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★日本の官僚制度について・・・★
既に制度破壊していませんか? 確かに高度成長までは素晴らしいものでした。 でも、バブル崩壊以後、百害あって一利なしになっていませんか?・・・ 無用の長物ではありませんか?・・・・・・・・・・・・・
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官僚がいなければ国はまったく機能しません。 たとえば日米首脳会談とかありますが、実際には官僚による事前協議で大筋は決められています。だって一時間ほどの会談で、そんな重要なことを決められないでしょう。 議員立法とかいっても、細かいところは官僚のアドバイスがなければできません。 残念ながら官僚を凌駕するほどの能力を持つ政治家など、ほんの少数しかいないのが実情です。
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- bismarks05
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質問を理解するための前提知識が問われるものだと思うが・・・ 一部回答者に、その回答するための前提知識から間違っている部類が見受けられるが、それについて仔細述べることは自重しよう 『日本の官僚制度』という総論的な表現については、質問者の理解深度が不明瞭だが 例えば、国政官僚・地方官僚では次元が異なるし、司法官僚・行政官僚でもまったく次元が異なることは指摘するまでもないあdろう。 回答者の多くは、単純に”国政行政官僚”だけでしか回答していないが、その回答の適否についてはもう少し思慮されるべきだろう。概して、安易かつ直感的な回答が多いのは、程度問題だろう。 もっとも質問者の総論的な表現からするに、地方官僚・司法官僚など想定していないように推測されるので、ここは、国政の行政官僚だけで回答しておこう >既に制度破壊していませんか? 総論的にみれば、制度崩壊(制度破壊という表現は間違いだろう)を起こしているとは思えない 確かに国民の視線からすれば、官民較差含めて不条理・不合理を見出す部分はあろう。しかし、それは官僚制度の本質的な箇所ではなく、制度を評価する側の知識によるものだろう よくよくフランス官僚制度・英米の猟官制との比較で論じることが多いが、これらを日本国で実施することの現実味を思慮していない評論が多い 日本の政治システムの実態として、行政法の立法・解釈の主導権は明らかに官僚によるもので、立法府が実施的な立法支配力を持っているわけではない。これは比較される諸外国にも通じるがその程度が雲泥の差があることを踏まえていない場合が多い 同時に、官僚の出世レースに落ちぶれた元官僚が『霞ヶ関の実態』などと評して、内部批判的に評論するのは、すでに恣意性が介在するものであって、すでに客観性を持たないものが多い。(嫉妬から批判している程度の本も多い) 確かに行政処理能力とは別次元での昇格人事などが行われる実態はあろうが、これは民間でも同じことであり、人事においては廃除できない不確定要素の部分が大きいのである。 これを制度問題として批判するのは勝手だが、普遍的に克服できない問題の存在を理由にして、制度崩壊というのは軽挙すぎるだろう。(軽挙がウリな人間も多いが) 制度総論としては、実務スキルの評価の難しさがある。立法セクションと担当する官僚・行政運用を担当する官僚では求められるスキルは異なるし、思考回路も異なる。 それらのベクトル・バイアスの相違に対応するために人事刷新が行われるのだが、その刷新において適材適所とは言い難い結果論は生じえるだろう。では、制度として常に適材適所が保障しえるものがあろうだろうか? 質問者も回答者も、現在の「制度が崩壊している」という批判だけで、代替する制度について思慮もしないで論説している。 これは、小学生の批判と大差ないだろう。(自覚はないだろうが) そもそも、官僚は、政治家の策定した大戦略(グランドビジョン)を細部・仔細に渡って整合性を整えたり。齟齬が生じないように修正・補正するのが主要業務であり、本来政治家が果たすべき領域が未策定である以上は、官僚たちが独自のヴィジョンを暫定的に創造して、実務対応するしかないのであろう。 その典型例が、憲法解釈問題における内閣法制局であるが、仔細は割愛しよう(質問者が理解できるとは思えないこともあるが) 仮に日本の官僚制度が崩壊しているとすれば、置換・代替する制度を模索するのが建設的であろう。 現状、日本の官僚制度の不備があることは否定しきれないが、それを是正するために必要なコスト・それによって発生するリスクのヘッジすら思慮しないで、「ダメだ!」と論じているのは、幼稚であろう。 >確かに高度成長までは素晴らしいものでした。 なにをもって素晴らしいのだろうか? 高度成長時代云々以前に、官僚の行政計画モデルが、右肩上がりの社会・経済モデルである以上は、制度が素晴らしいのではなく、計画が実現しやすかっただけに過ぎない。 制度の問題ではなく、官僚の描く計画が計画以上の予算的余裕があってこそ好意的に評価できるに過ぎないだろう。 小生からすれば、高度成長時代こそ官僚制度の弊害(つまり理論・計画モデルの実現性が高いことによる失敗回避の業務能力の習得機会が得られなかったこと)が問題なのであって、高度成長時代は、官僚が生長できない最悪の時代であろう。 質問者は、あくまでも官僚制度を被支配民の実感レベルでしか認識できないだろうが、それは制度論としては極めてお粗末な見解であろう。 諸外国の官僚制度は、情報公開を元にした市民の監視によって緊張関係によって健全化されている。(典型例が北欧のオンブズマン制度である) 「官僚制度が悪い」という認識は、本義、監視するべき市民が行政監視を怠ったが故である部分が大きいと言えよう。 なにより、政治情報の寡占状況にある日本の国政行政官僚に反論・反駁するための情報がない状態を座視していた高度成長時代から現在までは官僚の悪い意味での絶頂期であって、これは官僚制度ではなく、官僚監視の問題であり、官僚統制の制度の問題であろう。 官僚統制の失敗例が、原子力保安院であるが、監視の主従が緊張関係にない政治機構などは官僚制度の問題ではなく、政治家・国民の怠慢でしかない もっとも、質問者・回答者は、おおよそ官僚を過大評価し、行政監視などの視座もなく、投げっぱなしの部類だからこそ、他人に責任転嫁して批判するだけの怠惰だろうが・・・ >でも、バブル崩壊以後、百害あって一利なしになっていませんか?・・・ 質問者の「利」の判断基準が知りたい 小泉改革で新古典主義的な行政改革が実施されても、官僚制度の問題なのだろうか? 総論的に勘案して、害悪の方が大きい、という認識なら理解できるが、『一利なし』という評価は、もはや質問者が官僚の政治主体能力・行政意思決定能力を査定する能力がない、としか判定できない。 つまり、無知 としか思えない。 以上
- hekiyu
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かつて、日本の官僚は世界一と言われたものです。 世界一、といったのは米国です。 日本の官僚が一番手強い。 それは、 1,途上国だったので、やるべきことが 明確であった。 つまり国家目標がはっきり見えていたのです。 2,天皇の官吏としての誇りがあった。 つまり、政治家は一部の代弁者に過ぎないが 官僚は、日本全体の利益を図る存在として 公の体現者であった。 そういう誇りがありました。 それが、現在では先進国になって目標が見えにくくなり ました。 自民党政治が永く続き、政策に精通した政治家が 出てきて、相対的に官僚の地位が低下しました。 特に田中角栄の時です。 福祉元年という名の下長期低迷中だった自民党への 支持を掘り起こすため 年金受給額を大幅に増やしました。 これが今日の赤字財政の発端になった訳ですが これを防げなかった官僚は自信と誇りを失った のです。 ただ官僚が存在しないと国家は運営できませんから 例え質が落ちたとしても、官僚の存在は必須です。
使い方が悪いだけだと思っています。 政党政治というのが、基本的に怪しい集団に成り下がっているわけです。 政治の素人がウダウダやって、ごにょごにょやって金を巻き上げる相談をやっている横で、専門職としての力を発揮してきたのは官僚たちです。 外国とは違う政治体系をとっていますので、一概に一利無しとは言えないと思いますよ。 >無用の長物ではありませんか?・・・・・・・・・・・・・ パイロットではない人の操縦する飛行機に乗るようなモノです。 乗りますか?