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走り屋になったきっかけ・・・
前の旦那なんですが、走り屋でした。 草レースにも何度も出場していました。 そんな元旦那に走り屋になったきっかけを聞いたところ、 「死ぬために走り屋になった」と言っていました 理由を聞いたところ 「親も俺を見限っていたし、兄弟も見下していた。 だから簡単に死ねる方法を中学生の頃から探していた ある日、峠で大きな事故を起こしているのを見てこれだ!と思った それから18で自力で免許を取ってからわざと峠で無謀な運転をするよ うになった。でも事故は何度も起こしても死ねなかった だから今度はよりスピード出て危険の高いレースに足を踏み入れた でも峠より安全だと思ってレースはレースで楽しむために続けており 峠ではいかに即死できるか考えている」 と言っていました 多くの方はそんな考えではないと思うのですがきっかけってこんなネガティブな ものなんですか? ちなみに、元と書いてあるとおり、旦那は別の理由で他界しました
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- Majestic-F
- ベストアンサー率26% (147/554)
中にはそんな考えの人もいるんだと思います。 でも、それって、自分から死ぬ勇気が無かったって事で、結構まともな精神状態だったのでしょうね。 死にたい人は一生最速をマークできないです。
- nagate
- ベストアンサー率12% (28/219)
平和な家族ではなく、生きる意味が見出せなかったんでしょうね。不幸な家庭の犠牲者だったのでしょう・・・
遠因があると思われます。 >親も俺を見限っていたし、兄弟も見下していた。 親から子へ、子から孫へと精神的虐待の連鎖 が繰り返されている機能不全家庭の可能性を感じます。 また、家庭内で見限りや見下しを受けたのはもしかすると、 https://adhd.co.jp/kodomo/#!naniga_animation こうした先天的特徴から上手く生きれず、 家族も無知で適切な対応が全く出来なかった可能性も感じます。 ともあれ人は幼少期に自分が受け入れられている実感が無いと 親の代わりに周囲の子供に強過ぎる依存や執着をしやすくなり、 ある1人を全肯定する代わり他の人を引き合いに出して貶すなど、 迷惑な人として拒絶されたり孤立しやすくなります。 親に愛されたい受け入れられたいと幼い心で必死に努力しても叶わず 代わりの希望にした友人にも周囲の人を傷付ける迷惑者として遠ざかられ 拒絶と孤立が重く心に痛みを与え続ける事態を招く事があります。 受け入れて貰う為に必死に努力しても全て叶わなかった絶望感は トラウマの様に人生全体を苦痛に染める事もある為、 その苦しみを忘れられる強い没頭や興奮ができる何かに依存する事があり 何らかの依存症などを起こしやすくなっています。 走り屋を選んだ理由は回答1の方が仰ってるので割愛します。 社会で上手く生きれない特徴を幾つか抱えてしまうと、 対人関係が不安定化し、孤独が精神を過敏に更に不安定化させ、 無垢な想いが行き場を失い悲しい記憶ばかり募り生きる苦しみが増し、 自暴自棄的に生きるという事態は世界各地で様々に多発していますが、 現状はケアできるだけの人材育成~維持する余力が社会にありません。 半世紀もすれば携帯端末を介し対話型AIがカウンセリングや育児助言をし 親も子も社会もいい想いはしないこうした負の循環は、 早期発見、早期ケアされ重症化は防げる時代に変わると思われます。 私にできる説明はこれくらいです。
- ginga2
- ベストアンサー率12% (576/4567)
マンガの見過ぎかな と思いました。
お礼
本人は、レーサーの片山さんという方の生き方に共感を持っていたようです 漫画ですか 彼の本棚に漫画の本があったのは見たことありませんが影響はあったのでしょうかね
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
そりゃ元旦那さんがそういう人だったということだけだと思いますよ。もし旦那さんがお酒が飲める体質だったら死ぬためにお酒を飲んだでしょうし、麻薬があれば麻薬をやったでしょうし、傭兵になれるなら傭兵になったでしょう。 ただ、お酒はレースほどに熱中できなかったし、麻薬も身近になかったし傭兵になる術も知らなかったのでしょう。たまたま、レースが目の前にあって自分のニーズとピッタリ合ったからレースにのめり込んだのでしょうね。 哀しい人だったのだと思います。彼が家族のために生きていくということに気づければまた人生違ったと思いますけどね。
お礼
ありがとうございます 生い立ちを知ると確かに哀しい人生だったと思います 彼の両親もほんの少しだけ他の子供たちと同じように愛情を注げばよかったものをと思います 最後は自分で人生を終えたので本懐は遂げれたのかなと思っています
補足
人となりは穏やかで年相応でした 少し思考が極端であるところはありましたが 一番の短所はハンドルを握ると人が変わり物凄く攻撃的な走り方をします 相手が誰であろうと煽りまくるような有り様でよく路上で喧嘩もしていました 運転に関しては警察の常連だったみたいです 怖かったのは凄く冷静なのに思いっきり危険な走り方をすることです 冷静なのに峠道を法定速度の何倍ものスピードで駆け上がり駆け下りるのを繰り返していました 車を降りると普段の穏やかな一面に戻るのです 今思えばいつ死んでも構わないという腹を括ってはしっていたのかもしれませんが あとロードバイクの人たちにはかなり腹立たしく思っていたみたいでよく幅寄せや空き缶を投げつけたりしていました ロードバイクを下り坂で並び掛けて幅寄せしつつもギリギリ間をあけて曲がり道を走るような人でした 良くひき殺さなかったと思います 運転に関してはそんな人でした もうすぐ命日なのでふと昔を思い出して見ました 本人の希望でお墓には入らない事としたようでお寺の納骨堂で今は眠ってます