• ベストアンサー

準備書面の認める。争う。不知の宣言について疑問!

素人です。相手準備書面についての反論準備書面で「認める」「争う」という文言が登場します。 しかし、相手準備書面の内容について反論しなければ「認めた」ことになりませんか? 一方、相手準備書面の内容について反論すれば「争う」ことになりませんかね? 不知は解ります。 どうしてあえて「認める」「争う」の宣言をしなければならないのかが疑問です。 どなたか宣言の必要性を教えて頂けませんか? 宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#252929
noname#252929
回答No.2

認めるというのは、そのことに対しては認める。というだけの話です。 争う。というのはその争点として争うということです。 何も書かないとしても、認めたと宣言をしていないことは認めては居ない。ということになります。 民事訴訟では、法廷で弁論するなんていうことはほとんどありません。 全て準備書面で進めていきますので、裁判所で直接弁論していくというのは基本的にありませんので、準備書面にて全ての主張をお互いに行っていくこととなります。 その弁論準備書面を弁論準備期日に裁判所で、弁論準備書面の内容を弁論します。と言った時点で、その弁論準備書面は弁論を行ったことになります。 なぜ認める、争うの宣言をしなければならないのか? その裁判を担当する裁判官は、神様や当事者ではありません。 お互い所書面で、認めている部分、争点とする部分をはっきりさせないと、裁判官も認めている点や争点となっている部分を把握しにくいためです。 それだけの話です。

その他の回答 (1)

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.1

別に「認める」「争う」の宣言は、言葉の問題で、原告にしても被告にしても裁判で発言の機会はいくらでもあるのですから、その中で、大いに発言すれば良い事だと思います。私も親戚の「家賃滞納」の問題で、不動産屋さんとの民事裁判に被告側として立ちましたが、裁判官、判事を前に大いに自分の考えを述べて、結局は少額の返済で決着しました。この場合にも、不動産屋からの準備紙面の中に「争う」という言葉が入って親戚側はビビって私に頼みに来たのですが、いざ、裁判になると何ら反論する事無く、裁判官も「被告側が細かく返済金額を示しているのですから、これを認めたらどうですか?」と強く言って下さったのが助かりました。特にこのような法的な文書というものは、ややもすると大げさに書きたてるものです。その中身の本質を知る事が大事です。

関連するQ&A