仮にあなたの説が事実としても、
そのような人生はあまりにもイニシアティブのないものに思えるので、
知っても知らなくてもそんなに変わりはないと思えるので、
説得力はないと思います。
私は別の考え方を持っています。
それは自分自身に関することはすべて、自分が選択しているというものです。
私たちは、誰か強力で偉大な存在から適当に割り振られるようにして、
それぞれの人生を始めたわけではなく、
すべて自分自身で決めてきているというものです。
アドバイスや援助、気づきの導きは他の存在から与えられたにせよ、
人生を始めるにあたり、どのような理由によって、産まれるべき時代や国、
家族、人間関係、人生において乗り越えるべきハードルなど、
大まかな人生の青写真というものは、自分自身が承知したものだと思っています。
私は今回は日本人として生まれましたが、
それは日本人のメンタリティーや文化など、善悪含めた日本人的なものが
私の本質にとり刺激となって学べるものがあるからです。
同じように誰もが、動物たちでさえがそうなのです。
気候一つをとってみても、寒い、常に暑い、曇っている、乾いた砂漠の気候などから
私たちは精神的、心情的に影響を受けるのです。
ですから私は、たとえば特異と思われている国に住む人々のことを考える時、
彼らはその国に生きることで受ける困難や厳しさ、
あるいは素晴らしさを経験することで、
それを通して学ぶことを選択した人たちなんだなと思います。
それはたとえ、彼らが自分が選択したことを忘れているとしてもです。
その視点から眺めるとき、
あなたの、「どの国も地球、誰もが人間・・」に同意することができて、
誰もがお互いの成長・進化のために与えるものを持っているのだと思います。
お礼
Mokuzo100nenn様、ご回答ありがとうございます。 環境は大事なんですね。