合、神仏混淆) 神道とも仏教ともつかない修験道と呼ばれるものもあります。(熊野修験道、出羽三山) 神社とお寺を無理矢理分離して現在のような形態にしたのは明治政府です。 尚世界中の宗派のお寺があるのはアメリカのロスアンゼルスです。 キリスト教の牧師なども出入りしています。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この質問の投稿する前に自分なりに、日本の仏教の各宗派の歴史が奥深いとは思いませんでした。 日本史が好きなので、その歴史の中で特に鎌倉時代から日蓮、道元、親鸞、法然といった方々の名前が出てきたので、印象に残ってます。 この質問は大変、参考になりました。

その他の回答 (2)

noname#228784
noname#228784
回答No.2

ちょっと宗教というより、学問的な話になるけれども… 釈迦の経典と宗派は、こんな風に分ける事ができるそうです。 いくつかの五時八教の解説サイトから 釈迦の説いた経典の順番に宗派などを記載・転載します。 (最初にやや高度な教えの華厳経を解いて、民衆の理解度を判断した釈迦は 次回以降、うんと易しい教え=救える衆生の少ない小乗仏教から説き始め 徐々に高度な教え=大乗仏教、権大乗教を経て 実大乗教に導いた。) 華厳時 : 『華厳経(大方廣仏華厳経)』  宗派 : 華厳宗(奈良・東大寺)   位  :  乳酥。 別・円を説く頓教、擬宜の教え 阿含時:『阿含経』『法句経』などの『南伝大蔵経』  宗派:奈良仏教の倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)     律宗など。 位 :酪酥、蔵のみを説く漸教(秘密・不定教もあり)、誘引の教え 方等時:『大方等大集経』、『阿弥陀経』、『観無量寿経』、『大宝積経』      『大日経』、『金光明経』、『維摩経』、『勝鬘経』、『解深密経』     など権大乗経  宗派:浄土宗・浄土真宗・真言宗・法相宗・禅宗など。 位: 生酥。蔵通別円の4教を対比して説く漸教(秘密・不定教もあり)     弾訶の教え 般若時:『大般若経』、『金剛般若経』、『般若心経』など  宗派:奈良仏教における三論宗 位 :熟酥、円教に通別を帯ばしめて説く漸教(秘密・不定教もあり)     淘汰の教え 法華涅槃時:法華経28品を中心とする『法華三部経』、『涅槃経』   宗派 :天台宗、日蓮宗など       (涅槃経については、日本に宗派はない。中国にはあるらしい。)  位 : 醍醐、円教を説く頓教(秘密・不定教なし)、開会の教え なお。「位」の部分に出てくる、円経や別経とは…  化義(けぎ)の四教と、化法(けほう)の四教に分けられます。 化儀の四教  化儀の四教とは、釈尊一代五十年にわたる説法の形式・方法を、天台大師が頓教(とんきょう)・漸教(ぜんきょう)・秘密教(ひみつきょう)・不定教の四つに分類したものです。 化法の四教  化法の四教とは、釈尊一代五十年の説法を、天台大師が教理内容の面から蔵教(ぞうきょう)・通教(つうきょう)・別教(べっきょう)・円教(えんきょう)の四つに分類したものです。 成仏を目的としたとき、円経が最も優れています。 経典によって、それぞれ混ざる経典もあるのですが 混ざらない純粋な円経は法華経だけです。 円教 えん、円満融和の教え。空仮中の三諦の融和、十界互具を説く、最も優れた完全なる教え。 これを五時と配釈すると、蔵教は阿含・方等、通教は方等・般若、別教は華厳・方等・般若、円教は華厳・方等・般若・法華涅槃となる。しかし華厳・方等・般若と涅槃経は蔵・通・別の方便教が混じる雑円の教えであり、純粋な円教ではない。ただ法華経のみが独立して純粋な妙なる円教を説くとされる。 したがって、法華は化儀と化法の八教を超越しているので「超八・醍醐」の教えという。 参考【教相判釈 (五時八教)】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%9B%B8%E5%88%A4%E9%87%88 参考【釈尊の仏教】 ←とてもわかりやすい。 http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/syakuson_2.htm

参考URL:
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/syakuson_2.htm
cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分の知らない沢山の宗教の専門用語が出てきたので、また自分で調べてみます。 自分の感想としては、宗教と哲学、学問は結びつける事が出来るのですね。 回答ありがとうございました。

noname#228784
noname#228784
回答No.1

<日蓮宗と日蓮正宗の違いについて> どちらも開祖は日蓮大聖人です。 しかし、日蓮宗と日蓮正宗では、後継者が異なります。 日蓮大聖人には6人の弟子(六老僧)がいました。 その中で、日蓮大聖人は 跡継ぎに日興上人を指名しました。 これが日蓮正宗です。 しかし、日興上人は 六老僧の中で一番 年齢が若かったそうで 他の5人の僧侶(弟子)は、後継が日興上人であることに納得できなかった。 (他にも諸説あるようですが。) 日蓮宗は、この5人の僧侶のいずれかを第二祖(日蓮大聖人の後継者)としています。 日蓮正宗は日蓮大聖人の意向通り、日興上人を第二祖として続いている宗派です。 また、一部には日興上人の流れから時代の経過で逸脱した宗派も、日蓮宗となっています。 時の権力者(幕府など)のお達しに屈して 他宗の教義や経典、神社などをお寺の敷地内に同時に安置し 日蓮大聖人の教えから大きく逸脱した宗派も、日蓮宗となっています。 (日蓮大聖人は「他の教義や経典・本尊を交えてはいけない」と  厳命しています。) 【日蓮正宗 公式HP 抜粋】   日興上人は弘安5年(1282)、大聖人から一切の付嘱(ふぞく)を受けられ、大聖人の入滅後、身延山久遠寺(みのぶさん・くおんじ)の 別当職(住職)に就かれました。   しかしその数年後、身延の地頭である波木井実長(はぎりさねなが)が、民部阿闍梨日向(みんぶあじゃり・にこう)のそそのかしもあって、徐々に謗法をおかすようになりました。師である日興上人は、再三にわたりこれを諫め諭しましたが、波木井実長はまったく謗法を改めようとしませんでした。   そのため日興上人は、かねてより大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言によって、遂に意を決し、宗旨の根本である本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨など、一切の重宝を捧持(ほうじ)して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れました。そして大聖人以来の強信者である南条時光の請いに応じて富士へと移り、翌正応3年(1290)には大石寺を建立して、本門戒壇の大御本尊を安置し奉り、また多くの弟子達を養成して、宗門万代の基礎を築きました。 【年表 抜粋 http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/basic/jpn/basic_j.html 】 1282年 弘安5年 9月 日蓮大聖人 日興上人を唯授一人本門弘通の大導師と定め 『日蓮一期弘法付嘱書』を授与 1282年 弘安5年 10月13日 日蓮大聖人 日興上人を身延山久遠寺の別当と定め『身延山付嘱書』を授与 1282年 弘安5年 10月13日 日蓮大聖人 池上宗仲の館にて御入滅 1282年 弘安5年 10月25日 二祖日興上人 大聖人の御遺骨を奉じて身延に帰山 1289年 正応2年 春 日興上人 波木井実長の謗法により、身延を離山し 富士上野郷南条時光の館に入る 1290年 正応3年 10月12日 日興上人 大石寺を創建 (・ω・) ちなみに。日蓮正宗の第3祖は日目上人です。 日蓮宗とは、ここも違いますね。(第二祖の時点で異なっているから、その後継である第3祖も変わってしまう。) あと…【日蓮正宗】という名称になったのは近現代の話だそうです。 昔は日興派などと呼ばれた時期もあったとか。 他には・・ 日蓮正宗は、最も原理的と言われる事もあります。 幕府や政府の圧力にも屈せず、大聖人の時代からの教義を堅く貫いた部分ですね。 近い時代では、戦争中の神仏習合のお達しです。 日蓮正宗はこれにも従わず「他宗の教義・経典・本尊を交えてはならない」との教えを守り抜いたという事です。

参考URL:
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/taisekiji/jpn/taisekiji_j.html
cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今まで日蓮宗と日蓮正宗の違いがよく分からなかったのですが、宗教の成立から今日に至るまでの事を知ると奥深いですね。 日蓮大聖人には6人の弟子(六老僧)がいるのは知っていましたが、その後こういった経緯があったとは知りませんでした。 回答ありがとうございました。