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すぐに社会に役立つ研究とは?
- 研究費を貰って行う研究は社会にどのように役立つのかアピールするのが重要か
- 社会に役立つことが見えている研究だと浅い研究になる可能性もあるのか
- 純粋な真理の追求というスタンスも大切で、結果的に大きな社会貢献につながるかもしれない
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確かに、民間企業は儲けることを一義にしています。研究開発は最終的な目標を決めて、成功すればこれだけ儲かるから、これだけ投資できるという計画をはじめに立ててお金を出してもらい、研究に精を出します。新製品開発などがこの典型のようなものですが、かなりの割合で失敗します。失敗が目に見えてきた段階で中止することも多いです。 大学の研究は儲けるためにするわけではありません。多分投資効率を最初から問われることはないでしょう。でも、何らかの方向性、目標を立てなければ、そもそも具体的な研究の計画は立たないと思います。ひとがその計画に情熱を燃やすのは、多くは真理を求めてその発見への情熱が当人を動かす動機になるのだと思いますが、そのおまけのひとつが「社会への貢献」ということなのでしょう。 >つまり社会の役に立つかどうかだけを考えて研究を行うのは十分ではないと思うのです。 その通りですね。 もちろんその貢献が大学をおおいに儲けさせたということになればさいこーだと思います。でもそんな研究はなかなかないとおもいます(あれば民間がやっています)。社会の役に立つ、おおいに結構だとおもいますし、役に立つことそれ自体が浅い研究の原因になるとは思えませんね。貴方が非常に興味を持ている自然現象に深く突っ込みたい、そんな研究でも、あなたの姿勢しだいで成功するかどうかが決まり、それによって社会に貢献できないことはないとおもいます。説明要求は、要はあなたがそれをやりたいという本気度を試されているのだろうと思いますよ。
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- doc_weekennd
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冗談の様な事実を2つ申します。 1.私が通産省の外局工業技術院に併任と言う名の出向をしていた時、担当していた技術開発は「なんでこんな事国がやるんだよ」というプロジェクト5年の4年目を担当しました。 他のプロジェクトは血の汗を流す類いのものでしたが、私の分担は「なんでこんな事国がやるんだよ」の類い、特許が山程出て4年目には既に特許が売れた。何が起こったかというと、5年目の予算要求五千万に対し、大蔵省が提示してきたのが何と三倍の一億5千万、技術者側は激怒したが仕方がない、「使えます」という悪食な企業に丸々一億乗せちゃった。 2.米国エンリコフェルミ研究所に議会のお偉いさん達が来て「この研究所は我が国防衛のためどんな研究をしているのかね?」研究者曰く「我々は米国を防衛する意味があるに足る国にするための研究をしています」
まあすぐ役に立つ具体的な研究の方がお金が付きやすいのは事実でしょうね。 もちろん研究や学問は何かに役に立つってもんではないです。 しかしお金が必要である以上それを誰かが出さねばならない。 結果がお金になりそうなら投資する人もいるでしょうけど… 良いか悪いかではなく、予算が通るかどうかって話でしょう。 残念ですがお金を必要とする以上仕方のない無い事です。 だからこそ今は役に立ちそうに無くても、何らかの成果を将来上げる可能性に対して説明して説得しなけばならないのでしょう。
>国から研究費を貰って行う研究はどのように社会に役立つのかアピールするのが重要だと思います。 なぜアピールするのが重要だと思いますか? >実際私も大学時代の研究で「社会にどう役立つか」を説明するよう言われました。 どこの大学で何時頃のことでしょうか、 国の予算が苦しくなり、大学も必要な研究費を自前で調達してくれということになり2009年に国立大学の法人化が閣議決定された。 このような決定を下されるのは大学人側のほうにも責任がありました。 税金で賄われている国立大学で、一度雇用されると退官まで一切論文を発表しない大学人がいました。 長期テーマで発表ができないのではなく、横着していただけとしか考えられない人達です。 このような人間を篩い落として税の無駄遣いを省くことが主眼でした。 これが拡大解釈されてしまいました。 民主党政権時代には増税を避けることを目的とした財源探しの会議の席で「なぜ一番でなければならないのか」と言って除けた大臣もいました。 二番手三番手で誰かがやった結果をまねすればいいだけで、前人未到の研究なぞ無駄だと言う考え方です。 研究と言うものの本質をわきまえない暴言として叩かれました。 「すぐに役立つ研究に注目がされがちですが、もっと純粋に真理の追求というかわからないから研究によって解明するというスタンスが広がってもいいのではと思うのです」とされておられながら「それが結果的に大きな社会貢献につながると思うのです」とされておられるのは如何なものでしょうか。 なぜ研究の質、内容が社会貢献につながらなくてはならないとお考えでしょうか。 ニュートリノに関する研究につきましても「世界にインパクトを与える」から立派な研究だと評価されておられませんか。 基本的に研究は社会のためでなくてはならない、とお考えではありませんでしょうか。 インパクトを与えることも社会に貢献することも無い研究は止めてしまえということでしょうか。 これを突き詰めていきますと、民主党の大臣と同じ考え方ということになります。 投入された費用(研究費)の回収を常に求められる営利を目的とする株式会社の研究員と大学の研究員を混同されておられませんか。 大学における研究とはなんぞや、とご再考願います。
- 中京区 桑原町(@l4330)
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両方必用ではないですか 真理の追求をする人の資金は実用研究が賄ってるのです