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日本の城の構造
わたしは海外の名城と国内の名城、いずれも数々訪ねてきましたが 日本の城はいずれも木造に土壁、しっくいという構造が多く、復元前の場合はこれにあたります。逆に海外の城は石積みといった非常に頑丈な構造で、300年以上も普通に現存しています。 昔から地震大国である日本は木造での城造りに特化しているのは、ナゼなんでしょうか? 石造りであれば頑丈で耐用年数も非常に長いです。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/城 簡単には、 西洋 戦争は他民族絶滅・奴隷化が目的、民族生存がかかっていたので永久築城 水濠建築は難しくレンガ構築が得意で城壁型の城作りが発展 日本 戦争は領主の政権交代 城は決戦のための臨時構築が主体 水濠、堀建築が容易で、堀割り防御が主体で城作りが発展 もともとレンガで土地や屋敷を囲う習慣が古代中近東やヨーロッパにあり、レンガの柵で囲った城塞形式の都市作りが発達し、それが要塞になるにつれて堀と垂直の高い壁で囲うようになり、レンガから石へと変わっていった、とされています。 また、度々、大きな侵略が起きていますが、侵略されれば大規模な虐殺、暴行が起きたので、やがて都市全体を防御する思想が生まれました。 日本と違い、土地の多くが岩盤質で雨が少ないため、土塁や水濠を容易に作ることができず、同じ労力なら、豊富な石材とレンガで壁を構築する方向に発展したと考えられています。 一方の日本では、戦争の形態が都市の侵略や絶滅ではなく、領地の主導権をめぐって土地の有力者が互いの「決闘」を行ったと云う特徴がありますう。決戦場所として「砦」を構築し、そこでどちらかが屈服すれば終わりでした。決闘場所は決まっていませんので予想する要害に堀と石垣だけ作り、緊迫してくると、掘りを深くし、石垣の上に塀を建て、内側側に櫓を組むという臨時築城が主体です。 平地が少なく、雨が多いので堀や水濠は簡易に構築でき、防御力は高かったので、そのため西洋のような永久築城が発達しませんでした。主として堀割り防御でした。 その後、領主の住まいと、政務庁舎が置かれた本城とされるところが今に残る天守閣のあるような城ですが、一応決戦に備えて複雑な城割をしていました。ところが、戦国時代末期には、決戦を本城で行うことも殆どなくなってしまい、城の威容を誇るだけになったので、それ以上の発展はしませんでした。
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- ithi
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plalaconect535 さん、こんばんは。 戦国期の城を石造りにする必要性を感じなかったのです。理由は鉄砲の数があまりに少なかったことときづくりに土壁、漆喰の方が上部構造として頑丈で軽く、石垣で十分重量が耐えられることです。それから石垣用の石材もかなり貴重品で、大和郡山城などは石垣に墓石や地蔵菩薩の石像を使っていたというお話があります。もちろん300年間財政難はあったでしょうが、修理は何年かごとにやっていたらしいです。
- hekiyu
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昔から地震大国である日本は木造での城造りに特化しているのは、 ナゼなんでしょうか? ↑ 現代の鉄筋コンクリートならとにかく、 石造りの建物より、木造の方が地震には 強いですよ。 日本に木造建築が多いのは、木材の入手が 簡単だったからです。 現代でも、日本の森林の占める割合は世界三位 です。 中国や西洋は、木材よりも石の入手が容易だった と思われます。 中国などは一般住居でも石造りが多いのですが、 これは、材料の入手という理由の他、 防犯の為だと言われています。
- nopne
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城だけでなく、家や橋にも言えることですが、 今のところ、建材としては木材の方が簡単に流通・加工しやすかったから。 より強固は石材にする必要がなかったからというのが定説のようですね。 石がダメというのではなく。 遠洋航海術が発祥した国としなかった日本の件と似てる気がします。
高温多湿の日本で石造りなんてしたら、中に人住めなくなるんじゃないですか?
本当にそうでしょうか? 海外の石を積んだだけの建造物を日本に設置したら すぐ壊れることもあるんじゃないかな。 びっくりするくらい地震の起きない国はままありますけど。 あとはまぁ日本の気候や、適した石材の有無などの問題もあるでしょうね。