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旧帝大文系の修士・博士課程進学について悩んでいます
- 旧帝大文系の修士・博士課程進学について悩んでいます。研究者になるためには時間と費用がかかりますが、文系の場合就職先が少ないことが課題です。
- 大学で東洋哲学系の専攻を選び、将来は研究者としての道を歩むか悩んでいます。博士号を取得するには7~8年かかるため、結婚や家庭を遅らせることも心配です。
- 早稲田文学部と旧帝大文学部に合格した経験がありますが、現在は大学院進学を後悔しています。将来の可能性を考えると不安が募ります。
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まだ3年生の前期の段階ですよね。それではまだ専門科目のとっかかりを知った程度で、大学院以降の研究の世界がどのようなものであるか、自分だけでの判断は難しいと思います。 あなたがいま悩んでいることを、そのまま、指導教員や院の先輩に話してみてはいかがですか。あなたの性格や研究に対する能力など、なにも知りえない赤の他人よりも、普段のあなたの大学での様子を知っている人、そして何よりもあなたがめざそうとしている研究の世界を知っている人の意見を聞くのが、一番だと思います。 指導教員は、いわばその道の「成功者」ですが、院生時代にはそれなりに苦労もされたでしょうし、挫折していった同期や先輩後輩の姿も見てきてもいるはずです。 指導教員や先輩院生の意見をそのまま受け取って良いかどうかは別として(彼らはあなたの進路に責任は持ちません)、いろんな話を聞くうちに、あなたの中で何か考えがまとまるかもしれません。 世間体を気にした就職や収入のことを考えるのであれば、文系は、学部卒で就職してしまったほうが楽だし良い結果になる可能性が高いです。文系、しかも哲学系で研究職をめざすのはバクチに近いでしょう。 ただ、大学受験の「過去の栄光」を引きずって、大学・学部の選択を今更後悔するのはやめましょう。あなたは、そのときに自分で最善と思える判断をしたはずです。もし他大学や理系学部に進学していたら、それはそれで、今頃「あのとき哲学科を選んでいたら、研究者になれたかもしれないのになあ…なんで実利を考えてこんな学部に来ちゃったんだろう」とか後悔していたかもしれません。どこにいても、隣の芝生は青く見えるものです。 >今後7~8年とそれにかかる諸費用を学問に費やし 資金の問題は、重要ですね。まず、常勤職就職までの間、ご家族の理解が得られるか、金銭的・精神的な支援が得られるか。 研究に対する意志がどんなに強くても、生活のためのお金が無くては、心がすさんでいきます。生活のために、アルバイト(予備校講師など)にかける時間が多くなり、それで研究の道からドロップアウトしてしまう人も珍しくありません。教員免許を持っていれば、途中で高校教師(有名難関私立など)への就職に切り替える人もいますが、いまからでは教員免許取得は難しいでしょうね。 奨学金は、旧帝大の院生ならば得やすいでしょう。理系よりは不利ですが、文系でも旧帝大の博士課程はほぼ得られると思います。修了時に成績優秀であれば、返還免除(第一種)の可能性もあります(文系は学内での割り当てが少ないでしょうから、あまり期待はしないほうが良いでしょうが)。 博士後期課程では、学振(DC、PD)はもちろん申請するべきですが、文系は理系に比べて採択が難しいです。もし学振に採択されたら、それは研究職に就くのと同義ですから、金銭的にも研究歴的にもひと安心です(期限付きではありますが)。 >おそらく結婚・家庭づくりも周りの人より遅くしてまで これは人によります。理解のあるパートナーと学生(院生)結婚して、配偶者に支えてもらいながら研究に専念している男子院生もわりといますよ。妻が一家の大黒柱として働き、夫は院生として勉強しながら主に家事を担当、というやり方です。独身よりもいろいろ控除や補助を得やすいし、このパターンの若い夫婦は世帯収入が少ないので、授業料の減額や免除の対象にもなりやすいようですよ。 この場合、妻は公務員や教師、看護師など、収入が安定していて男性と待遇に差がない職業の場合が多いですね。妻か夫の実家が資産家(=親に養ってもらっている)、というパターンもあります。 男のメンツが、プライドが、とか考えるようでしたら、妻に支えてもらう学生結婚はやめたほうがいいでしょうね。破綻しますので。 まだ3年生の段階です。もちろんリスク回避は大事ですが、リスクばかりを考えすぎて、一般論に振り回されるのもどうかと思います。まだ、自分自身の能力や意欲を見極められるかどうか、という段階でしょうに。 就職活動も若干手遅れとか尻込みする前に、やってみればいいじゃないですか。他の人は絶対に就職しなければ、と考えているから必死にあちこち就職活動をしますが、あなたは院進学も考えているのですから、院進学と天秤にかけて「ここなら就職してもいいかも」と厳選したところだけ、就職活動すればいい。 就活をしてみて、縁があって良いところに内定をもらえたらそのまま就職してもいいし、「やっぱり一般企業よりも研究職だ」と思ったら、院進学への迷いもなくなり、後で後悔する可能性も低くなります。 就職活動は、受験と違って、成績順に合格するものではありません。相手との相性の部分が大きいです。相手がそのとき求めているものと合わなければ、どんなに優秀でもゴメンナサイ、となるのです。いわば、お見合いです。お見合いでも、一般には高スペックとされる人だとすぐまとまりそうに思いますが、必ずしもそうとは限りません。 院進学して将来研究職に就く(分野的に、就職先はほとんど大学でしょう)としても、就職活動をして「大学生の就活とはどのようなものか」「就活の試験や面接はどんな雰囲気か」を少しでも知るという経験は、マイナスにはならないと思いますよ。 最後に、研究職への適性とは、(ご承知だとは思いますが)受験時の成績とはあまり関係がありません。大学受験は、与えられた課題を解く能力がはかられます。対して研究職(大学院以上)では、自分で課題を見つけてそれを解決していく能力が必要とされます。 もちろん、受験時でも成績優秀であるに越したことはありませんし、学んでおくべき最低限の知識やテクニック、作法というものはあります(いまはその基本を教えてもらっている段階です)。ただ、研究者としてやっていくには、コツコツと勉強すればいずれ身につく…というものでもない、「研究者向き」の何かが必要です。 それがあなたにあるかどうか、その見極めが出来るのは修士終了の段階かなあと思います。 指導教員としては、可能性がありそうな学生にいまのうちからアカデミックな空気に触れさせておいて、たくさん芽吹かせておこう、という感じかも知れません。芽吹いた苗がどこまで成長するか、途中で枯れずに実るかどうかは、今の段階ではまだわからないでしょう。 ただ、たまに一般企業への就職が最終目標なのに、修士でキャリアアップできるとか考えて旧帝大の文系院に進学して「こんなはずじゃなかった、これなら学部卒で就活したほうがよかった」となる人がいるので、要注意というだけです。あなたはこのリスクは理解した上で将来を考えているので、あとはあなたの適性と意欲次第、でしょう。
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- moritaroh
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>東洋哲学系の専攻を選んで キャリア次第です。修士・博士を出ても、大学外や学会などでのそこそこの実績がなければ、はっきり言ってこの先は難しいです。 ですが、逆に言えば「大学外や学会などでのそこそこの実績」があれば…と考えればいいのです。 東洋哲学系なら、何も日本だけにこだわる必要ありませんし、翻訳ができるレベルまで朝鮮語を習得しているなら韓国だけでなく中国・台湾などの東アジアに留学する手もあります。 旧帝大であれば、おそらく交換留学などの制度を利用できると思いますし、また博士くらいの段階になれば海外の専門機関へ研究員として派遣してもらえたりするかもしれません。 まずはキャリアが重要なので、最短で博士号の取得を目指す、ということは考えない方がいいです。 また、次に、文系研究職を目指したい場合は、特に年齢が重要になります。 35歳~40歳を過ぎるまでは、良くて非常勤講師か研究員で、常勤の講師職など研究と収入の双方が安定するまでには時間がかかります。 ですからたとえば博士号を取得してから先の10年くらい、どのように生活し研究を続けていくか、今のうちから考えておくといいでしょう。 そのヒントとして、先の述べたように、海外などへ国費で研究員として出向く、などです。生活はギリギリになってしまうと思いますが、研究のために身銭を切るリスクは減らせます。 そう、それが重要。 いかに身銭を切ることなく、研究を続けられるか、というのが重要。 後は、自分に自信を持つこと。 研究は成果が出ようが出なかろうが、それを続けることで自分の持つ自信の根拠になっていきます。
- pate_brisee
- ベストアンサー率51% (473/913)
大学院ですか。えっとですね、本当に、就職先ほとんどないですよ。 それでもいいなら、止めはしません。 文系は全体的に就職先がないんですが、 そのなかでも、哲学って半端なく少ないです。 周囲に、お隣のような分野で進学した人が多いのですが 個人的な付き合いに限ると、 文系で博士課程までって、奥さんに養ってもらっている、 もしくは実家が資産家である、これらの率が高いです。 あとはまあぶっちゃけ女性で、いざとなれば嫁に行けるぎりぎりの美貌の持ち主でしょうか、、、 それで、まあ、哲学ほど就職先なくはないんですが、 それでも、大学教員になれたのは博士院生のうち半分くらいでしょうか。 哲学はもっと少ない、T大だったり外国で博士取ってきたりの箔がなかったら もっと確率は低かろうと思います。
ついでに。 旧帝大なら,ふつうの就職(典型的には出版,新聞,放送,教育など)もそれほど苦労しないのではないですか。同窓会名簿を見てごらんなさいよ。いまはどうか知りませんが,むかしは「大学時代くらい奇抜なことをやりたい」といって,サンスクリット文学などを専攻する人間もいました。それでこそ文学部。(理学部にもそんな変人がいる)
哲学・思想系は,ぼくの同僚の苦労をみても,お先真っ暗でしょう。環境倫理学でちょっと巻き返しはしましたが,基本的には実利優先の日本社会では「ろくでなし」の扱いを受けます。もっとも,文学部の人間は「それがどうした?」と開き直って,得意になっている側面もありますが 笑。その「悟り」に達することができるなら(おっと,哲学者の卵には言わずもがなかな?),おやんなさい。 しかし, >大学教授はぜひ院に進んで研究を続けて欲しいとのことで、全国各地の研究会などにも連れて行ってくれたりします は,同業者としてけしからんな。あんたにその責任がもてるのかい? ぼくは決して自分からは大学院進学を勧めず,「だれが何と言おうが進学します! 先生のご厄介にはなりません!」の発言を待ちます。
こんにちは。 私は質問者さんとは異なり、理系修士卒で一般企業に就職したものです。私も当時博士を考えましたが、やはり何年もの期間を研究に費やすには相当の覚悟と情熱が必要と考え、自分には向かないと断念しました。 質問者さんの文章を読みますと、多くの情報を非常に理路整然と書かれており、すーっと頭に入ってきます。優秀な研究者のレジュメを読んでいるような気持ちになりました。文章は人を表します。質問者さんは明らかに研究者向きで、一般企業は向かないと思います。一般企業にはオーバースペックというか、頭の良さが浮いてしまう気がします。 その専攻で一般企業に就職となると、学芸員などは別として、間違いなく畑違いの仕事しか見つかりません。それは不本意でしょう。これまでの質問者さんの学業に対する努力と功績を考慮すれば、ただ生きるための仕事はつまらないはずです。 質問者さんは年齢的なものを心配しておられますが、30才などまだ若いです。これから何でもやろうと思えばできる年齢です。家庭をもつにも全く遅くはありません。 また、アカデミズムの世界で生きていくのも大変ですが、質問者さんはうまくやっていけるのではないでしょうか。文章から感じられる優秀さが私にそう思わせてしまいます。たしかに最初から良い大学で良いポジションというわけにはいかないでしょうが、実績を積み重ねて徐々にステップアップを目指せばよいでしょう。 今のうちに、教授など、アカデミズムの人脈を広げておいて、博士終了後の研究生活をよりよいものにすることをお勧めします。 質問者さんのような聡明な方にアドバイスも恐縮ですが、社会人としての若干の経験から助言させていただきました。