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日本仏教の良さは何処ですか?。

みなさま、始めまして。 日本の仏教は、仏教と名乗っているが、 実際は、インド発祥の仏教の教えと 違うところがたくさんあるかと思います。 そこで、インドの仏教に無くて日本仏教にある良さは 何処ですか?。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • kurinal
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回答No.7

gametan様、こんばんは。 エントロピー?

noname#224207
noname#224207
回答No.6

仏教と仏教を生業としている人つまり僧侶と分けて考えませんと混乱や誤解が生じます。 現在大多数の僧侶が堕落しているからと言って仏教が堕落している訳ではありません。 アメリカでも仏教が見直されています。 最近仏教寺院に出入りする牧師が多くなり、キリスト教会でも話題となって議論されています。 特に禅に人気があり、永平寺などでも外国人の修行僧が増えてきています。 なかには、修行を終えてお寺の住職になられた人もおられます。 インド発祥の仏教も日本仏教も「一切衆生悉有仏性」つまり生きとし生けるものはみんな仏様としての素質を持っている、という考え方では共通しています。 日本仏教には、更に「草木国土悉皆成仏」「山川草木悉皆成仏」などと、この世のありとあらゆるものが仏さまの姿である、という独特の考え方が加えらています。 日本は元々八百万神という考えかたがあって、これが外来の仏教と合流したものです。 明治以降は神社と寺院は分けられいますが、明治時代以前までは一緒でした。 現在も地域によっては、お坊さんが神主さんを兼ねている所があります。 日本の神様と外来の仏様が元々は同じものだという考え方を「本地垂迹」といいます。 平家物語などにも「南無八幡大菩薩」と書かれています。 八幡さまが仏教の菩薩だということです。 完全に日本独特のものです。 古来の神様も外来の仏様も一つにしてしまいますので、アラーもキリストさんも神様の一人としてしまいます。 この考え方が質問者さんをはじめ日本人には深く浸み込んでいます。 クリスマスパーティーをやって除夜の鐘を打ち初詣もします。 夏になればお盆で迎え火や送り火を焚き、精霊流もやります。 日本仏教はこんなことにいちいちこだわりません。 キリスト教やイスラム教のように自分の神様以外は認めない、他の神様を信じる奴は殺してしまえ、などということはありません。 日本仏教の良さは相手が誰であれ何を信じていても一向に差し支えがないという点でしょう。 国際化に最も適したものといえます。 学校へスカーフを被ってくるな、などというバカげた法律が作られるようなことはないということです。 他の国の人達が大切にしている神様を侮辱するのを表現の自由だなどと強弁してマシンガンでぶち抜かれるようなこともないでしょう。 日本仏教は沢山のお経を持っています。 個々のお経どうしを比べれば矛盾だらけということになりますが、これも又、どれを読んでもどれを信じても一向に差し支えがないことになっています。 それぞれにチャント仏様がおられます。 矛盾しているからどうのこうのなどと喧しいことは言いません。 あれはあれこれはこれです。 千五百年も前に書かれた一冊のコーランなるもののみを後生大事にして。これに従え、従わない奴は首を切る、などということありません。 お金持ちも貧乏人もノーベル賞学者も落第生も死ねばみんなお釈迦様と同じ仏様です。 天国で神様につかえるなどということもありません。 完全に平等です。 地獄へ落ちてもしばらくすれば地獄を出て、またどこかへ転生します。 地獄にいてもお盆になれば毎年帰ってきます。 キリスト教やイスラム教のように一度地獄へ落ちたら永久に地獄暮らしということもありません。 まぁ~じつに気楽なものです。 日本仏教にはこのような懐の深さと広さがあります。 現在使われている宗教という言葉は明治になってからキリスト教のreligionを翻訳するさいに作られた言葉です。 結果とて言葉の定義にキリスト教での定義が使われています。 キリスト教のように唯一絶対なる神を信じるものという大前提があります。 日本人は日本仏教の影響でありとあらゆるものを認めますから、日本人に向かってあなたの宗教(religion)は?と聞くこと自体が無茶です。

回答No.5

一番良いのは日本語で学習可能である点と思います。 しかし、日本仏教の学習し易さは良いとして、日本仏教の実態は腐敗しきっています。 ご存じのように、出家坊主が、肉食妻帯畜髪をして平気な宗派もございます。 戒名料などと言って、数十万円~数百万円ものカネを受け取っていながら、法人税を納税しない宗教法人が腐るほどあります。 仏教の教えに反した、これらの日本仏教運営者の一味が、日本における仏教の地位を貶めている現実を憂慮しなくてはなりません。 一部の仏教者が本物の仏教思想に関して、日本語の著作を出しておりますので、これら日本語の著作を通じて、インドの仏教を学習する事をお勧めします。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 仏教はインド発祥となっていますが、基本的にインドはヒンズー教の国ですので、「これがインド仏教だ」というような勢力はないと聞いています。  また、インドで仏教(ごく少数派)に宗旨替えする人は、残念ながら(ろくに勉強できないような)低いカースト出身で、身分差別を嫌って差別のない仏教に移ったというケースが多く、したがって、古来の仏教を研究して正しく継承しているというわけではないという話です。  仏教誕生時の姿に近い仏教と言えば、タイなどの、いわゆる「小乗仏教」でしょう。「小乗というのは侮辱的だ」と言うので、最近は「上座部仏教」と呼ぶことが多いようです。  その特徴は、修行によって、修行を積んだ人だけが解脱できる、幸福になれる、という考え方です。解脱の船は小さくて、修行しない人は解脱の船に乗せないというのが、「小乗」と呼ばれたゆえんです。  タイのお坊さんたちは、粗末な衣服を着て、毎朝素足?で町を托鉢して回ります。また、生き物を殺さないという教えを守って、すごいお坊さんは蚊が襲ってきても蚊を振り払ったりしないし、その下のレベルのお坊さんも振り払うだけで叩き殺したりはしないそうです。  たしか、女性はお坊さんに触れてはいけないんだったと思います。逆の言い方をすれば、お坊さんは女性に触れてはいけない。時々破戒僧もいて、僧籍を剥奪されたり逮捕されたりしていますが。  それに対して日本仏教は、「修行しない人も一緒に救いの船に乗りませう」、「こちらの船は大きいんだから」という考え方なので、自称「大乗仏教」です。  典型的なのが、浄土真宗などの阿弥陀信仰です。  阿弥陀様は、すべての人を救おうという決意をして修行し、如来になりました。迷える衆生を救いたい、というのが阿弥陀様の本当の気持ち、願いなので、これを「本願」といいます。  凡愚(一般人)は阿弥陀様の救い(本願に基づく救済)に身を任すだけでOKという、実に気楽な信仰になっています。  あちらが、勝手に「救いたい」と言って行動していらっしゃるので、こちらは「南無阿弥陀仏」と唱えて、自分がここにいると所在を明らかにすればOKなのです。禁忌はほとんどない、好きに生きて良い、と言っていいほど。  坊さんといえども「先達」程度の立場。一介の人間で、阿弥陀様から見たらただの凡愚な衆生の一人なので、在家の一般人同様に結婚してもOK、肉食もOK、となります。  実に論理的なのですが、なぜか、他宗派も右に倣えしてしまったのが、日本仏教です(なぜか、と書きましたが、実際は国の政策が原因です)。  ということで、  上座部仏教にはなくて、日本の仏教にある良さは、修行らしき修行をしなくても済む「気楽さ」「行動の自由さ」でしょうかね。修行はしたいならしても良し、したくないならしなくても良し。  それが自堕落に見えるかどうかは、人それぞれでしょうから、そう非難する人がいても反論はしません。  上座部仏教も大乗仏教も、仏を全知全能の存在と設定していないところが、私は実に気に入っているところです。  全知全能だとしたら、国が乱れて難民化しなければならないのも神の思し召しということになります。あなたの苦しみも私の不幸も神様が命じたか、黙認なさった結果。平和にしようと思えば・病気を治してあげようと思えば一瞬でできるのに、あえてしない、ということになる。信仰とは、神の行いを信じ受け入れることでしょう。神の意志に逆らって逃げ出していいのかどうか、私には分かりません。  でも、全知でもないし全能でもない(したがって我々の不幸に責任を負わなくていい)仏様が、私たちを救おうとしてどこかで一生懸命努力している、って思うことは、とてもすばらしい事じゃないですか?  全知じゃないから、「私はここに」と言わなければ、私の存在を知らないでしまう。全能じゃないから、救いは間に合わないかもしれない。でも一生懸命頑張ってくれている。有り難や、有り難や。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

noname#214054
noname#214054
回答No.3

日本仏教の良さは何処ですか」←あの世に逝った人には 何も伝わらないのに 一生懸命にお経を唱える所・・ 南無阿弥陀仏・・又は南無妙法蓮華経・・このくらいまでは 誰もが解かる・・ けれど その先は 勉強してない人にはサッパリ解からない・・ あの世に逝くと理解出来る・・という様なものでは無い筈・・

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.2

こんにちは。 私は、20歳の時に父親が持病を悪化させて急死してしまいました。 当時、私は父親に反抗的で親元を離れて都内でアパート住まいをして都内の専門学校に通ってましたけど父親が入院したという知らせを姉から聞いても心配せず無視して病院に見舞いにも行かなかったですが、その3日後に急死したという知らせを聞いた時は見舞いにも行かなかったことを後悔しました。 さすがに、父親の病死を知り急いで親元の実家に戻りましたが、母親は気を取り乱して泣きわめくなどで冷静に葬儀の喪主を務められないだろうから「親戚の人達から成人した長男のお前が喪主を務めなさい」と言われて葬儀の喪主を務めることになりました。 その後、葬儀が済んで四十九日の納骨とか新盆供養などの法要があり、喪主を務めた長男として一周忌から三十三回忌までの年忌供養は施主になり欠かさず供養しました。 また、亡き父親に代わり父方の祖父母の五十回忌の年忌供養まで務めましたが、日本の仏教は「先祖を敬う」教えがあるので自らを戒め感謝する気持ちになることが良いと思います。 ちなみに、私は亡き父親名義だった土地を長男として相続し、その土地に母親を経済的に扶養するため大きめな二世帯住宅を建て、今では95歳と高齢になった母親と私達長男夫婦は同居してますが、毎日欠かさず炊き立てのご飯と淹れ立てのお茶を父親の位牌がある仏壇に供えて合掌することで亡き父親に反抗的だった懺悔の気持ちになり高齢になった母親を敬い感謝する気持ちになり心が穏やかになります。 このような祖先や親を敬う気持ちを教えてくれるのが日本仏教の良いところだと思います。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.1

肉食妻帯が自由であることです。仏教の戒律に縛られない。 もともと日本仏教は「葬式仏教」なのだから、葬祭業者。 だから、葬儀をやっていればいいので、肉食妻帯は勝手。 非難するに及ばない。 「本来の仏教」などというものを無視していいということです。 良く日本仏教を指して「本来の仏教」から逸脱していると非難する人がいますが、非難するに値しません。 高級車を乗り回そうと、クラブで酒を飲もうと、愛人を何人も囲おうと、葬祭業者で、商売なんだから、勝手です。 それが日本仏教の良いところです。 インドはインド、中国は中国、韓国は韓国、日本は日本、仏教はそれぞれであっていいはずです。 一つの仏教という考えの方がおかしい。