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あなたの仕事に対する意識とは?

みなさまは、どのような気持ちを持って毎日仕事に向かっておられますか。 ひたすらお金を貯めるため、何かを成し遂げたいと思う気持ち、その日を無事に乗り切ろうとするためだけ、などなど、働く意識は人それぞれ千差万別かと思います。 一般的に20歳前後で就職して60歳前後までの約40年間、週に1日か2日の休みで1日に8~12時間ほど人は働きます。 「働くことは生きること」という言葉もありますが、それは決して大げさな表現ではありません。 職種や職場でのポジションによってそれぞれ違うとは思いますが、みなさまの意見をお聞かせください。 あなたが仕事をするための意識とは何ですか。

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  • chubee
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回答No.3

人生の 時期によって 仕事の位置づけは変わってきます 独身の若いころは  ステイタスであったりキャリアであったり 自己実現欲を満たすものでもあったり 知的好奇心を満たす行為でもあったり・・ 今は 第一に お金のためですね ですから 「仕事はボランティアではないので 対価に相当する分は 成果を約束させていただきます」 という気持ちで働いています これは同時に プロとして ただ働きはいたしません という意味でもあります

piquet_man
質問者

お礼

仰られること、非常によくわかります。 私の場合、現在30歳という中途半端な年齢にあり、場合よっては若手とみられ、場合よっては中堅だとも見られます。 子供もいるためそれなりの稼ぎも必要ですし、10代の頃のように好きなことで食べていきたいという自己現実欲もあります。 恐らく、自分の中でこういった思いが大きくなり、どういう気持ちで仕事に向かえば良いのかわからなくなり、今回このような疑問を投げかけさせていただいたのだと思います。 ありがとうございました。

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noname#73759
noname#73759
回答No.7

私が仕事をするための意識は 家族をやしなうため・・と 人生最大の暇つぶしだからです。

piquet_man
質問者

お礼

人生最大の暇つぶし、とは最高のお言葉です。 もしかしたら、それくらい気楽に構えていた方が良いのかもしれませんね。 ありがとうございました。

  • chubee
  • ベストアンサー率25% (90/347)
回答No.6

No3です 30代といえば 確かに  仕事について哲学する時期なのかもしれないですね 稼ぎも必要だし 好きなことで食べていきたいとのことなので 以下のようなスタンスをもつことはいかがでしょう? (稼ぐ) 日々の任務の中に  自分の プロとしての商品価値は 何かを見極めて これについてはぜひ私にお任せください ただしこれだけの対価は頂きますよ というスタンスをもつ  (好きなことのプロになる) 日々の業務の中で 自分に プロとしての付加価値を更に付けていきたい分野は何か を見極めて これについては私にもお手伝いさせてください 勉強させて頂きながらお役にたてることがあれば協力させていただきたい というスタンスをもつ どちらのスタンスも 少しずつ幅を広げて きちんと稼ぎつつ 好きなことのスキルをじょじょに習熟させつつ やがて 好きなことを商品価値へと落としこめるようにしていったらよいと思います 仕事というのは 志あるところに道が開けますよ  

piquet_man
質問者

お礼

私の場合、好きなことというのは写真(カメラ)になります。 自由な時間がある時は、どんなものでも撮ってパソコンで加工したりしながら遊んでいます。 そういう中で良い写真ができたなーと思うこともありますが、あくまでもそれは趣味の世界。 それがお金になるとは思えません。 思い切ってこれまでいた世界とは全く違う、カメラマン(出版、写真館など)の世界に飛び込んだとします。 どんな世界でもそうですが、いきなり第一線で活躍できる世界はありません。 稼ぎも少ないでしょう。 私がもしカメラマン関係で働くことができたら、休みがなくても収入が少なくても構いません。 しかし、私には妻と子供がいるため、養えるだけの最低限の収入は必要です。 そこで仕事に対するスタンスについて疑問が生まれてしまったんですよね。 自分が好きな仕事をしてしまうことで家族に迷惑をかけてしまう。 もし私が学生の頃からカメラマンになることを志し、子供が生まれるまでにカメラマンとしてある程度のポジションにいたら話は違ったのでしょうが。 でも家族のせいにはしたくない。 でも人生の中で自分の好きなことで勝負したい。 こんなジレンマに陥っています。 しかし、最近はできない理由を探すのではなく、思いを実現できるようなイメージを探すようになってきています。 >仕事というのは 志あるところに道が開けますよ この言葉の意味を、これからの人生で身をもって体験したいですね。 ありがとうございました。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.5

外資系企業に勤める者です。 私が今の会社で働き続けている理由は、「日本市場のことは、誰よりも自分が一番、分かっている。自分がいなくなると、日本法人は全く機能しなくなる」という自負があるからです。 私の会社では人の出入りが激しく、平均すると、社員は2年間しか従業せず、転職していきます。その中で、1999年の会社設立時より、会社が買収されたり、10回に上るリストラがあったりしながらも、生き抜いてきた数少ない生き残りとしてのプライドがあります。 先日、また買収されまして、少々、困った現象が起きています。以前の会社は、「国ごとに技術標準やビジネス慣習が違うのは当たり前」という意識があったのでやりやすかったのですが、今度の親会社は、アメリカから一歩も外に出たことがないコテコテの米国企業であり、アメリカのやり方が何もかもグローバルスタンダードだと信じて疑わない人たちが、役員として多数、送り込まれてきたのです。 日本企業の原理は、「学生の時は好きな人間とだけ付き合っていれば良いが、社会人になったら、嫌いな人間ともつきあわなくてはならない」です。それに対して、アメリカ企業の原理は、「つぶされる前に、つぶす」です。自分が商品開発部で作り上げてきた日本向けの作品を守るためなら、新しいマネジメント陣との喧嘩も辞さない覚悟ですし、現状は直接のバッティングはしなくとも、上司に問題点を徹底的に説明し、その更に上のレベルで戦ってもらっています。 会社を辞めるとしたら、つぶす前につぶされてクビになるときか、日本独自仕様がすべて否定され会社が馬鹿外資になってしまった時でしょう。

piquet_man
質問者

お礼

貴殿のお話をお聞きしていると、企業戦士と言う言葉が思い浮かびました。 働くことは戦うことでもあるのでしょう。 「つぶされる前に、つぶす」という表現がそれを象徴していると思います。 それが正しいのかどうかわかりませんが、また日本とアメリカのどちらが正しいのかも明確な答えは出ないと思いますが、ある種の闘志とプライドは働くために必須であると感じました。 私はよく穏やかな人柄だと言われ、自分でもそう思うこともあるので良い刺激になりました。 ありがとうございました。

  • meihua
  • ベストアンサー率26% (140/526)
回答No.4

こんばんは。 働く意識は千差万別。まさにそう思います。付け加えるならば、経験を積む(時間がたつにつれ)ごとに変化するとも思います。 働き始めたころは、小学生が中学生になるように、学校を卒業するし「働かねばならない」という意識でした。だから、仕事に行くのが心のそこからいやで、つらかったですね。実家から通っていたこともあり、働かなくても「食べるだけは困らないだろう」という甘えもあったと思います。 結婚したばかりのころは「食べるため」に働いていました。夫の収入だけでも節約すればなんとかなったのかもしれませんが、遊びたいとか欲しいものがあるとか将来的な蓄え(子供ができたときの貯金)でした。このときもやっぱり仕事へ行くのはつらかったですね。家のこともあったし、仕事メインに考えていなかったので役職でもなく、給料も良くなく。 一念発起して学校へ通い始め、学ぶために働いていたときは闘志に燃えていました。自分のお金で学ぶのだから貪欲でしたし、両親が出してくれていたころの学費はもったいないことをしたな(学校をサボったり、行っても寝ていたりしていたので)と初めて反省しました。モノでないことにお金を使うということの価値もなんとなくわかりました。 その後、いやいやしていながらも失敗と時間による経験でそれなりに技術が身に付き、入社した会社で(なぜか)天狗になっていた鼻をボキボキ折られたときは辛かったです。仕事に対しての苦痛というよりも、自分自身の不甲斐なさを実感し、お金を得るというのは本当に大変なものだと思いました。その時から「お金をもらう以上はそれ以上の成果をあげよう」とか「がんばるだけじゃなく結果をだそう」とか「これだけやって、これだけ結果を出したのだから、ちゃんとした評価をしてほしい」と自分の仕事を真剣に見つめるようになりました。 今、仕事に対して考えているのは「自分ができるだけではダメだ」ということでしょうか。これについてはマダうまく説明できませんが、後継者を残すとかいう大それたことではないのですが、う~んやっぱりうまく説明できません。 最後に「働くことは生きること」だと思います。さらに「働くことは共に生きること」かもしれません。 いかがでしょうか。

piquet_man
質問者

お礼

自分ができるだけではダメだ、の真意が知りたいですね。 周囲のモチベーションを高める存在になるべき、ということでしょうか。 「働くことは共に生きること」にも繋がっているような気もします。 ありがとうございました。

  • beru8273
  • ベストアンサー率26% (34/128)
回答No.2

意識というと、普段あまり意識したことはありませんが、 改めて考えると、私は事務6年目ですが、入社当初は自分に向いているのかどうか、模索しながら、ただがむしゃらに働いていましたが 3年目を過ぎたあたりから、基礎的なことは出来てきたので、この仕事で自分がどれだけ出来るのか・・・自分の能力の限界までやってみたいという気持ちが出てきて、今の仕事に活かせる資格を取得し始めたりしています。 最近では、少しずつ落ち着いてきた気がしますが、一昨年、慣れからくるモチベーションの低下に悩んだ時期もありました。 マンネリとでも言うのでしょうか、一通り仕事もこなせるようになり、遣り甲斐を感じない時期もありましたが、上司から、これからは量より質だな・・・と言われ、今までは自分が出来ることは、なんでもやってきましたが、これからは今ある仕事を、いかに完璧にこなしていくかということで、日々、努力しています。そして、それにとても遣り甲斐を感じています。 なんにしても、今では生活の半分以上を占めているのが仕事なので、貯金したいという気持ちもありますし、まだ今の会社に必要とされている限り、続けられればと思っています。

piquet_man
質問者

お礼

何に対してもそうですが、マンネリという現象は怖いですね。 特に私なんかは新しい刺激を求めてしまう性分なので、ひとつのことを長く続けられず、その結果、あらゆることから逃げてしまったような感覚に陥ってしまいます。 改めて気が付くことができました。 ありがとうございました。

  • 8823kin
  • ベストアンサー率32% (109/337)
回答No.1

私はデザイン関連の仕事をしています。現在は独立していますが、サラリーマン時代(会社員)の頃疑問に思っていた事が一つありますね。それは仕事と収入のバランスでした。同業種間で会社も3つほど変わりましたがどの会社でも一番働いていたと思っています。仕事の依頼が多くて、定時に帰る人もいるにもかかわらず『残業と時々徹夜』みたいな年月が続きましたね。仕事をたくさんやる人も、やらない人も給料には差がない。という現実を前にやはり悩みましたね。でも、そこで仕事を投げだせる様な気質でもなかったため、しかたなくですが意識改革に取り組みました。「基本的に仕事は趣味でやっている」くらいに思えるように、自己暗示を無理矢理かけていたような気がします。でも、まあ、そのおかげだったのか、今やっている仕事の大半は自分の好きなジャンルのものが中心で「これって、ひょっとしたら天職かな?」と思いながらの日々を送っています。どうせやらなくてはならないなら、「好きになってしまおう!」。スタートラインはこんな所からでしたね。今、自分の仕事に対しては全く違和感もなくほとんど「趣味の世界」です。もちろん、それなりに全力で取り組んでもいますが、ハードなスケジュールでも苦にはなりませんね。そう言えば昔、会社の社長から「どうだ、仕事は面白いか?」と聞かれ「もちろん楽しくてしかたないですね!」と答えたところ、その返答が「そうか、楽しいか!じゃあ、会社としては君からお金を貰わなくてはならないな!」と返ってきた事もありましたね。実際は、逆で、20代の私に対して、部長クラスに匹敵する賞与を出してくれるという約束がされた瞬間でしたが。まあ、そんな時もあったな、と思い出しています。とりあえず、仕事は趣味みたいなモノですが、あとは「いつまで続けられるか?」ですね。

piquet_man
質問者

お礼

仕事は趣味のようなものと仰られながらも、こなす仕事はプロの作品なのだと思います。 これは理想的な姿ですよね。 仕事と言われてしまうとある種の拘束間が生まれてきますが、趣味の延長だと思えば不思議と気楽に構えることができそうです。 やることは同じでも。 とても良い意識改革だと思います。 参考になりました。 ありがとうございました。