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学習指導要領の試案に関して
昭和28年度以降の学習指導要領(改訂版も含む)には、試案の文字がなくなっています。なぜなのか、ご存じの方教えてください。
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「試案」の文字が消えた学習指導要領は1958年10月に告示されていますから,昭和28年ではなく,昭和33年ではないしょうか。 1958年(昭和33年)の指導要領から「試案」の文字が消えたのは,「法的拘束力をもつ」ことを打ち出したためです。これには,2つの意味があると思います。 戦後教育がGHQ指導のもとでスタートし,1948年と1951年発行の指導要領の時点では日本政府には決定権がありませんでした。その内容は,アメリカの要求(命令)により(特に理数系を中心として)大幅に削減されたものでした。これに対して(特に1951年の「生活単元学習」には)国民は猛反発したとされています。 そういういきさつのため,「試案」という言葉でGHQと国民の両方の顔色をうかがったわけで,実質的な拘束力は弱かったのではないかと思われます。「試案」の文字の削除は,日本人自らが自国の指導要領を決められる権利を取り戻したことを意味し,法的拘束力により教育秩序の回復をねらったのでしょう。 一方で,10年以上の教育の空白は大きく,もとに戻せるかという心配も大きかったようです。教師に必要最低限のことを教える義務を課したのも,当然のことだったと思われます。 今行なわれている「ゆとり教育」は,この過去の失敗の繰り返しであることがわかります。(先の失敗はGHQによる命令で仕方なかったが,今回は・・・)
お礼
ありがとうございました。私も指導要領そのものの書き方や内容を見て、お上の意向の存在を感じていました(思想的にどうこうということではありませんが)が、時代の背景的なこともわかり、とても助かりました。ありがとうございました。