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終戦後に復員した人は、就活はしたのでしょうか?

今みたいにエントリーシートを書いての就活ではないと思いますが どのようにして就職したのでしょうか?

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  • SPS700
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回答No.5

 招集や志願で職を離れた人は、その種類、年齢、地域、コネのあるなし、などで異なる仕事探しをしました。復員軍人以外にも、樺太、朝鮮、台湾、満州などから引き揚げた人もいました。  しかも、新円への切り替えで、通貨の価値がそれまでん百分の位置になったため、就職競争は一層厳しいものになりました。  専門の職歴のある若い人は、最も有利に再就職ができ、中年以上で管理職の経験はあるが腕に職のない人は、非常に困難な立場におかれました。  就活という言葉はありませんでしたが、多くの人が、同時に仕事を探す状態が続き、「もはや戦後ではない」(下記)という言葉が1956年に聞かれるまで続きました。  http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1956.html

JKISSJMNBI
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回答No.7

まぁ軍事恩給(軍人の年金みたいなもの)で生活したニートも居たでしょう 実際戦争の凄惨さで 復員後にやる気を無くした人は多かったみたいです あとは召集前に働いてた職場に復帰したりとか 復興産業で色んな仕事もあったみたいで 割と何でも仕事につけたみたいです

JKISSJMNBI
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  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.6

親に聞いた話でしかありませんが、、、 当時の状況はぐちゃぐちゃ、と言うのが最もふさわしく、乱暴を承知で言えば日本全土が大津波にさらわれたようなもんです。東北震災の後みたいなもん。 そう書けば、就活などという言葉がいかにナンセンスか分かるのでは? もっとも、復員兵援護法とかなんとかあって、希望者は全員本来の学籍、親父は16で志願兵でしたが、大学へ無試験で入学できました。実家が農家で食料が手に入ったからかな?小銭は役に立ちませんでしたからね。最後には農家が強い。

JKISSJMNBI
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  • eroero4649
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回答No.4

「こんにちは。こちらの工場で働かせてもらえませんか。僕、飛行機の整備士をやっていたのです」「そうかそうか。君、いくつだ」「25です」「そうか。じゃあ、明日から来てくれ」 乱暴にいえばこんな感じです。この頃は「給料はいくらなのか」とか「休みはどのくらいもらえるのか」なんてのを聞くのは大変失礼な行為にあたったのでそこは魚心あれば水心というか阿吽の呼吸というか、適当かつ曖昧が当然でした。 楽天が野村克也氏に監督を依頼するときに、分厚い契約書を持ってきて旧世代の野村監督は激怒したそうです。この世代は「ひとつ、よろしくお願いします」「おう、俺に任せたれや」ってやることが信頼の証で、契約書に細かいことをいちいち書くのは相手を信用しない証拠とするんですね。ちなみにその野村監督、コネで頼み込んで南海ホークスに入団したものの2年で解雇されそうになり、「母ひとり子ひとりでクビにされたら路頭に迷い行くところもなくなるので、南海電車に飛び込んで親子心中するしかありません」と泣きついてなんとか契約をしてもらったという有名な話があります。

JKISSJMNBI
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  • tzd78886
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回答No.3

元の勤務先が残っている場合はそちらに戻る。当時は男女同権などという考えは無かったので、電車の車掌など、男性が不足していたために女性を導入した職場では、女性がとばっちりを食って辞めさせられたところも多い。そうでない人や職場が爆撃などで跡形もなくなったような人はいろいろな伝手を辿って就職させてもらった人が多い。その代表的なのは国鉄で、旧南満州鉄道の職員だった人など多くの復員者を押し付けられ、「人余り」になり、彼らが退職後に支払われる年金を含め人件費だけでも馬鹿にならなくなってやがて国鉄解体、民営化を辿ることになる。

JKISSJMNBI
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noname#224001
noname#224001
回答No.2

就職活動、つまり取捨選択という概念はなかった。 手っ取り早く、あるいは手当たり次第が普通。

JKISSJMNBI
質問者

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ありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

基本的に、農村では耕作する男性労働力が無かったので、一番上の男は実家の農家を継ぐ。 農家は兄弟で手伝って耕作して生計を一つにできるが、それ以外の家業は長子しか継げないので、町の中で人手が足りていない職場にとりあえず就職。これは、ほとんど地域の口コミ情報。 復員してすぐはとにかく実家に戻るのが最大の親孝行で、実家の家計を助けるのが最大の課題だったのです。

JKISSJMNBI
質問者

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