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東ティモール問題のインドネシアの行動について
東ティモールはポルトガルからの支配から解放された後独立を宣言した際にインドネシア政府によって強制併合を宣言されたはずですがそこで質問です。 なぜ、インドネシアは東ティモールにこだわり独立を認めなかったのでしょうか? 単に西ティモールと地続きだからでしょうか、それとも資源などのほかの理由があったのでしょうか。ぜひおこたえください。
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まず、1974年にポルトガルで社会主義者の軍人らによってクーデターが起きたのち、社会主義政権が誕生しました。 その後、ポルトガル新政権は、自国の主な植民地を独立させると発表して、東ティモールも独立国になれることになりました。 この頃、東ティモールで最も大きな勢力を持っていたのは、社会主義的なフレテリンという政党でした。 これにより東ティモールには、フレテリン主導の社会主義政権ができる可能性が強まったのです。 これに強い危機感を抱いたのが、隣接するインドネシアだったのです。 インドネシアのスハルト大統領は1965年のクーデターで、社会主義傾向が強いスカルノ政権を倒し、反共政権を作った人です。 国内に親中国派の共産主義者がたくさんいるとして、多くの中国系住民を弾圧していました。そんなスハルト政権にとって、すぐとなりに社会主義の東ティモールが建国されることは、嫌悪すべきことであったのです。 東ティモールには、フレテリンに対抗する勢力がいくつかありましたが、いずれも人数の少ない弱いものだったのです。 インドネシアは、その中のいくつかに働きかけ、大量の資金と武器を秘密裏に供給し、親インドネシア勢力として育てて行きました。 そして、彼らとフレテリンとの間の武力衝突が広がるように仕向けた結果、東ティモールは内戦状態に陥ったのです。 その後、インドネシア軍の子飼いの東ティモール人勢力からインドネシアに対して、混乱を収拾するために軍を派遣してほしい、との要請を出させ、それに応じるかたちでインドネシア軍が東ティモールに進撃しました。 その翌年、インドネシア国民評議会は、東ティモールをインドネシアに併合する決定を下したのです。
お礼
大変分かりやすい解説でした、ありがとうございます