- 締切済み
亡くなる日の意識
人は亡くなる間際に『この上ない幸福感に包まれる』と聞きますが、その『この上ない幸福感』とはどのような幸福感なのでしょうか? 何をどのように感じるのでしょうかね? 漠然とした質問ですが、どうしても知りたいのです。先般、最愛の人を病院で亡くしたのですが彼女は亡くなる日にどんな意識のなかにいたのか、どうしても知りたいのです。 皆様どうか宜しくお願いします。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- merrybluecard
- ベストアンサー率11% (29/246)
立花隆に「証言・臨死体験」という本があります。臨死体験者から詳細に聞き取った証言記録集です。
私の女房殿は一人娘が中三の時に亡くなりました。 癌の再発で一進一退で入院していましたが、娘が高校に受かったことを報告するとニッコリ微笑んで私が病院の事務室に行っている間に息を引き取りました。安心したんでしょうね。「後はあんたに任せたよ。」ってことで『お役御免』とでも思ったのでしょう。確かに質問者様お書きの通り『この上ない幸福感』だったのかも知れませんね。その高校も女房殿が退院している時に娘と一緒に行って決めてきた高校で、結婚前にはその学校の近くにある『お受験塾』で、そこに入学を希望する子供たちに教えていたのです。「まさか自分の娘がそこを受けるとは思っていなかった。」と言っていた学校でした。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
●人は亡くなる間際に『この上ない幸福感に包まれる』と聞きますが、その『この上ない幸 福感』とはどのような幸福感なのでしょうか? ↑臨死体験をされた方は沢山あります。私も事故と病気で2度しました。2度ともお書きになっているように「この上もない幸福感」に浸っていた記憶があります。具体的に何がどうなっているから幸福である、なんてことは無くてただ幸福感に包まれるのです。これがいわゆる臨死体験の第3ステージのようです。次の第4ステージは死です。 亡くなった遺体をみた人が言う言葉に「眠っているような安らかな顔でした」と、いう言葉を聞きます。このような言葉は多くの方から聞きます。遺体を見た人が、荒れ狂ったように苦しんだ顔をした死に顔だった。なんてことは聞いたことがありません。 こういう事から推測しても死の直前は、人間は穏やかな気持ちになる事が分かります。死んだ人がいないので死に直面した場合、どういう気分になるのか分からない分からないという人がありますが、死の直前までは多くの方が体験していますので、この上もない幸福感に包まれる。と、いうのは正しいのです。
- okwave01234
- ベストアンサー率19% (39/198)
亡くなる間際にエンドルフィンやドーパミンのような脳内物質が出るのであれば、日常的な軽いものですと脂ののったラーメンや肉を食べたときの多幸感、サウナと水風呂を行き来しているうちに得られるあの「整った!」的な多幸感、マラソンでのランナーズハイ、登山でのクライマーズハイと呼ばれる多幸感あたりが近いものと思います。覚醒剤もエンドルフィンに比べて何百倍も弱いと言われますが、いわゆるシャブ(スピード)やコカインのような高精神作用のあるものが近いのではないでしょうか(もちろん使うのは違法ですが)。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
『この上ない幸福感に包まれる』 生きている人が、想像で作った言葉ですよ。 天国とか、地獄と、同じ様な言葉です。 だれも行ったことがないから、判らない。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
死んだ経験がないので断定できません。 だから、人が言っていることをご紹介するだけになります。 立花隆さんが、臨死状態の人に関する調査をし、意識的な話ばかりではなく医学的なところまでかなり深くやった番組をご覧になりませんでしたか。 NHKです。 あれで驚いたのは、命が消えようとしているとき、心臓が止まり、その後脳波がなくなっていくのですけど、脳波計でぴくぴくしていた信号が、見た感じなくなったなと見えた後でも、実は脳波があるのだという指摘でした。 レベルは非常に小さいけど、増幅してみると、まだ脳波が出ている。 ということは、この時点でも何かを感じているということです。 日常の皮膚感覚ではない感性で感じているというレベルとなります。 心肺停止が死とイコールでないのは、それらの臓器が停止しても、脳には血流がまだあり、脳波があるということです。 だからAEDのような機械でよみがえることができるのですね。 血流が停まって時間がたってしまうと、脳の機能自体が不全を起こすので「脳死」となってしまうわけです。 立花さんの番組でアッと思ったのは、脳と言う機能が停止するときに、抑えていた物質を手放して発散してしまうということがあるのですね。 生きているときは、いざというときのために溜めを作って握っていたものを、です。 これは何かというと、ドーパミンをはじめとする快感物質なんですね。 運動したときの達成感を感じたりするときにちょこっと振りかけてくれるという操作をしている物質です。 これが欲しくて運動をしたり甘いものをひかえたりすれば、生命維持に有効ですから、脳はこういう物質を制御用に使っているのです。 死ぬのですから、それを隠して持っていても意味ないですからてばなしてしまうのです。 ということは、当人から見たら、いよいよこの世にいないような気分になったとき、目もくらむような快感に打たれるということです。 神がおりてきたと思うような至福の時ではないでしょうか。 そしてその至福の瞬間に漂っているうちに本当に最後に残された微弱な脳波も停止し、死がおとずれるということです。 複数の物質ですから一概にはいえないと思いますが、ドーパミンなんかは、達成感とか成功感覚と呼ばれる意識と関係しています。 つまり、上り詰めた、とか、完成した、という満足感です。 こういう感覚で死を迎えるのだと知った時、気持ちが非常に安らぎました。 誰でも、天国の入口に手をかけて,ああいまから登れるんだ、と思って亡くなるとすれば、こんな安心なことはありません。
人が産まれる時に 母親も赤ちゃんも 自分の命を懸けて この世に誕生します・・(母親は誕生させます・・) 死後の世界に入る為にも それこそ 必死に肉体と精神を切り離すのだから『この上ない幸福感に包まれる』等ありません・・ あると 駄目なのです・・ 命とは 貴重なものなのに 死が貴重なものに感じられる様な事は・・
- Aristarchus
- ベストアンサー率9% (186/1928)
神様や仏様のお迎えが来て、現世のあらゆる悩みや苦しみから解き放たれて、とても幸せな気持ちで旅立つのだと思います。神仏の優しさ、御慈悲というものなのでしょうね
- mamanoocha
- ベストアンサー率20% (15/75)
私は7年前父親を亡くしました。 亡くなる前日まで意識がしっかりしていて亡くなる直前まで意識はしっかりしていた様子 でした。 亡くなる3週間前には、病室に「黒い人影が3人居る。お迎えが近いのかな」等と言ってました。 亡くなる前日、父自身のターニングポイントであの時、違う道を歩んでいたらもっと楽な人生だったな。 とか走馬灯のように振り返るようです。 亡くなる瞬間はわかりませんが、自分の人生を振り返る時間があるようです。