似たようなことばかり質問されているから、あれ、これには自分は何も書いていないかなと思ってしまいます。
しかたないので、私はずっと小言役をやっていますが、またやりますね。
ものごとには原則と応用があります。
あなたは常に応用のほうばかりいうからばらばらの悩みになった上、個別にどうしたらうまくいくでしょうか、という無思考になるのです。
融通が利く効かないという話は、誰だってそうです。人間には相性があって、うまくかみ合う人間とかみ合わない人間がいるんです。そんなことは誰に限らず当たりまえです。
この話題を出すときにコミュ障とか発達障害なんていう言葉を出さなかったのはエライと思います。
どっちにせよ、「融通が利くきかない」という話は人生に立ち向かうには何の意味もありません。
原則を言いますが、人生というのは、観測と実行で成り立っているのです。
何かを見て判断し、何か行動を起こす。そうしたらうまくいくことと行かないことがある、それを観測し、調整して次の行動を起こす。その繰り返しです。
まあ無限に繰り返していくというのが普通です。そうしないと何千歩も歩かなければいけない山の上にまで登れませんし途中の坂やがけを通過することもできません。
それを、うまくいかない場合に、なぜうまくいかないのだろうと悩むのは、人生としては無駄です。いかなかったことを経験として次におなじことを繰り返さなければいいだけです。
しかしそうしたからといって次のステップがうまくいく保証なんて全然ありません。
それが山登りのたとえで言っていることなんです。
記録するなんてあなたは一番いやなことだろうけど、メモるんですよ。こうしたらこうなった、だけでいい。そこに感情的な評価だとか自分の能力がないからだなどと書き連ねないことです。
これを綴じておくだけでいいのです。
実際には書くことによって、顕在意識でやっているのですが、潜在意識に何かをためています。だから書いているだけで、段々ものごとがうまくいくのです。
潜在意識というのは非常に役に立つもので、意識せずに自己トレーニングをし賢い切り替えができるようになるものです。
歩いていて蚊の大群にであったら手でわけながら進むでしょう。雑草がからみついてきたら避けるように歩いて足を引っ張られないようにするでしょう。
あとでメモを見返す機会でもあれば、ああこういうことだったのか、と論理的に納得のいく関連が発見できるかもしれません。
それを発見したら、ザマみろみたいな得意感覚になって、ことが怖くなくなります。
それが文字というものの魔力なんです。
お礼
ありがとうございます