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巨大基数って終わりがないんじゃありませんか?
初めの無限基数がω0で、その後ω1(連続体仮説がなければその間がありますが置いておいて)、ω2・・・・と続いてω^ω^ω^・・・・になり、 これの上が弱到達不能基数ですよね? ということは弱到達不能基数の上に何かあり、その上に何か・・・というのが可算無限回続き、非可算無限回続き、・・・ と結局終わりがないのではありませんか? 数学者はなぜこんなのを研究していたのですか?
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- tmpname
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もうちょっと書くと、 つまり実数の部分集合についてかかれた命題で、その命題自身は全然巨大基数を使わなくて書けるものであっても、その命題が成り立つには集合が『凄くいっぱいある』必要があることがある(ことが、最近分かってきた)。こういう「いっぱい集合がある」ことが必要な、「普通の」命題はたくさんあって、そのため集合がいっぱいあることを保証するような公理がほしい。 そうした中で巨大基数の概念が自然と出てきて、どこまで集合の種類を増やせて、矛盾なく世界をつくれるか、という議論がでてくるわけです
- tmpname
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まず一点 > その後ω1(連続体仮説がなければその間がありますが ありません。ω0の次は、CH(連続体仮説)があろうがなかろうが必ずω1です。CHは2^ω0 = ω1という仮説です。CHが無いと、一般に2^ω0 ≧ ω1とまでは言えるが、それ以外は分からない、ただしω0の次はω1です。 次に、巨大基数というのは、別に数学者が適当に考えたわけではなく、実はそれよりも「ずっと小さな無限」を考えた命題が成り立つかどうかを考えていたのに、そこから「自然発生的に」考えなくてはいけなくなったり、或いは「小さな無限」では成り立っていた命題を拡張しようとすると、これまた「自然発生的に」でてくるものなのです。 例えば、適当に http://tenasaku.com/academia/notes/UsubaFujita_JSPS2012.pdf から引っ張ってくると、PM: 「実数の射影集合( = ∪(n=1→∞) Σ^1_n , Σ^1_nの定義は書きません。pdfをみてください) はすべてルベーグ可測である」という命題を考えてみると、 * ZFC + V=L は ¬PMを導く * Con(ZFC + 到達不能基数が存在する) とCon(ZFC + PM)は同値である * 可測基数が存在するならば、Σ^1_2 集合はルベーグ可測である。しかし、可測基数が存在してもルベーグ可測でないΣ^1_3集合が存在するモデルが作れる * 無限に多くのウディン基数が存在するならばPMが成立する。特に、超コンパクト基数が存在すれば、PMが成立する みたいな感じで、実数の部分集合という「小さい無限」を考えていたはずなのに、なぜかすごく大きい巨大基数が顔を出すのです。というわけで、巨大基数を考えるのは、別に不自然なことではないのです。
- trytobe
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「拡張に終わりがある」「拡張に終わりがない」では大違いだからです。 つまり、応用問題として解けるのか、全く別の方向性から解き方を構築しないといけないのか、という、未解決問題がなぜ解けないのか・どこが壁なのか、という把握に必須なのです。