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教師と部活動の関係についての質問
- 教員と部活動の兼ね合いについての意義と課題について質問します。
- 部活動の顧問としての教員の立場や意見を考えながら、教員の専門性と部活動の運営をどうバランスさせるべきかを考える必要があります。
- 昔と比べて部活動の指導者のタイプが変わったのか、強豪校の傾向と関連して考える必要があります。
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全ては学校の「部活」の目的が何か?どのようにどの位評価するのか?にかかっていると思います。 学校や個人による多少の違いはあるでしょうが、部活の目的は概ね「心技体を鍛え、礼儀や社会常識を身に着ける」ものとして位置付けられていることが多いのではないでしょうか(人気スポーツ等では試合や大会での好成績が学校、指導者、生徒等の広告となるため、その意味合いも付け加えられます)。それはそれである種意味のあることだとは思います。当然、顧問も学校も(時には親や生徒自身も)その趣旨に沿う事を意識しているはずです。 ではその部活の中身の評価はどのようにされるのでしょうか?ここが問題なのだと思います。礼儀や社会常識は、大きく外していれば社会人には判断ができます。但し、微妙な差は誰も正確に判断ができません。作法一つとっても○○流と××流があったりしますし、そもそも礼儀や社会常識はそのレベルの僅かな上下を競うものなのでしょうか?恐らく社会人として恥ずかしくなければそれで良しというのが現実的、一般的ではないでしょうか。担任の先生だってクラスの生徒全員を挨拶ができると評価した順に並べろと言われても困るでしょう。どうしても主観的になってしまい序列化しにくいというのが実際です。 一方、心技体は、試合や大会での成績に表れるという見方もできるというのが「部活命顧問」の後ろ盾なのではないでしょうか?僅かな差も試合になれば1点、1秒、1ミリの違いが客観的な数字として出てきます。そこでの成績を上げることが部活の中身の評価として最も客観的で、正確で(私個人的には全くそのようには思いませんが)、序列ができて説明しやすいのでしょう。先生だってペーパーテストの成績順に生徒を並べることは容易いです。 あの子はすごいよ!どの位すごいの?全国○位だよ!自己記録を○秒縮めたよ!なんてことは最もアピールしやすいですよね。「自分の時間を削って、様々な誘惑を乗り越えてこんなに部活を頑張った生徒だから記録も良い、だから学校卒業しても頑張れる」みたいな幻想が部活に関わる全ての人を惑わしているのではないでしょうか。良い記録を出してない人は頑張っていないのか?そんなことは無いですよね。部活を頑張った人はみんな学校卒業しても立派な社会人としてやっていけるのか?かつての有力選手やプロスポーツ選手が犯罪に手を染めて逮捕されるニュースは今も昔もあります。部活に燃えていなかった人はみんな社会でやっていけないのか?家などで趣味に没頭しその後その分野で大成した人も数多いますよね。部活をやっていようがいまいが、燃えていようがいまいが本当はそんなもん関係ないんですよね。 しかしながら、部活に燃える=心技体が充実=将来は立派な大人という幻想は実際には世の中に広く蔓延っています。従って、部活に燃える顧問(=理に適っているか否かはともかく技術指導もやりたがる人が多い)が特に体育系の団体では幅を利かすのが現実だと思います。逆に生徒の管理がメインで技術指導は今一つという教員は部活に燃える顧問から(たとえ無意識であっても)下に見られることが多いように経験上思います。
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勉強が合格点というだけの平凡な生徒より スポーツ大会で上位の生徒のほうが社会に出てからも評価が高いから それが正しいんです
>この様なタイプの発言権が強くなるのでその様な傾向に成るのでしょうか? 「この様なタイプ・・・」は部活有りきの指導者を指し示しておられるのですよね? また「その様な傾向・・・」とは、学生のライフスタイルが部活優先になるということでよろしいでしょうか? 私も学生時代(中・高)は、運動部に所属していた者です。 今思えば指導者の下、技術強化は勿論ですが組織の仕来りや上下関係を肌身で教えていただいたことは後の人生に役に立っていると思っています。 しかしながらいつの時代からか(外部から指導者を呼び寄せる、雇うようになった頃から)試合の勝敗が最優先になり、本来(それが目的かどうか分りませんが)の生徒の心身の育成になっているのか?疑問に思うスタイルに変わって来ていませんか? プロ選手の養成施設に入れたわけではありませんし、百歩譲ってもしそれが目的だとすれば社会の秩序や道徳等もレベルの高いところで教えれる指導者が望ましいと思います。 子供たちは社会に出ていると言っても、家庭と学校の狭い範囲内でしか行動していませんので指導者への忠誠心が全てであると勘違いすることもあります。 「部活の顧問」(教員)の話に戻りますが、、、其々の役割分担として、「顧問」は部活を通じて成長過程に必要なものを学ばせる場であることを忘れないでいただきたいと思います。
- aki43
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近年に成り、見直されてきましたが、昔の高校野球や強豪運動部の指導者は この様なタイプが多く、又技術指導ができ、強豪校に成るので中体連や 高体連でもこの様なタイプの発言権が強くなるのでその様な傾向に成るのでしょう >>時代差による違いでしょう 流石に根性論では現代では厳しいのでは.でも根性論だったからこそ体育会系が 強かったかは不明ですね引退後指導者とされてる方の話では 医学.科学などの情報があればもっと違ったのではって 指導者でも違うのでは バラエティとか観てると何~だ当時これ知ってたら人生違ったかもねって 言う方が居ますね(引退後タレントで出演してる祭に)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
特に人気の高い硬式野球となると、甲子園に出場でもすれば翌年の受験者数と偏差値が跳ね上がるので校長ら管理職も無視できないのですよ。スポーツによる成功はその学校の知名度と受験者数を増やす手っ取り早くて効果的な手段なのです。 私の卒業した高校も一度甲子園に出場したことがありますが、そのときは寄付金を求める書類が来たんですよ。で、こっちも一応OBとしては「そりゃあ甲子園まで行くならお金もかかるだろうなあ」と思っていくばくか献金したのです。たぶんその収益はバカにできない金額だったと思いますよ。 京都の伏見工業高校といったら、かつてはどうしようもない不良が集まるどうしようもない学校でしたが、ドラマ「スクールウォーズ」にもなったラグビー部の成功によって普通の工業高校になるレベルにまでなりました。 で、体育教師を批判するのは簡単ですが、これって結局「残業が減らない日本の会社」と同じパターンだと思うのですよ。本当は仕事も練習も集中してパッパと終わらせた方がいいのですが、どうしても「長くやってると頑張ってる感が出る」みたいな感じでみんなダラダラ残業や練習をしちゃうと思うのですよね。 これは日本人の持つ生産性の低さの根本的な問題に繋がるところだと思います。 またスポーツのようなものの場合、「こんなに練習したのだから勝てる」みたいな部分があるのも否めないですね。 でも全体的には今はそういう効率の悪いことはしない方向にあると思います。それこそスクールウォーズの時代には監督が部員を自宅に連れてきて食事を振る舞うなんてのは普通にありましたが、今の若い女性が自宅に若い子をドカドカ連れてきて成長期の男の子に腹いっぱい飯食われたらたぶんブチ切れて実家に帰っちゃうと思うのですよね。「なんで私がこの子たちのためにおにぎり作らなきゃいけないんだ」って。 今の40代くらいまでじゃないかなあと思いますよ、根性論の指導者というのは。30代以下の世代が指導者世代の主力になればまた時代も一つ変わってくると思います。
- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
恐らく件の体育会系教師は「試合で勝つのと負けるの、どっちがいい?」と部員に聞くでしょう。当然部員は「勝ちたいです」と答えます。 「そうだろう。勝つためには相手より練習しなければならない。当然頑張るよな」と言います。保護者に対しては「お子さん達は毎日厳しい練習を頑張っています。お母様方の協力が不可欠です。力を貸してください」と親も味方に付けます。更に校長に対しても生徒や保護者を味方に付けて思い通りにして行きます。必殺技は生徒と保護者の声を揃えての「お願いしますっ!」この効果を最大限に高めるために礼儀、挨拶、掃除には力を入れて指導しています。 このように洗脳、支配は強められていきますが、お気付きのように、全てが悪い訳でもなく、学校で重視されるポイントはきっちり押さえているのです。
- roadhead
- ベストアンサー率22% (852/3790)
筋肉馬鹿に恩情で教員免許を与えるから駄目なんです。 学生は本来学業を優先させるべきで部活動はあくまで二次的なものです。