- ベストアンサー
後期高齢者の老人が待つことの大切さを知った
- 知人の老人が後期高齢者であるにもかかわらず、待つことの大切さについて認識を深めた経験を話していました。
- 待つことの大切さについては、皮肉ながらも酒を飲んでいる時に気付いたそうです。
- 老人の現在の心境は落ち着いており、待つことの意義を理解できたことに満足しているようです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
前期高齢者の一人です。 含蓄があるような無いような、その意味では含蓄のある言葉です。(皮肉を言っています^^;) まず思うのは、歳をとり年長者になると、何かエラそうなことを言いたくなることがあるものです。(体験あり)それがお酒が入り、若いものが近くにいると半ば強迫観念に近いほど言いたくなります。一つはそんな状況ではなかったのではないかと推測します。 言葉通りに解釈すれば、「もし若い頃にもっと待つことを知っていれば、待つだけで何らかの益があったのに、待ちきれずに行動を起こして失敗した。成り行きに任せて待っていたほうが得だった。(「Let it be.」)今は年を取り行動力もなく待つことしか出来ないのに、皮肉にも、その待ったり行動力を試したりする対象がなくなってしまった。」ということになりますが、具体的なことはどなたかがおっしゃっていたように本人に訊かないと判りません。株かなんかで損をしたことを、思わせぶり言っているだけかもしれません。
その他の回答 (7)
昨日、建築家の安藤忠雄さん(75歳)の講演会に行ってきました。会場はいつものように超満員。若い人より60代以上の人がめだちました。 相変わらず、関西弁でジョークをふんだんに盛り込んだ面白い講演でした。 安藤さんは、20代、30代と「チャンスを待ち続け」40代、50代で 出会ったチャンスを貪欲につかみ執拗なまでに自己の表現にこだわった人です。 最近、若い頃にあった鬼のような表情が消えて、翁顔になりました。 講演の最初のスライドに「100」という数字が。 何のことかなと聴衆が不思議に思うと、「元気で100まで生きるぞ」 という宣言でした。 安藤さんは膵臓ほかに癌をわずらい臓器を全摘出。それでも奇跡的に元気で 生きているのだそうです。 神々に愛でられし才能でしょう。 安藤さんにとって待つことも好奇心をかきたてる楽しい行為なのだと ふと思いました。 大変勉強になった100分間でした。
お礼
そのためには普段の準備が必須ですね。しかしその老人も案外そういうことも考えていたのかもしれません。
うまく書けませんが 待つことの大切さ・・・待ってる間が楽しい 手に入ってしまえば、その後の楽しみが薄い。 そして、手に入ってしまったら 自分の成長が止まってしまうように感じる。 待つ時間は、自分の成長の時間だったんだなー。 後期高齢者になると、待つ時間なんて感じられないほど 周りは進んでいってしまいます。 自分の努力が追いつかない、もはや諦めも必要か!? それか 皮肉、ですから 若い時に今のこの感覚を味わいたかった 若いころは何をやってもうまくゆかず、失敗ばかり とにかく時間がかかった・・・ 確かにその経験があるから、今がある だけど、若いころからこんなにできていたら もっとたくさんのの人を笑顔にできた、はず 気が付けばもう後期高齢者、今の自分よりもできる若者がたくさんいる ・・・てきな?
お礼
確かに何でも失ってみないとありがたさが分からないということかもしれませんね。若い時には待つものが多かったが落ち着いて待てなかった、老後は待つものはほとんどないが、落ち着いて待っていられるというのが彼の感慨だったのかもしれませんね。
- tpg0
- ベストアンサー率31% (3785/11963)
こんにちは。 後期高齢者と言われるのは75歳からでしょうけれど、私の母親(大正9年生まれの97歳)に比べれば若いですし、私の母親が産んだ第1子になる長女(昭和15年生まれの77歳)の姉も後期高齢者と言われる年齢になってますが、77歳の姉は見た目だけでは老人とは言えないほど若々しいです。 なお、私の母親は軽度のアルツハイマー型認知症を患ってるせいか、たまに被害妄想のようになってしまい「早くお迎えが来て欲しい」と自らの死を覚悟して待ってるようなことを言います。 ですから、質問者様の知人も自らの死を覚悟して静かに待ってるという穏やかな心境になったのだと思います。
お礼
やはり皮肉だねというのは待っている対象が、自分が(間もなく)死ぬことだったのでしょうか。なるほど、なるほどと思いました。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
日野原先生の話で、終末期の人に待たせることがどんなに重要かというのがあります。 明日にも息をひきとるかもしれないような人に、来週会おうね、これこれのものを持ってくよ、と約束をするのです。 そうすると、瀕死の人はあと何日でその日が来るんだという「楽しみ」ができ、その日までは生きていようと考えて指折り数える。結果としてその日までは死なない、というものです。 生きがいというのは何かを待つことなんですね。 何かを完成させるための作業をしている人は、仕上げるまでには絶対に死なないという生命の灯をともすわけです。 その達成を見るまでに自分が死ぬかもしれないと思うなら、待つのは皮肉だ、というのがその老人さんの感想なんでしょう。自然なんだから自分の終わりのほうが先に来てもおかしくない、という理性的な気持ちでいうならその感想も悪くはない。だけどその老人は生命というものをよく理解していないと思います。 もちろん、世界から核兵器がなくなること、とか、一切の戦争がなくなること、を待つというなら生命のほうがそこまで持たない人が全世界の全員になります。 しかし、ほんのちょっとのこと、実現が不可能でないことを待つのであれば、待つことは可能性を広げるんです。 実現を見るために、生命が灯をともし続けるのですから。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
何を待つのでしょうね。 「丁寧に」待つのでしょうか。 私は、セレンディピティを何度も 体験しているのですが…セレンディピティも 有る種の「待ち」に範疇に入るのでしょうな。
お礼
できないことをあせらないというようなことかもしれませんね。必ずしもあきらめではないような感じもします。逆説的で待っている間何もしないでではなく、ほかのことをやっているのかもしれませんね。セレンディピティにも通ずるようにも思いました。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、皆さんはどのようにお考えになりますか? A、そんなの判るわけがねー。
お礼
大変謙虚な方とお見受けいたしました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
急いでも、思う時に来ないものもある、例えば死。
お礼
なるほどですね。ただ皮肉といった意味がどのように結びつくかと考えました。
お礼
なるほどですね。何かの失敗に対する後悔も含まれていそうですね。