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ユーモアのある表現力を身に着けるには?
つたないたとえですが、手伝ってもらえる手の空いた人を探すとき、「力強い心強い人はいませんか?」といったことがあります。 面白いたとえをしてユーモアのある表現力を身に着けるにはどうするか、小説を読むしかないのでしょうか?できない原因と対策を教えていただけますでしょうか。
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ユーモアにせよジョークにせよ、 人を見て展開しないと極めて危ういです。 控えめにウィットを展開してみるのは どうでしょうか。 ブラック・ジョークは、誤解を生じてしまい がちで、実生活でも危険なので、 ネット上では、一切展開しない方が 賢明です。 <ウィットは、シェークスピアの原文を読んで 研究して、自身のウィットをシッカリ完熟させてから 展開するようにしてみませんか>
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- ithi
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kokokuja さん、こんにちは。 あなたはおいくつかわかりませんが、そういう表現力は子供のころから身につけないと自然とはいかないものです。今のあなたなら、いつもTVでCMや本を読み、冗談のネタを探すくらいでないと身に付きませんよ。特に動きがぎこちないでしょうからね。
お礼
ありがとうございます
ユーモアというのをどう理解して、 どこまでがユーモアかそうでないかが難しいんですよね。 で、ユーモアの定義は「人を和ませるおかしさ」と言われます。 文章や会話の中に人の心に訴えるおかしい要素を取り込み、 自然と相手を笑顔にすること、と解説されています。 体を張っておかしく表現するものではないもので、 そのへんがジョークとは違います。 したがいまして、テレビのお笑いとかバラエティとかからは、 ほとんど得られるものはないと思いますよ。 「(単純な)面白さ」ではなく「おかしさ」なんですよね。 芸能人ばかりがスタジオに集って、あることないことしゃべる・・ これは(良くも悪くも)面白さであって、おかしさではありません。 ユーモア(Humour)はヒューマン(Human)を語源として変化した 言葉ですから、そこに「人間味」だとか「やさしさ」、「思いやり」 などの要素が入ったものでなければなりません。 頑張ってユーモアを言ったつもりでも、受け手にとっては 単なるジョーク、下品なジョークになる可能性もあります。 ユーモアを言おう、言おうとしてもたぶん簡単には出てこない でしょうし、また小説を読んだところで自分の引き出しの能力が 低いなら、ユーモアが書かれてあるのにユーモアと認識せず 素通りすることだってあります。 私が思うに、ユーモアのセンスというのは酸いも甘いも、 苦楽も経験した人が持てる要素だと思いますね。 なかなか難しいですけど、そこに自分の人生や人生観が ともなっていないと出来ないんでしょうね。
お礼
ありがとうございます
- kangaroo-D
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オススメは海外ドラマですかね ごりごりのコメディものだと、ジョークがくどくなってしまうので、刑事ものやラブコメものくらいがちょうどいいかも 日本のドラマもドラマ全体の質は負けていませんが、ジョークやウイットのきいた会話のセンスは海外ドラマには勝てませんね 皮肉を言われたりバカにされたりして、普通ならケンカになったりしますが、それをジョークで返してやり込めたり、笑わせたりというのは向こうのドラマの面白いところです もちろん、ドラマなので現実には、向こうでもホントにケンカになったりするのでしょうが、そういったジョークに対する理解があるのでしょうね ジョークに対する理解は違うので、おそらくドラマのなかのジョークをそのまま日本で使えば「何いってんだこいつ」とはなるでしょうが、会話の間というか、返し方というか、会話の楽しみ方のこつみたいなことがわかるかもしれません あと、ジョークに必要不可欠なのは知識と語彙です ジョークはバカには扱えませんからね そういう意味では読書は必要でしょう
お礼
ありがとうございます
- drum_KT
- ベストアンサー率43% (1108/2554)
そういう類のユーモアを身につけるのであれば、小説よりもテレビでバラエティ番組でもたくさん見て、自分がたくさん笑った方がいいんじゃないですか? 自分で楽しめない人が、人を楽しませることはできないと思います。
お礼
ありがとうございます
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
できない原因は相手を見ていないからです。 ここのサイトでも「一生楽に生きていける資格は何でしょうか」みたいな質問がありますが、これと似ています。 この資格の質問は、何がしたくてどういう苦労を引き受ける覚悟があるかを明示しないと回答しようがありません。 たいがい医師なんかになれば一生生きていけると思います。だけど、医師というものになりたいのか、がまず必要です。血を見るのがいやだなんていう性格だったら最初からその選択肢はないわけです。 ユーモアの話題にしますけど、相手が何に笑い、何を喜ぶか研究もせずに、何か一言いって笑わそうと考えることが本末転倒しています。 触ってはいけない話題もあるわけで、それを普通地雷と呼びますね。 落語家が持っている定番のお笑いはたくさんありますが、どれもがいつでも受けるとは限らない。前日大うけした話題を本日しゃべるとなにかしらけたムードが漂っていた、なんていう話は誰からも聞きます。とはいえ絶対にいつも受けないわけじゃなく、何の意図もなしにふとしゃべった口調がやんやの受けになり、それを契機にその寄席での名物になるなんて言うこともあるのです。 この「ふと」笑われる、というのは、いくら落語家でもいつでもあるわけじゃなく、ときどきご祝儀みたいに発生する、タナから落ちてくるぼたもちなんですね。 なぜそういうことに出会うかというと、普段からどうしたらこのお客様は喜ぶか、せめて安心してお帰り頂けるか、と考え続けているから、笑いの神かなんかがごほうびでくれるわけです。 普通の仕事場の会話でうまく受ける人というのは周辺を良く観察しています。そしてこの人はこの話題がでると意識を失うなんていうことを観察する。そしてなんでもないときにそれをぽっと発言するわけです。 ユーモアだのエスプリだのいろいろ論じている本がありますが、こまかなテクニックばかりです。 技術ばかり聞いてもうまい職人にはなれないし、そもそも手品みたいな技を読んだって自分がすんなりできるわけないんです。 この人は何に喜んでるかな、何という言葉に反応するかな、と普段から観察するというのが第一歩です。
お礼
ありがとうございます
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
ユーモアをどのように定義づけるのかにもよるかもしれませんね。 お笑い。と捉えれば,お笑いにも幾つかパターンはありますし, だじゃれとすれば,韻を踏むなどでしょうし, 小説や映画から切り取ると確かにおしゃれかも知れないですが,古くさすぎたり,おしゃれすぎて伝わらないって事もありそうですね。 さて,元来人間は,ボケ担当と,ツッコミ担当がいます。 あなたがツッコミ担当のほうであれば,この望まれているボケのおしゃれなものとしてのユーモアを連発することは無理に等しいです。 むしろ,まわりで意識的か,無意識かにぼけた人にたいして,其れを笑いに成立させることを意識すべきです。 「力強い心強い人はいませんか?」 と声が掛かったときに, ハートの強さならまかせてくださーーい。 とか 力と心とはどっちが優先ですかーー とか, また上手いこといってー。手をあげるのがこわいわー。 とすこし誤解も入りますが,「力強い心強い人はいませんか?」だけではしーんとしてしまう可能性があるのを,このようなボケを拾うことで笑いに納めるのがツッコミの担当です。 「力強い心強い人はいませんか?」を言う人は元来ボケの星のもとに産まれたので,同じ言葉でもすこしコミカルかも。とまわりがすこしだけ構える何かをもっているものです。 つまり言葉だけを習得しても,間や声,響きや語尾の消え方などいろいろな場面で天性のものが左右されますので, 私はどうしてできないのか。と考えたときに単なる笑いやユーモアの勉強不足なだけなのか,元来そちらの役回りには向いていないのかは,考えた方が幸せですよ。 関西人は,小学校のころから自分はどっちかな。と思いながら生活しています。 小さいときはボケにあこがれ,小学校などでは上手くぼけられる子がサッカーが上手い子よりも人気があったりしますが,中学生ぐらいになると,スマートに突っ込める頭のいいツッコミもよく見えてきます。 関西人は素人でも面白いとよく言われますが,日々の英才教育プリは,ブラジルのサッカー以上かも知れませんねw (ちょっと盛りすぎました) ご質問からすこし離れてしまいましたが,話題ついでにご参考になさってください。
お礼
ありがとうございます
- tknkk7
- ベストアンサー率11% (378/3310)
〇案ずるより、産むが先。※
お礼
ありがとうございます。試せばいい、ということでしょうか?
お礼
ありがとうございます