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みてら
歌詞についての質問です。 「午前二時のブルース」 http://j-lyric.net/artist/a000447/l011261.html この中の「みてら」って何でしょうか。
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http://www.norari.net/bar/122311.php この情報の一番最後 ところで 歌詞の冒頭の「聖寺(みてら)」という言葉の意味がわからず 広辞苑を引っ張り出してきてみたり いろいろ調べてみたが、どこにも載っていなかった。 文脈から見て カトリック教会の聖堂を表しているような気がするのだが さて、どうだろうか。 謎、ですね
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- staratras
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No.2&3です。 >寺院というよりも寺院の門前の歓楽街やその地区の代表的建物を指しているんじゃないかと疑っています。候補地としては京都泉涌寺筋の繁華街。 興味深いお考えですが、以下の理由で少々無理があるのではないでしょうか。 1.皇室にゆかりがある泉涌寺は確かに「御寺(みてら)」と呼ばれていますが、この歴史ある名刹の日本的なイメージと「午前二時のブルース」という曲のその他の部分のイメージが合いません。 2.この曲が最初に発表(発売)されたのは昭和24年であり、終戦直後の泉涌寺付近に繁華街があったとは考えにくいこと。 3.この直後の昭和25年に発売された「リオのポポ売り娘」(ブラジルのリオデジャネイロで「ポポ(ポポー)」という果物を売る娘の意味です。)という、「みてら」がキリスト教の教会を意味する例が存在すること。 余談ですが、函館にある「ハリストス正教会」が建立された当初、地元の人々は賑やかな鐘の音色から「ガンガン寺」(がんがんでら)という通称で呼んでいました。キリスト教の教会を「寺」と呼ぶことは昔の方がよく行われていたのではないかと考えます。もちろん今でも「ウエストミンスター寺院」と言いますし、「サン・ピエトロ大聖堂」を「サン・ピエトロ寺院」と呼ぶ場合もあります。
お礼
「寺である」との仮定の下、色んな寺院の歴史を調べてみました。また、遠く異朝の「セントルイスブルース」から間近くは「上海物語」(さだまさし)まで、歌繋がりで推定してみました。 で、行き着いたのは、過去上海の日本租界だった「虹口(ホンキュウ)」。ここには(西)本願寺が1931年に上海別院を建立しました。建築様式は東京の築地本願寺と同様インド様式とイスラム様式が混在した建築物で、言ってみれば「非中国的&非日本的」。当時険悪な関係にあった日中両国を意図的に無視したような造りです(ちなみに現存)。藤浦洸が虹口の街を訪れたことがあるかどうかは不明ですが、もしあの寺を見たら、モダン派の彼が大いに創作意欲を掻き立てられたのではないかと思います。藤浦さん自身は一応泉涌寺も属する真言宗のようですが、仕事に宗派を持ち込むとは考え難いです。 あとは歌詞中の「夜霧につつまれて」。夜霧なんぞ世界中いたるところで発生しますが、上海は比較的有名な方と聞きます。 最後に、上海租界はジャズが似合う街だった。さだまさしさんの歌詞を引用すると「ジャズと軍歌の奇妙なハーモニー」 さて、困りました。これだけ材料を揃えても、「みてら」が寺であるという確信が抱けません。あれが映画主題歌だったら難なく解決するのに(笑) 言い足りないことはまだまだあるのですが、質問者が自分の考えをしゃべりまくるのは質問サイトのマナーに反すると思いますので、この辺で締切とさせていただきます。しかし、依然謎です。 ありがとうございました。
補足
ご検討くださった事項について 1.について 曲も含めて全体のイメージから言うと舞台(もしそれがあるならば)は日本以外のような気がします。例えば、1930年代の上海租界。上海で有名なキリスト教会と言えば・・・ この話はこの辺で止めておきます(笑) 2.について 昭和24年と言えば、「東京の屋根の下」が出た年でもあります。 キャピタル東京 世界の憧れ 私は「当時」の東京がどんな状況だったか詳しくは知りませんが、この歌詞は事実の一部を誤認しているとの感が否めません。 また、泉涌寺の門前町が戦災で焼野原になったという情報も得ていません。 3.について 目下のところこれが有力です。「御寺(みてら)」は、当時歌謡界の流行語だった・・・ということで容易に決着を付けないのが私が人に嫌われる理由です。
- staratras
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No.2です。御寺(みてら)の歌謡曲での用例です。これはキリスト教の教会でしょう。 「リオのポポ売り」(暁テル子)井田誠一作詞 御寺(みてら)の鐘に夜は更けて 心痛むポポ売り娘…
お礼
ありがとうございます。 やはり寺院ですかね・・・。 私は目下、寺院というよりも寺院の門前の歓楽街やその地区の代表的建物を指しているんじゃないかと疑っています。候補地としては京都泉涌寺筋の繁華街。ただその理由は泉涌寺の通称が御寺だから、作詞の藤浦さんが短期間ですが若い頃京都に住んでいたからぐらに過ぎません。その界隈の街を「みてら」と呼ぶ習慣があるかどうか・・・。 質問者が回答まがいの発言をして申し訳ありませんが、これを質問文の補足として併せてご検討いただければ幸いです。
- staratras
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御寺(みてら):寺の敬称でしょう。 ただし歌詞の印象からは、仏教の寺院よりはキリスト教の教会の方が似合うように思います。以下の用例のようにキリスト教の教会に対して「御寺」という表現を使う場合もあります。 〇「「…やがてはこの国も至る所に、天主(てんしゅ)の御寺(みてら)が建てられるであろう。」 オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径こみちを歩いて行った。」 (「神神の微笑」芥川龍之介) ○「聖ピエトロの御寺の火は、昔カインの奔(はしり)しとき、同胞の躯(からだ)を供へたる贄卓(にへづくゑ)の火のゆくてを照しゝ如くなり。」 (「即興詩人」ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳) 〇「暮れのこる邪宗の御寺(みてら) いつしかに薄に青くひらめけば ほのかに薫ゆる沈の香、波羅葦増(ハライソ)のゆめ。」 (「邪宗門」北原白秋)
お礼
ありがとうございます。 そんな気がしてきました。
補足
一言追加 「邪宗の御寺」という表現は面白いですね。全然敬意が感じられません。
お礼
ありがとうございます。 聖堂だとすればその所在地は、お山の上とかではなく市街地の中でしょうね。 もしやニコライ堂(カソリックじゃありませんが)とか・・?
補足
すみません、調べたらギリシャ正教会では聖堂のことを「寺院」とは一切言わないそうです。 少し対象が絞られましたねw