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鰻の生態と渡り鳥の生態はどこか似ているのでは

鰻は一生に一回で、渡り鳥は毎年であるところは違いますが、なぜ多大の労力を使ってこのような生態を保持しているのか不思議なところは共通しているように思います。実際はどのように理解すべきなのでしょうか。

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  • fujic-1990
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回答No.2

 はい。  「自分が生まれ育った所には、自分の子孫が生まれ育つことができるような環境がある!」  という確信に基づいて「渡り」は行われている、という点では鰻などの魚もアホウドリなどの鳥も同じですね。  頑張って自分が生まれ育った所ではナイ所へ行ってみても、そこはとんでもないところで自分の卵が全滅するかもしれないわけですから、自分が生まれ育った所へ戻って産卵・子育てしたいという気持ちはよく分かります。  不思議なのは、いったいどうやってこの広い地球で、特定の場所を発見できるのか、ということだと思います。  とくに、山脈やメキシコ湾などを越えて北米と南米の間を行き来しているチョウがいます。  この種は、1度の往復の間に数世代代替わりするんです。つまり、1度の旅の途中で「産卵、孵化、毛虫、さなぎ、成虫」の過程を数回繰り返すのです。その間、目的と目的地を忘れない。  一体あの小さな脳がどうやって目的地を発見しているのか、そこへ行きたいという意欲がどこから生まれるのか、実に不思議です。

kaitara1
質問者

お礼

この不思議さは、環境に対する頑固なまでの信頼というものを失っている人間という生物(われわれ)にとっては,憧憬に似た感慨を生むように思います。つまりあなたのおっしゃる確信が正しいことを確認するために、それだけの多大の労力を惜しまない。人間は逆に常に安易な道を歩んできたようにも思います。しかし極北にまで生息域をひろげているのは、やはり多大の労力を惜しまなかったからかもしれませんが…。そういう鳥や魚類は人間が発達した脳を持っているのと対照的に余計なことは考えないという単純な神経系を最大限使っているようにも思えます。

その他の回答 (1)

  • tzd78886
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回答No.1

渡り鳥には渡るのをやめて居ついてしまうものもいますが、ウナギに陸封型などは存在しませんので、全く別物だと思います。