- ベストアンサー
わからない表現があるのですが…
文鳥・夢十夜の第三夜の 「こんな夢を見た。六つになる子供を負ぶっている。慥に自分の子である。只不思議な事には何時の間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼は何時潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。 左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。 「田圃へ掛ったね」と脊中で云った。 「どうして解る」と顔を後ろへ振り向ける様にして聞いたら、 「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺が果して二声程鳴いた。 まずわからないことは青坊主です。 調べてみると画図百鬼夜行に描かれている一つ目の青い坊主とでてきました。 「自分が御前の眼は何時潰れたのかいと聞くと」とありますがここででてくる青坊主は両目が潰れているのでしょうか? 「鷺の影が時々闇に差す」とはどういう意味の表現なのでしょうか? それと、「『田圃へ掛ったね』と脊中で云った。」の「掛った」を辞書で調べたのですが分かりませんでした。 どうかご教授の程よろしくお願い致します。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
まず青坊主ですが、色白の。青白い少年と解釈する人と、目を失った妖怪のようなイメージの二通りあるようです。 どちらにせよ、彼は目が見えません、だから田んぼにかかった(田んぼにさしかかった。田んぼの近くに来た)ことがなぜ分かったのか。かれをおぶっている主人公は不思議に思い聞いたのです。 鷺の影が時々闇に差す。が夜(暗闇なのに)鳥が飛ぶのだろうか・・・・と疑問におもったのですが、月明かりとか星明かりをときどき遮るように鷺が飛んでいるということなのかなと思います。 一方目の見えないほうは、鷺の鳴き声から田んぼまできたのだと分かったのだ。 と答えていますね。 まとめると、 青坊主 青白い顔なのか、目の見えない様を表見したのかどちらかか、両方か。 青坊主は両目が潰れているのでしょうか? 見えていないという設定だと思います。 「鷺の影が時々闇に差す」とはどういう意味の表現 飛んでいる姿が見える。(月明かりなどなのか私にはわかりません) 『田圃へ掛ったね』 さしかかった。という表現だとおもいます。
その他の回答 (2)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。青坊主 『日本国語大辞典』(小学館)には(1)髪の毛をそったばかりの青々としたあたま。また、その人。(2)髪を短く刈ったあたま。または、その人。とあります。 (2)の例には、漱石の『吾輩は猫である』からの文が挙がっています。そのため、これは頭の状態だけの記述で、目とは無関係だと思います。 2。闇に差す これは、暗い夜の闇に、鷺の白い姿が浮かび上がる、という意味でしょう。 3。田圃に掛かる 普通の道から、田圃の間の狭いあぜ道に、移る、すなわち、差し「かかる」という意味だと思います。
青坊主 両目がつぶれた盲目の子供 100年前に自分が殺した盲人の祟り 鷺の影が時々闇に差す 自分は提灯も持たずに平気で歩き、そのうえ周囲の景色はそれなりに 目に映っている なので、盲目の子供にも見えるのだろう 田圃へ掛ったね 田圃に差し掛かったね・近くに来たね 子供の思うとおりに事が進んでいく。 子供にはお見通し。
お礼
簡潔に分かりやすく教えてくださってありがとうございました。 ご回答ありがとうございます。
お礼
分かりやすいご説明ありがとうございます。 回答ありがとうございました!