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肝試しをやる理由
全国的なものかどうか知りませんが、 昔は地域で”肝試し”という小学生対象の行事がありました。 (たいてい暗い場所を歩かせる内容) あれは何か教育的意義や根拠があり実施していたのでしょうか? ※肝試しと言うと他にもありますが、ここでは地域の主に小学生を対象とした行事とします。 あと、なまはげみたいに小さい子を怖がらせる伝統行事もありますが、 同じく”怖がらせる”行為に何か目的と価値があるのでしょうか?
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これは、こどもの教育目的です。 それと地域の親睦感の育成です。 今はほとんどないはずですが、なくなった理由は、 ・街灯や店のネオンなんかで市内が明るくなり、闇の場所がなくなった。 ・幼児を狙う変質者のようなものが増え、こいつらは大けがをさせたり殺したりもしかねないので子供の危険が増した。 ということだと思います。 昔は、国道沿いでもないかぎり夜は世の中全部闇というのが普通で、民家はともかく、神社やお寺は本当に真っ暗でした。 そして、人魂は出たんです。 私も見たことがありますし、亡くなった祖母なんかは幼児のころ人魂だらけだったと話してました。 これは墓の土の中のリン成分が発光したというようなことのようですが、真っ暗闇にうっすらと光があると気持ちが悪いです。 肝試しですが、そういう真っ暗なお寺とか神社に行って何かを置いてくるあるいは何かをとってくるというゲームです。 本当に行ったか途中で逃げてきたかはすぐにわかります。 親に守られ安全に安心に暮らしている子供たちがそれに参加すると、まず恐怖を実体験する。 本当に人殺しが歩いているようなところだと恐怖以前に命が危ないですから、子供は出せません。 闇であるだけで安全な空間なら、恐怖だけを味わわせることが可能です。 子供は成長するとともに本当のはっきりした危険を味わうことになりますからそのときに自分を持ちこたえることができなければ命が危ない。 肝試しで闇の中を「だいじょうぶ、こわくない」と自分で自分にいいきかせながら歩くというのはそういうホンモノの危険への擬似訓練になるのです。 平常心を保つということを自分の肉体で養うのです。 そうすると帰ってきたときに達成感があります。人生、達成感は非常に重要です。 やったんだと思うだけで自分に自信がつきますし、大事なのは人に思いやりができることです。 こういうとき怖いだろうな、ということがわかっていたら、弟分妹分に対して「自分が守ってやろう」という気持ちが発生するわけです。 そしてすこし年長になると、自分より年少の子が肝試しに挑戦するとき、通路のあちこちにこっそり立ってオブザーバー、サポータとして役を引き受けます。 ドン引きして歩けないような子に声をかけるとか、怖くて座り込みしっこ漏らしているような子を温かいところに連れていったり。 こういうことをすると、小さい子は少し大きい子に対し、尊敬の念を持ち、信頼感を感じます。 大きい子は守ってやった満足感とともに、思いやりという気持ちが育ちます。 そういうことが目的で肝試しはやられていたと思います。 待っている大人のほうは、戻ってきた子のために麦湯だとか汁粉を用意していたんです。 地域全体、といっても市の全部ではなく何々町程度の規模ですけど、この中でのお互いへの信頼感と貢献心が熟成してくるのです。 本当の生命の危険でない恐怖を味わわせる行事はほとんどこの意味です。 なまはげなんて、この世のモノとも思えない怪物が子供を襲ってくるわけです。 怖いどころではありません。子供は泣きながらきっちり親にしがみつき、離さないで離さないで、と本気で頼むわけです。 親は鬼の怪物に平然としており、鬼と交渉するわけです。 「親の言うこと聞かねーガキいねえか」と鬼がいったら「いや、この子はいい子ですいいつけも守ります朝も早く起きるし家の手伝いもします。な、そだよな、帰ってください」と応対するわけです。 そして鬼は親に説得されて帰るのです。 この経験をすると、子どもは親がどんなに子供を守ろうとしているか、実感します。 そして、呪文のように「朝早く起き、家の手伝いをする」ことをしようと思うわけです。 もちろんいってみれば茶番で、いんちきです。 だけど、その実態がわかったとき、子供はどう思うかというと、決して親が自分をだましたとは思わない。 自分がまっとうな人間になるためにああいう芝居をしてくれたのだと思うのです。 このなまはげもいまはあまり盛んにおこなわれなくなったようです。 幼児虐待だとかいじめ、なんていうことばとともに、鬼役をやりたがる若者がいなくなっているということのようですね。
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思い出作り、程度かなと思います。 なまはげは、囲炉裏にあたってばかりいると 低温やけどするぞ 怠けてると、やけどする という危機管理が目的。 伝統行事は、それが私たちの歴史ですから 良いか?悪いか?ではなくて、継ぎたい人がいれば 継がれていってもいいなかな、と思います。
マンガなどでよく見ますが,ぼくは子供のころから,かつ子供を持つ身となっても「肝試し」を経験したことがありません。怖くて参加しなかったのではなく,実施されなかったのです。 >なまはげみたいに小さい子を怖がらせる伝統行事もありますが、 >同じく”怖がらせる”行為に何か目的と価値があるのでしょうか? もともともナマハゲは民俗学的には「来訪神」の一種で,「生活圏の外から幸福をもたらす神がやってくる」という信仰だったはずです。いまは「なぐごはいねが~(泣く子はいないか)とどなりながら,青年団が鬼の扮装で民家に乱入してくるのがふつうです。しかし,子供を単に怖がらせるだけでなく,教育的立場で「いい子でいるんだぞ」と説教して,親からお礼のお金や酒などをもらって帰ります。
補足
ありがとうございます。 子どもは家庭で育てるものではなく、地域で育てるもの。。。 人間の五感は昔の人はかなりの微小化学反応も検知していた。 (それを気配や予感ともいう)