●尊敬語、謙譲語●
「国語の新研究」という問題集にはこんな問題が載っていました
次の言葉を「お(ご)~になる」、「お(ご)~する」の形を用いた尊敬語・謙譲語に直しなさい。
(1)心配する ⇒尊敬語で。( )
謙譲語で。( )
(2)開ける ⇒尊敬語で。( )
謙譲語で。( )
(1)の尊敬語の正解は「ご心配になる」でした。
これは、相手が「心配する」ということに対して、「ご心配する」という尊敬語を使い、相手を高める効果があるので、納得です。
(2)の尊敬語の正解は「お開けになる」でした。
これも、相手が「開ける」ことに対して「お開けになる」という尊敬語を使い、相手を高める効果があるので、納得です。
しかし、謙譲語のほうはどちらも納得がいかない答えでした。
(1)の謙譲語の正解は「ご心配する」でした。
(2)の謙譲語の正解は「お開けする」でした。
私はこの答えに対して、あまり納得がいかなかったのです。
「お」や「ご」を使ったていねい文は、相手の動作や持ち物を高める文だと思うので、上の謙譲語の正解は納得がいかないのです。
●例●
私はそのドアをお開けする
と上の謙譲語を用いた文を作ってみたのですが、そしたら、
●例●
「私がそのお茶をお運びします」
と、自分がする動作に「ていねい語」を用いていて、自分を高める感じがしてしまうのです。
小学校の頃、先生に自分に対してていねいに言うのはおかしいでしょう。たとえば「・・・・」←(何て言っていたかは今は覚えていません;)
といわれて、みんなも私も、「たしかに、自分にていねい語を使うのはおかしい!」と十分納得しました。
なので、謙譲語は「自分を下げる」という効果がありますから、自分がする動作を「ていねい語」として高めてはいけないと思います。
しかし、上の問題文では「お(ご)~なる・・・」を用いた尊敬語、謙譲語に直しなさい
と書いてあったので、ますます混乱です。
ていねい語も尊敬語も同じ「相手の動作や持ち物に使い、その人を高める」効果があると思っています。
それを「ていねい語を用いた謙譲語」となると、よくわからなくなります。
なので、この問題集の解説には載っていなかった
ていねい語、尊敬語、謙譲語の関係や使い方をもっと教えてください。
そして、この (1) (2) の問題の解説もお願いします。
お礼
遅くなりました。ありがとうございます。