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「自己責任論」とは誰かの教えでしょうか
「なにかあっても全部自責だと思わないと成長しない」という感じのことをききますが、これはもともとは誰かの教えでしょうか。
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語源から自然にくる話です。 そもそも責任というのは英語のResponsibilityを翻訳した言葉です。 この語を分解してみると、Response+abilityですね。どういう意味になりますか。 お返事ができるということです。Responseですから。 あることに関して、この人なら質問したら正しく答えてくれるという人がResponsibilityを負っている人です。 どういうことかというと、単純にいえば住まいでいうならその部屋の住人というか持ち主です。 305号室のことなら住んでいる町田さんにきかなきゃわからないよ、がその部屋の持ち主ということです。 この町田さんは、別に高度なことをしているわけではないけど、自分の部屋の中のどこに椅子を置き、どこに本棚を置くかの自由を持っていて自分の好きなように置いています。ガスコンロのおき場所も、ポットのおき場所も自由にしています。 305号室に住む段階でその権利は与えられるわけです。 町田さんに、村上春樹を貸してよ、と頼んだら、部屋のある自分の本を出してきて貸してくれるわけです。 しかし、この部屋の中からボヤを出したり水漏れを起こしたりしたら、それは全部町田さんのせいなんです。謝るにしても賠償するにしても町田さんがやらなければなりません。 こういうことをResponsibilityを持っているというのです。つまり責任を持っているという意味です。 当然ですが、この305号室を含むコーポセゾンというものに関しては、オーナーである阿久津さんが責任を持つのです。 責任というと往々に不始末をしでかした時に辞職するとかそういう意味ばかりとらえられますが、管理をまかせられ、それによって発生したことに対して対応をするという意味です。ですから自由と結果への引き受けとがセットになっているのが責任なんです。 これが責任の原理です。 仕事でも、経理を任せられて経理部長なんかになるなら、経理のことに責任がある、つまり経理のことを訊けば絶対に答えられる。誰と誰を部下に持ちそれぞれに何をさせるかの指示権を持っているのです。 しかし経理上の事故が起きたら経理部長が進退を考えなければならない。そういう全体を責任というわけです。 ある仕事をするとき、これは自分のものだ、自分の部屋でやることだ、と考えてやるならそれなりに注意をし、処理の能力も磨きやっていくはずです。 ひとのものだと思って単純にお手伝い感覚だったら、何が起きても逃げればいいだけです。 これを、自分の責任として考えないと成長しない、というのは当たり前です。
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- ノーバン(@nobound)
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たぶん弱者でも自己責任という、アメリカ人の発想を取り入れていると思います。 日本は本来お上依存で、困った時は政治に頼る体質ですが、都合が悪くなると「自己責任」論が上から出てきます。 日本は誰も責任をとらない。政治でも自衛隊の日報データを誰かが消去したらしいが誰の責任か全くわからない状況がある中で、一般個人には「自己責任」を押し付けるおかしさですね。 自分たちの自己責任、バブル期の箱ものや今の借金の自己責任などはどうなのかと。「共謀罪」が何で今盛り上がっているのかも、全然わからないんですが、また選挙の合間を縫ってという感じでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >たぶん弱者でも自己責任という、アメリカ人の発想を取り入れていると思います。 最近言われる自己責任とは、そのあたりから、なのかもしれないですね。 >「共謀罪」が何で今盛り上がっているのかも、全然わからないんですが、また選挙の合間を縫ってという感じでしょうか? 最近途中まで読んだ菅野完さんの「日本会議の研究」によると、全体としては「保守革命」なるものをしようとしているらしいです。webでも読めるようなので、貼っておきます。 https://hbol.jp/62818
- heyboy
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自分が「自己責任」と言う言葉を知ったのは インターネットは全世界に広がっているから 法的強制力が国々で違うために しっかりした善悪の区別が曖昧なので たとえ、その国で法に触れる事をしたり そのようなホームページを開設しても その人が責任を取る意味合いからだったような気がします。 元々、リアルからそうですけど ネットと言う仮想空間からさらに強調されたとは 思われますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の情報発信については、自分が責任をとるんだ、という感じで使うわけですね。
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/teiron/article/284107 これを読んでみたのですが 教え・・・とは、ちょっと違うかな? と思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 平野啓一郎氏のコラムですね。 「「自己責任」論者は、人間をただ、国家の労働力としか見ない。が、人間は本来、多面的な存在である。」 とありました。 そうなんですよね。 こういう形で教えられる人、世の中にどのくらいいるだろうかって思いました。
- edogawaai
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最古は知りませんが 聖書の時代には、既に有る様です エゼキエル18章20節に 「罪を犯した者はその者が死に、 子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負い目めがない。」 とあります。この節は、罪を犯した人の罰は その人が受けなければならないことを明らかに示しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そんなに昔からとは驚きました。 その文章は、文言通りであれば、何かあってもそこの家の連帯責任にはしないということでもあるから、個人主義の担保のようにも思えます。
お礼
なるほどー。Response+abilityから責任。 自分を鍛えるという観点でよくわかる回答をありがとうございます。