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複数言語をほぼ母語とする人、単数言語を母語とする人の、言語能力における差異
なんだかもったいぶったタイトルですねホント。 本日二度目の質問で恐縮ですが、 私の友達にも友達以外にも、生まれたときから複数の言語に囲まれて育ち、どの言語もほぼ同じくらい習得している人たちがいます。彼らはそれらをみな「母語」と呼ぶようです。全員そう呼ぶわけはありませんが、少なくとも一人を知っています。 私たち日本人はほぼ全員、生まれたときから日本語の中だけで育ちますよね。 そういうことから考えると彼らは一見羨ましいようですが、実際どうでしょう。 考えてみてください。日本語だけに浸って育った日本人の中で、その日本語を完璧に操れる人がいったいどれだけいますか。(私は当然操れない組ですよ。こんなこと言ってるんだから。) みんな操れるなら、伝えることがありさえすればみんな作家になれます。 これは日本語が極めて難しい言語であるという事実も絡んでいるのでしょうがしかし、単一言語に浸ってそれをマスターできない人類という生物が、例えば3つの言語に囲まれて3つともマスターできるのでしょうか。 私の答えはノーです。 私自信がその最たる証拠ですから(笑) あ、でもこれはよくありませんね。ひがみのようにも聞こえますし、実際そうかもしれません(笑) 彼らは一面羨ましい境遇ですが、一面かわいそうなところもあります。私の意見が正しいとすれば、彼らのうち、たった一つの言葉も習得することがない者は少なくないはずです。 答えを求めているのではなく、多くの人の意見を聞きたく、投稿しました。 皆さんはどうお考えですか。 言語というのは三つ持っていてもその内一つか二つをマスターすることは可能だと思いますか?
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私は小6の男子の父親です。 現在、中学受験の塾に通い、来年の入試に向けてがんばっています。 息子は小さい頃から読書家で、今も歯磨きをしながら読書をしている始末で、おかげで国語だけは得意で、テストではかなり高い偏差値をとることもあります。 しかしながら、彼もたった一人だけ、国語でかなわない同級生がいます。 その子は、父が台湾、母が日本のハーフで、当然バイリンガルです。 小さいときから、複数言語の環境下で育つと、 言語に対する処理能力が大きくなるのではないでしょうか? ただの、バカ親のボヤキですが...
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- Ryu831
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「ある言語を完璧に操る・マスターする」という定義がちょっと曖昧に感じます。 「言わんとした事を美しく自在に表現する」ということですが、何を基準に美しく、また自在と言うのでしょうか。 言葉による意思の伝達が出来れば、それは「自分の言おうとした事を相手に一瞬で理解してもらう表現がつくれている」ことであり、「完全にスムーズな会話ができる状態」にあると考えますが。 逆に質問者様は、完璧に(母国語を)マスターしているのはどんな人だと思われますか? それが一部の特殊能力を持った人にしかできない事であれば、それは例外であり我々のほとんどは母国語を完全にマスターしている状態にあると言えます。 あとは、語彙の多少、表現力、育った環境、の差による違いのみで、訓練などによりいかようにも改善、改良できるんじゃないでしょうか。 >これは日本語が極めて難しい言語であるという事実も またこれも抽象的な表現ですが。。 何を基準に難しいのか分かりません。 「言語習得に際して他の言語よりもより多くの時間を要する」「一般論として日本語は習得が難しい言語とされているはず」というお考えはどこから来るのでしょうか。 日本語が文法的に難しいのか、「言わんとした事を美しく自在に表現する」という意味で難しいのか。。 #3様も言われている通り、言語の難しさは相対的なものであり、どれが難しくてどれが簡単と言う事はありえないと断言できます。 アメリカ人にとって日本語は難しいですが、韓国人にとってはいちばん簡単な言葉になるでしょう。 で、本題ですが、3つの言語で本人が負担なく意思疎通が出来ていると感じれば、それはマスターしている事になると思います。 ただし特殊な状況を除いて、母国語のレベルより上がる事はないと思います。 そして、もし母国語のレベルが質問者様のおっしゃる最高のレベルに達していれば、他にマスターした言語もそれと同レベルになるでしょう。 先ほども少し言いましたが、質問者様のおっしゃる「言わんとした事を美しく自在に表現することができる=母国語を完璧に操れる」というレベルは、単に言語の組み立て能力や論理的思考能力と深くかかわっているものであると私は考えます。 そのレベルに達していなくても、意思疎通が出来ればその言語を充分マスターしていると言えます。 >彼らは一面羨ましい境遇ですが、一面かわいそうなところもあります。私の意見が正しいとすれば、彼らのうち、たった一つの言葉も習得することがない者は少なくないはずです。 日本人だって完璧に日本語を「マスター」できてないとおっしゃるのですから、たった一つの言葉を完璧に「マスター」せずとも、少なくとも三ヶ国語「操れる」状況はうらやましい限りです。 また言葉は、意思や考えを伝えるだけでなく、「聴き取る」能力も充分になくてはなりません。 これ無くしては意思の疎通どころではありません。 そう言う意味では、もう幼稚園児になれば充分に母国語をマスターしている状況だと思います。 ちょっと回答の内容が横道にそれました、ごめんなさい。。
お礼
すいませんここを借りて補足させていただきます。 イギリス人のほうが時間がかかるのでは、といいましたが、これも平均的なことですので、「個人差が」と言う方向にはもっていかないでほしくおもいます^^;
補足
お返事有難うございます。 >「ある言語を完璧に操る・マスターする」という定義がちょっと曖昧に感じます。 「言わんとした事を美しく自在に表現する」ということですが、何を基準に美しく、また自在と言うのでしょうか。 そうですねぇ、そこのところは私の主観ですので説明しても仕方がないように思いますが、あえて言うならば、誰が見ても的確でいい文章だと思える表現、でしょうか。すいません結局曖昧な表現になっていしまいます。私の勝手な判断なので仕方ないと思います。 しかしいろんな人の意見を聞くことが目的なので、 意思疎通ができることこそ言語を習得した状態であるという皆さんの意見に触れられて嬉しく思います。 >これは日本語が極めて難しい言語であるという事実も これはですね、はっきり言ってすいませんでした。ちょっと耳に聞いたことを当然のことのように言ってしまいました。たしかに韓国人にしたら簡単なのかもしれませんが、それは例外です。一般的、平均的なこととしての「難しい」をいうつもりでした。 また、時間を要すると言うのも、勝手な予想でした。申し訳ありません。しかし、これは事実ではないでしょうか? 例えば日本人が英語を一から覚えるのとイギリス人が日本語を一から覚えるのでは明らかにイギリス人の方が時間を食うと思うのですが、そう思いませんか? その「マスターした人」についてですが、今までそれは一部の人間(少なくとも日本語に関しては)だと思っていました。しかし皆さんの仰ることを聞くには、どうもそういう考え方はちょっとへんなのかなぁとも思います。 つまりみなさんはご自信が日本語を「習得」していると思ってらっしゃるのですよね? いや、できてないと言うつもりはないんですが、私自信は日本語を「習得」しているとは思わないので。
- fartingclapper
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まず、他の回答者からの間違いがあったので勝手に私が訂正します。 >scさんの日本語の語族の話しですが、朝鮮語同様、昨今の研究ではどこの語族にも属さないという結果にいたりました。最近は音韻の比較研究が絶対で(かなり昔からですが)、どこの言語とも音韻関係が無いからです。 >marさんの 「移民や出稼ぎのように特殊な環境下で子供の教育に失敗した例を持ち出すのは適切な例ではありません」 これを特殊の環境というのはおかしいでしょう。バイリンガルになる理由として、出稼ぎというのがほとんどの理由でしょう?出稼ぎ以外にどんな理由があるのでしょう?これこそ、バイリンガルの母語の保持の失敗によく用いられる例であり、今回の論題の一番良い例ですよ。 >totさん 「言語を完全に習得するというのは、言わんとした事を美しく自在に表現することができる、ということです。」この抽象的な物事を無理なく発言するというのは、習得の概念に含まれると思います。 あと、日本語は、難しいって日本人は思ってるけど、それは日本人だけです。日本語ほど簡単な言語は無いですよ。なぜ難しいと思うのか。それは、日本人自身が漢字の表記などに苦労したから。表記の種類が多いだけであって、これは記憶で補える、助詞の使い分けなどの暗示的な知識をあまり必要としないのです。 最後に、三つのうちにいくつ習得というの論題ですが、私はあなたの主観からしても可能だと思います。美しくという概念が微妙ですが、聞き手・話し手が共有する概念なので可能ということになりませんか? 本来の習得の概念からしても、そして実際の心理言語学的な側面からしてもバイリンガル、トレリンガルは認められているので習得できると考えてます。しかし、あくまでこれは「美しい」という話して聞き手の感情が含まれない考え方なので、今回の論題にはそぐわないでしょう。
補足
すみません、もう一つの大事な概念、「完全な習得」を表す具体的内容を落としていました。 「その言語に関するもの、つまりつくり・構造・成り立ちなど全てを完全に理解し得る」ということです。ここで「得る」としたのは、勉強しなければ理解などできないのは当然だからです。つまり、勉強さえすれば理解する潜在的能力がある、とでも言い換えられると思います。 そして「知る」ではなく「理解」であると、あくまで私は考えます。知ることなら誰でもできます。 果てしない主観ですが、一応書いておきました。 fartさんの仰ることを聞いていると、どうも私の「習得」に対する観念はハードルが高いようですね。 なんだかごめんなさい。初めの投稿ではこんな細かいこと書いてなかったのに、急に色々言い出してすいません。 そして日本語についてですが、なるほどと思いました。確かによく考えると難しいと言える点が(文字以外では)表現の不規則性ぐらいしかありません。表現が不規則なことも、「記憶で補える」ものですね。 ただし一つ、「難しく思っているのは日本人だけ」と言えば嘘になると思います。漢字や不規則性などのわずらわしさは日本人より外国人のほうがより知っているでしょうし、なにより表現一つ一つの語感の存在が大きい日本語は、学習者にとって厳しいものとなると思います。 アメリカ人に直接 「外国人が話す英語を聞いて、意味を超えた言葉のニュアンスで変に思うことはあるか」 という趣旨のことを聞いたのですが、 「私たちはニュアンスのことあんまり気にしませんから」 と言われてしまいました。日本語の感覚からしたらありえないですよね。私たちにとっちゃ言葉から受ける印象が全てですよ。どの言葉を選ぶかでその場の雰囲気が完全に決定されもします。 最後に一番肝心の、習得できるかのことです。 ただ逆らおうとしているわけではないのですが、上の条件を考慮に入れたらやはり難しくないですかね? それに、生まれてからずっと一つの言葉で生きてきた人と生まれてから複数の言葉で生きてきた人が一つの言語のもと同じレベルに達しているというのはちょっと考えにくいのです。
複数の言葉を話す人でも母語はひとつです。母語とは母親が子供に接するときに使った言語のことです。後で学習していくらうまく話せるようになってもそれは母語ではありません。アメリカ人の母語は全員が英語ではありません。スペイン語あり、ドイツ語あり母語はさまざまです。しかし、アメリカ人が話す国語は英語です。 母語(例。スペイン語)と英語で育った人が小学校や中学校でドイツ語を学ぶ(なぜなら彼はドイツ人の多い地域に住んでいたから)このような環境で育てばドイツ語をマスターすることは可能です。しかし、それは母語であるスペイン語、国語である英語を超えることはないでしょう。しかし、スペイン語もドイツ語も分からない人から見れば彼は三ヶ国語を不自由なく操れる語学の天才となります。こうしてヨーロッパ人は5ヶ国語を話す(理解する)人は珍しくありません。日本語(標準語) 九州弁、大阪弁、英語、に加えて大学で第二外語でスペイン語を学べは、日本人も5ヶ国語を理解するといっても言い訳です。イタリア語とスペイン語、スペイン語とポルトガル語などは日本の主な方言間よりも近い関係です。 移民や出稼ぎのように特殊な環境下で子供の教育に失敗した例を持ち出すのは適切な例ではありません。また複数言語を理解するかどうかは育った環境とニーズの問題であり、日本語の難しさ云々は当たりません。
お礼
返信ありがとうございました。 いろんな事を教えていただいて感謝しています。 生意気なことを言っていますが、とくに言語学を勉強しているわけでもなく(お分かりでしょうが)、勝手に思っていることを述べているだけです。 いろいろな人の考えを聞けることはすばらしいことです。ありがとうございます。 ところで、みなさんやはり「可能」とするようですね。 完全に習得するということが私の考えと少しずれているにせよ。 ありがとうございました。
補足
ええ、それは分かってます。 だから「ほぼ」と付けることでなんとか分かって貰おうとしました。 母語とは一人が複数持つものではありません。複数持つ用に思えても、それらはどれも母語ではないでしょう。 私の出した例が、なぜ「特殊な環境下で子供の教育に失敗した例」となるのでしょうか。それは私にも分かりませんし、貴方にはもっと分からないはずです。 しかし、日本語の難しさ云々、これはそうかもしれません。周りの環境次第、で正しいのかもしれません。 以上、補足でした。
- schizophrenia
- ベストアンサー率23% (66/277)
あくまでも私の論点を挙げます。 「日本語が極めて難しい言語」答えは「ノー」です。 ウラル・アルタイに属す膠着語の一つでしかありません。 ご本人様が質問されてるのは解り切って質問されてるのですか。 他の回答者様の回答を得る事による単なる自己満足ですか? 少なくとも私にはそう思えますが。意を害したら陳謝しますが。 世界に存在するあらゆる言語は「森羅万象」を伝達するそれ固有の持つ 単なる「概念」にしか過ぎません。後は神様にでも聞いて下さい。 以上。一般論を述べました。あしからず。一期一会。
お礼
ありがとうございます。 しかし、 『「日本語が極めて難しい言語」答えは「ノー」。』であることと、 『ウラル・アルタイに属す膠着語の一つでしかない。』 ことと、どういった関係があるのでしょうか。 私が難しいといったのは、言語習得に際して他の言語よりもより多くの時間を要するということです。 日本語が何語族に属するか、膠着語であるか屈折語であるか独立語であるかは、この際関係ありません。 一般論として日本語は習得が難しい言語とされているはずです。 また、回答を得ることによる自己満足とはなにを指しているのですか。 単に回答を得たという事に対する満足、ですか。それとも他の回答者の意見を聞くことに対する満足ですか。 前者ならノー、後者ならイエスです。 言語が概念であろうとなんであろうと、いま私が上で述べたことには関係ないはずですが。 概念だからどうなのか、はっきりと示せますか。 一般論なら結構ですのでどんどん教えてください。
- fartingclapper
- ベストアンサー率31% (7/22)
はじめまして。私は今大学で、言語学を専門にしています。 マスターするという言葉の範囲についてはっきりすべきだと思いました。 作家が日本語をマスターするというような前提になっていますが、私の「マスター」の概念は、外国語を母語話者と無理なく会話できる事と考えます。 母語話者が話せるレベルが現在のその言語を表わしているのであって、現在の若者は日本語を話せないと言いますが、あくまでそれが今の日本語のレベルであり、マスターできていないのではないと考えます。 トレリンガルの話しですが、臨界期説(8~12歳ぐらいまでに触れた言語は母語として話せるようになるという考え方)というレネバーグの考え方がありますが、私はこの考え方に賛成であり、3ヶ国語習得できるのは可能だと考えます。しかしそれは、あくまでその人の周りの環境が可能にする者であり、現在の日本語教育で多く見られている、ブラジルの小学生が母語も日本語も話せない状態に陥るという例もあります。 あなたの習得の概念をもっとはっきりしていただければ、論理的に私の考えを申すことが出来るのですが・・・。
補足
お返事ありがとうございます。 早速はっきり示させていただこうと思います。 全くの主観なのですが、言語を完全に習得するというのは、言わんとした事を美しく自在に表現することができる、ということです。 無理なく会話できている状態ではその人たちが確かに意思を伝達できているにせよ、自分の言おうとした事を相手に一瞬で理解してもらう表現がつくれているかどうかは確かでありません。 完全にスムーズな会話ができる状態こそ、マスターした事を示していると、私は考えます。 当然、言葉というもので頭の中のことを全て外に出すのは無理です。絵画等で表現される抽象的なことなどがそれにあたると思いますが、それらを除いた範囲内で言おうとしたことが相手に的確に、瞬時に伝わる言葉こそ完全な言葉とみなします。 以上、私の意見でした。 引き続きあなたの考えを仰っていただければ光栄です。
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お礼
なるほど、ありがとうございます。 大変ごもっともな意見だと思います。 一つ一つの言語を見るのではなく、言語というまとまりを総括して見なければいけないということですね。 大変参考になりました。ありがとうございます。 お子さんの成功、心から祈っております。