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生物の精密さは神の証明となるのか

しばしば、生物の構造やメカニズムは極めて緻密かつ精密で、神が作ったとしか考えられない、と言った話を聞きます。 しかしそれを聞いて思ったのですが、むしろそれらは神の存在を否定してるような気もします。 生物は理にかなったとても精緻なメカニズムで動いている。 逆に言えば生物を動かすには非常に精緻なメカニズムが必要。 それを神が作ったとしたら、神と言えどもメカニズムに頼らなければ生物を作れない。 すなわち、神とは優秀な技術者にすぎず、なおかつその優秀さは人間の技術者の延長線上の優秀さにすぎない(そのレベルに人間がいずれ到達できるかは別として)、ということでしょうか。 もしもこの世に知能は高いけど凄く不器用な生き物がいたとしたら、人間が作った機械を見て「人間とは神だ!」と思うかもしれない。 それと同じレベルの話のような気がします。 生物の精密さ、緻密さは神の証明たりうるのでしょうか。

みんなの回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.5

何を神というかによると思います。

korikuno586
質問者

お礼

そこは難しいところではありますね。 この場合でも神とは現状の人類の理解や技術を超えたものに対する畏怖や畏敬の念から発生しているのだろうと思いますが。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.4

>生物は理にかなったとても精緻なメカニズムで動いている。  いいえ、例えば人間には虫垂というものがありますが、人間の場合虫垂には特に役割が無く、それどころか虫垂炎と言う病気を起こすばかりの存在です。  これが理に適っていると言えるでしょうか?  もし、人間の身体が神やそれに類する存在によって設計されたものであるのなら、その様な無駄なものは付けられている筈がありません。  又、ウサギは盲腸に棲息している微生物の働きによって食べた植物に含まれているセルロースを分解し、栄養としていますが、ウサギの消化管の中で栄養を吸収する働きをしているのは小腸であり、盲腸は小腸の後にあるためウサギは盲腸で発酵させた植物質に含まれている栄養を直接吸収する事は出来ないので、盲腸と大腸を通過して体外に排出された糞を食べる事によって栄養を再吸収しています。  もし、ウサギの身体が神やそれに類する存在によって設計されたものであるのなら、その様な二度手間を必要とする仕組みになどせず、発酵が行われる所よりも後の部分でも栄養を吸収できるような仕組みに最初からした方が合理的です。  従って、生物は完全な知性を備えた理性的な存在によって設計されたものなどではない事は明らかです。

korikuno586
質問者

お礼

確か虫垂には細菌の情報を免疫細胞に伝える免疫的な役割があるという話を聞いたことがありますので全く意味がないということもないようです。 とはいえ最初からそのために作られたというよりは進化の過程で臓器の役割や意義は流動してるのだろうなと思います。

回答No.3

仮に『生物は何者かの意志が介入しないと発生し得ないほどに精密だ』が事実とするなら、『生物の発生に介入できるほどの存在もまた自然に発生することはありえない』となるでしょう。その論では神の存在は証明できないでしょう。

korikuno586
質問者

お礼

そうなりますね。 すなわち、神(創造主)もまた何かしらの存在が生み出したただの被創造物にすぎないということになります。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.2

生物の精密さは、この宇宙の摂理の存在の証明になるでしょう それを神と言って さらに人格化してしまうと おかしな事になります。 宇宙に人格があるのか? 神は自分に似せて人を創ったと聖書にありますが あれはエネルギーと摂理が 感情と理性に似ているという意味で 人格というのは飽くまで人間的なものです。宇宙の摂理と意志は 人格的ではありません。エントロピー増大則があるので 破壊的崩壊的な性質もあるのです 神というのは人間同士で共通した言葉で精神に生じる神様のことです。

korikuno586
質問者

お礼

そうですね。 神とはやはり人間が自分の理解を超えた物事を擬人化した概念にすぎないのだろうなと思います。

  • QCD2001
  • ベストアンサー率58% (325/554)
回答No.1

>生物は理にかなったとても精緻なメカニズムで動いている。 いいえ違います。たとえば、ヒトは進化の過程で4足歩行から直立歩行をするようになったために、内臓の配置に無理を生じ、胃下垂等の病気を生じています。また、進化の過程でなぜかビタミンCを作る能力を失ってしまいました。 このように生物には「理にかなっていない」部分が少なからずあります。 また、ある事柄が、「造物主である神が存在することの証明」であるためには、その事柄が、神が存在しなければ生じない、ということが証明されている必要があります。 しかしながら、たとえば真空中での衝突実験により、隕石同士が、あるいは隕石と惑星や月が衝突すると、神が存在しなくても、アミノ酸が作られることがわかってきています。 進化の過程はまだ完全には解明されていませんが、多くの実験や古生物の研究から、神が存在しなくても生物の精密さが生じることが解明されつつあります。 ですから、生物は造物主である神の存在を仮定しなければならないほど理にかなっておらず、精密でも精緻でもありません。 従って、生物の精密さ、緻密さは「造物主である神が存在することの証明」にはなりません。

korikuno586
質問者

お礼

>生物には「理にかなっていない」部分 脊椎動物の目の視神経と視細胞の逆転などが有名ですね。