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矛盾した文章の読み取り方とは?
どんな文章でも良いのですが、何か、文章を読んでいて 「矛盾すると思うような文章」などは有りますか? そういった「矛盾するような文章の読み取り方」などは有りますか? 具体的で簡単な文章を例に上げて、「矛盾した文章の読み取り方」を 教えて頂きたいと思います。 それでは回答、よろしくお願いします。
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矛盾した文章というのは、日常的に目にされる新聞などでは記載されることはありません。 又、自然科学に関する文章でも目にされることは無いでしょう。 一方、思想や宗教、哲学などの分野では前後の関係から矛盾した文章というのは沢山あります。 例えば旧約聖書にある天地創造の文章では要約しますと 1日目 神は天と地をつくった(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。 2日目 神は空(天)をつくった。 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。 4日目 神は太陽と月と星をつくった。 5日目 神は魚と鳥をつくった。 6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。 7日目 神は休んだ。 と書かれていますが、常識的に考えますと、太陽や月が無い1日目の光りはどこからきたのかということになります。 このように使われている言葉の定義に基づく矛盾ではなく、文章が表している事柄と言いますか文意の矛盾は沢山あります。 仏教関係には「山は山に非ず、山は山なり」「「仏の説く般若波羅密は即ち般若波羅密に非ず、是を般若波羅密と名づける」など沢山あります。 簡単に言いますと「A は A にあらず、ゆえにAなり」と言っていることになります。 これを仏教哲学者の鈴木大拙は即非の論理と呼んでいました。 禅宗の臨済宗が重要視している公案(禅問答と呼ばれる文章)は常識的には矛盾だらけの文章です。 有名な「狗子仏性」は一切衆生子悉有仏性と言う言葉を前提として 問い:狗子に還って仏性有りや無しや 返答:無 と言うような文章があります。 或いは、新訳聖書にある「汝の敵を愛せ」と言う言葉も矛盾した言葉の例として良く挙げられます。 相手を愛しているのであれば敵では無くなっているのではないのか、ということで矛盾した言葉だとされています。 このようなジャンルでは矛盾するような文章の読み取るには、その文章はどのような思想に基づいて書かれているのかということを考え、その思想について理解しておく必要があります。 逆にその思想を理解するために、敢えて矛盾した文章を読まれてなぜこのような矛盾した考え方をするのかということを考える、という方法もあります。
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現代文の試験対策ですか? 一般的にいって,後ろのほうに書いてあることが重要です。構成法の定石として「起承転結」というでしょ。第三楽章の「転」で脅かしておいて,第四楽章の「結」で大団円。 完全に論理が狂っている課題文は,試験には出題されないでしょう 笑。
お礼
試験対策では無いですが、素朴な疑問ですよ。 人によって、矛盾する文章の読み取り方は違うと思いましたので。 前者より、後者に書いて有る文章が重要だという事が、 良く解りました。 回答ありがとうございました。
お礼
とても、参考になりました。 回答ありがとうございました。