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白蛇教異端審問という本の内容の一部について
露わにされたディテールの集積が、一人の人間の死の物語だという重さに、だ。 それでもなお「觀察」を続けるのは、私の中に小説家の義務感に裏打ちされた切実な欲望、一線を越えた人間を見たい、というものがあるからだ。 一行目の最後にだがある。それはどういう意味ですか。 私の中に小説家の義務感に裏打ちされた切実な欲望 これはどういう意味ですか。
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- snaporaz
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「だ。」はその前の文を受けているんじゃないですか。例えば「私はうちのめされた。~に、だ。」とか。倒置であり英語なら関係詞節。単独では普通は成立しない文です。 「私の中に~」のほうは、その直後に答えがあります。「(すなわち)一線を越えた人間を見たい、というもの」です。並列で違うことを述べる用法もありますが、ここではどうせ同じようなことしか用意していない。つまり前後で同じ、言い換え。もっと言えば先にカッコつけたあるいは持って回った言い回しにしたものの、イマイチわかりにくいので解説を添えた。
遅い晩飯の腹ごなしに補足。 >「中学生レベルの。」では日本語の1文として落ち着かないと感じて,最後に断定の「だ」を添えた。 なぜ落ち着かないかというと,「中学生レベルの」が修飾語であるのに,後ろに被修飾語がないからです。ここに「だ」をつけると, 中学生レベルの(国語の問題)だ。 の( )内が省略されたと解釈できるようになり,構造的に落ち着くのです。それでもぼく個人は,「だ」を添えない形式のほうを好みますけどね。「だ」には押しつけがましい響きがあるから。 ま,国語の先生に聞けば,言語学的にどうこうと詳しく解説してくれると思いますよ。ところで,あなたは留学生なんですか? そんな「かたこと」の文章表現です。
国語(現代文)の問題ですなあ。中学生レベルの,だ。 ↑このような「倒置して強調する」という修辞法じゃないですか(英語ではこれがふつうの語順になります)。英語ふうに 国語(現代文)の問題ですなあ,中学生レベルの。 とも書けますが,この著者は文を2つに分割した。しかし,「中学生レベルの。」では日本語の1文として落ち着かないと感じて,最後に断定の「だ」を添えた。 ------ 「私」(著者)は「小説家は人間の真実を発見し,それを記さなければならない」という義務感をもっていて,「一線を越えた異常な状況下で人間のふるまいにこそ真実が発見できる」という仮定のもとに,一般人からみれば冷酷で執拗な「観察」を続ける。 言葉をおぎなえば,こういうことでしょう。 -------- 「国語」カテゴリーでも質問してごらんなさい。国語の先生(+退職した先生)とおぼしき回答者が,もっといい説明をしてくれるでしょう。
- SPS700
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1。だ。 山田が東大に受かった。 これは普通の文です。しかし何か理由があってこれが予想外の出来事だった、ことを強調したい時には (あの)山田が、だ、(よりによって)東大に、だ、受かった(って俺未だに信じられないんだ) のように、助詞のあとに断定の助動詞を付ける場合があると思います、その例でしょう。 (あの)山田が、ですよ(しかも)東大にですよ、受かった(んですって) とデスマス体に変えることも出来ると思います。 2。「私の中の欲望」がどのようなものかを、小説家にはこのような義務の観念を持っていなければならないと言う信念に支えられているものだ、と説明しているのでしょう。