- ベストアンサー
石川五右衛門の釜茹での刑
盗賊の石川五右衛門は釜茹での刑になりましたが、当時、釜茹でという刑はポピュラーなものだったのでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ポピュラーというわけではないようですが、豊臣秀吉以外では、武田信虎(信玄の父)は「軽罪をば重くし、重罪をば釜にて煎る事、毎日五人六人に及べり」(信長公記)といわれていますし、会津領主時代の蒲生氏や、美濃の斉藤道三も、釜茹での刑をしていたといわれています。また金沢藩で、江戸初期の寛文6年、奉公先の家など6ヶ所に放火し金銀等を盗取った娘ぬいが、釜煎りとされた記録があります。
その他の回答 (4)
noname#228945
回答No.4
通常は熱湯なのですが五右衛門は油を使ったそうです。 油は当時は高級品なので大盗賊に対してそれなりに特別な対応を払ったって言う説もあります。
質問者
お礼
たしかに当時では油は高級品ですよね
- GOTHICMADE
- ベストアンサー率10% (33/313)
回答No.3
ポピュラーではないと思います。まあ、いろいろありますが・・・。 【閲覧注意】 https://matome.naver.jp/odai/2148140942719742101
質問者
お礼
ありがとうございます
- nijjin
- ベストアンサー率27% (4811/17776)
回答No.2
釜茹では戦国時代から江戸時代まで存在していたようですので 石川五右衛門以外にもこの刑で処刑された人はいるかもしれません。 ただ、石川五右衛門はお湯でなく油だったようで茹でるというより揚げるだったかもしれません。 鋸挽は江戸時代以前は行われていたようです。
質問者
お礼
鋸は怖い・・・
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
回答No.1
ポピュラーでは無いです 人と違った事をやるのが好きな秀吉ならではの刑です 五右衛門は盗賊ではなく実は秀吉を狙う暗殺者でした なのでやっと捕まえた五右衛門を普通に殺すと言うことを秀吉はしなかった 信長も自分を狙撃した奴を 捕まえたあとに地面にうめて首だけだしてのこぎりで切り落として処刑してます 権力者は猟奇的なやつが多い
質問者
お礼
猟奇的ですねえ・・・
お礼
わりといろいろなところでやっていたんですね