国の借金=国債は、明治3年に鉄道建設のために発行されました。当時は国内では新貨幣制度(円)が確立される以前の段階で、幕府の貨幣制度が残っていました。また各藩が独自に紙幣(藩札)を発行していたので、全国的な貨幣の統一が望まれていましたが、それは後にのことです。
国債の資金源として英国のポンドによる借入をしたようです。当時は日本は極東の辺境地にある、有色人種の住む野蛮な国だと思われていましたので、国に対する信頼が薄く、金利は9%の高率でした。これはエジプトやルーマニアよりも条件の悪いものだったようです。
これ以前には明治元年に戊辰戦争の戦費として、京都や大阪の商人から資金を調達しましたが、この段階では借金(=国債)なのか、寄付(=献金)なのか、税なのかが不明でした。現在のように公開して債権を売りに出すのではなく、秘密裏に金銭のやり取りをしていたので、その後の国債とは性質が違うのです。
お礼
ありがとうございました。