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身近な人に対して「見捨てられ不安」を持たない方法
私は、生理的な欲求は強いほうですが、 対人関係においては自分を抑えて、我慢してばかりいるタイプです。 会社や友人や家族等との摩擦を恐れて、我慢する一方です。 その萎縮した態度に腹が立つらしく、さらに怒られるというパターンに はまってしまい、双極性障害という疾患にも羅患しています。 どうしても、距離感の近い人には心を抑えてしまいます。 「嫌われる勇気」というアドラー心理学の書籍や 「双極II型障害という病」という書籍などを読み 勉強しました。 理想論みたいなことは書いてありますが、 「見捨てられても構わないとか、大モメした挙句離縁しても構わない」 等、と割り切ることが出来ません。 ならば、最初から親しい関係は築かずに、知り合い以上仲間未満という 関係で留めて、うすーーいつながりをたくさん作るような生き方をして 行こうと思ってしまいます。 私は怒りを表に出さないように、抑えて抑えています。 身近な人に怒られるとものすごく、怒れてしまいます。 それは刃物で心臓を何十回も突いてやりたい程です。 小出しに怒ることは難しいです。 なので、フタをしています。 フタをし続けているので、身近な人と関することで問題が 怒ると、双極性障害の症状も悪化してしまうという 「人生の遭難」みたいな状況を永遠とさまよっています。 この文書を書いているだけで、妻や上司を惨殺したくなってしまう自分が居ます。 なので、言葉にも行動にも出さず、怒りを抑えて善行を 行うようにしています。 良いことをすれば良い事が帰って来ると信じていますので、 しかし、滅私奉公のような生き方をしていては、病気は永遠と続いて しまいますし、生物らしくない・動物らしくない・人間らしくない と思います。 投薬治療と心理療法も受けていて、カウンセラーはクライエント自身の 力による克服を助ける者なので、案を教授してはくれません。 身近な人に見捨てられ不安を持たない方法は無いでしょうか? 「嫌われる勇気」アドラー心理学のような理想論はなかなか実践に落とし込めません。 身近な人や赤の他人に怒りをぶつけられず負の感情が高まりすぎると 自己破壊に及んでしまいます。 それでも、頑張るしかない。トランキライザー・気分安定薬漬けになることを覚悟で日々我慢して、頑張っています。 何かヒントをいただければ、幸いです。
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- tkmn_001
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(あくまで私の行なったことなので、ご参考までに) ご記載頂いた衝動に以前よくなっていました。 電車内や道を歩いていても、誰かの発言を聞いても、自分より 精神的に幼いと見なすや年上であれ、破壊的な衝動に駆られて 想像が飛躍しすぎて最後まで妄想が行ききってしまうことが よくありました。 そのあと、かなり時間は掛かったのですが、精神面をかなり鍛えました。 内容としては、「周りの人に依存しないこと」「必要以上に興味を持たないこと」 「場合によっては、周りになにもない、人も居ない世界を想像して、無感情状態を作ること」 「ずっと笑顔でいること」「他人は自分の子供のようなもので、何も出来ないし、 まともに行動することも出来ない人が数え切れないほどに溢れていること」 「自分はこんなドロドロの現場にはいるべきではないこと」「自分と人とは違うこと」 などなど、色々世の中を定義づけて、心を常に空っぽにする状態を保つように しております。 今も多少は感情的になることはありますが、以前よりはだいぶマシになりました。
- ゆのじ(@u-jk49)
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他者の攻撃に耐え、そして、反撃可能な身体を持つべく、筋トレで体を鍛え上げましょう。強い体に強い心が宿ります。で、我儘が言えるようになります。自我も発散できるようになります。「自立」した人間になれます。「自立の精神」を獲得できれば、却って、周囲の人間は邪魔でしかない。極論すれば、そういうこと。一人、孤高に「真実の探求者」を続けられる。 今後の趣味として、体の仕組み、筋骨の仕組み、心肺の仕組みを勉強しつつ、ウエイトトレーニングを続けていますと、「体は宇宙そのもの」なので、森羅万象、あらゆる問題の解決可能な普遍的真理(魔法の鍵)が見つかります。筋トレを一つの趣味として、究極まで突き詰めてみましょう。 あらゆる問題、あらゆるドアが開く、「マスターキー」を探し求めて、人は生涯を生きるのです。必要以上に周囲に煩わされていては、マスターキーに辿り着けない。訳が分からないまま死ぬことになる。何時でも良い。一定の到達点に満足して、死を迎えたいと思う。
お礼
13歳の頃からトレーニングジムに通い、23歳くらいまでジョギングや柔道をやってました。 その時は体力バカで、中学二年で体重45kgくらいでしたが、握力は体重以上で、背筋力は195kg位ありました。 大学時代はジョギングは週で50kmくらい走っており、柔道の練習は週に3回くらい行ってました。 実はその15~23の頃は人生で一番辛い時期でした。 今よりも感情が悪い状態で、腕切って切って自殺念慮を抱いていました。 なので、精神疾患の本やビジネスの成功方法の本に筋トレすると上手く行くと書いてあるのが、とても信じられないと言うのが、正直なところです。 とはいえ、有意義なアドバイスありがとうございます。
- yoruaru-q
- ベストアンサー率17% (476/2703)
感想を書きます。 怒りはあってもいいし否定しなくてもいいと思います。 正しい怒りは世の中をよりよくするために役立つと思っています。 心理学や精神の治療は、治療をすることが一般化したり、治療方法の研究が始まる前の時代までは、基本的にはその方「個性」だったと思います。(例外として「霊的な現象」ととらえる文化もあったかもしれませんが、現代では否定すべきです) 「見捨てられてもいい」という風に考えると行動の幅が広がるだろうなと思います。 「見捨てられ不安」で何もしないで一箇所に固まっているよりは、社会的な成功に近づくチャンスに出会う可能性が出てくるかもしれない。 得かもしれない。 「見捨てられてもいい」という風に考えての行動をすると受けるストレスの種類も変わり、負の感情を溜めることはなくなるのかもしれません。 あまり他者を気にせず、前よりもたくさんの人と良い関わりを持って社会のためになる活動をしていくと、エネルギーが外に向いていくのではないかと思います。
お礼
見捨てられても良いと覚悟を決められたらとても楽だと思います。 家族や会社の人達からは豹変ぶりに驚かれて、下手すると喧嘩別れになると思います。 多分、喧嘩別れが多い人間になるのかなと (そーいえば、会社の社長がそういう人です。) それが出来る人の方が賢者なんでしょうね。 ありがとうございます。
- 00000000aa
- ベストアンサー率26% (385/1478)
双極性2型と診断されています。私は質問者様のように怒りにふたができません。よって思わぬ争いや人からの糾弾をうけ、その都度攻撃を受けています。 攻撃的になるといけないと思っても我慢できないのです。質問者様の苦しみは想像に余ります。ですが、この病気は上下が激しいので…今されている心のふたも自分を守る為に必要かもしれません。 自制されて更にご自分を客観視されているのは凄いことだと思います。どうぞ心穏やかに過ごされますように。
お礼
同じ様な疾患をお持ちの方からのご意見は慰められます。 >今されている心のふたも自分を守る為に必要かもしれません。 今の私にとっては苦しいながらも賢い(良い)の選択をしているのかもしれませんね。 私自身では、自分が愚かに思えて仕方がありません。 (少し回復してきたと思ったら、感情を押さえ込んで再び悪化というループから抜け出せず、正負の感情の振り子の大きさと速度は増すばかりです。) しかし、回答者様の言葉は嬉しく感じました。 ありがとうございます。
良いことをすれば良いことが帰ってくると言う考えを捨てた方がいい。 これは他人からのリターンに期待していると言うことであり、 それが帰ってこない(もしくは自分が満足するほどではない)場合、 あなたは大きな不満を抱えることになる。 善行というのは自己満足のために行うべきだよ。 結果、周囲にもよいことがあるならラッキーって程度の話だ。 また、リターンを考えるってのはそれこそ見捨てられ不安の根元なんじゃないのかな? 誰かから(もしくは何かから)返ってくると信じるのは 繋がりを持つこと、繋がりに期待することそのもの でしょう。 捨てられる不安を捨てるためには 自分一人でもやっていけるスキルと自信を磨くこと、 他人に深入りしないこと、 誰か一人に捨てられても孤立しないよう、 他の知り合いもたくさん作っておくこと。 これはどうなんだろうなって思うことだけど 一期一会の精神で、 毎日会う人のことも新たに関係を築く気持ちで生きてみる、とか?
お礼
>良いことをすれば良いことが帰ってくると言う考えを捨てた方がいい。 直接本人から見返りが返ってくるという考えはなるべく捨てるようにしています。 なかなか難しいですが。 そして、直接 家族や友人や会社から見返りが返って来ないなら、「期待しない様に努力する」という心労を捨てるために、自ら離縁した方が良いのではないかとも考えています。 (しかし、一般論に照らし合わせたり、理性的に考えていくと、それも賢くない。かといって他に賢い方法も無い。) >一期一会の精神で、 >毎日会う人のことも新たに関係を築く気持ちで生きてみる、とか? 良い提案とアドバイス、ありがとうございます。
- kaitara1
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頑張るというのはできないことをやろうと焦ることではなく、できることを丁寧にやり続けることです。
お礼
例えばその辺の運動不足の中年に今日明日中にも10kmジョギングするという課題があったとして、頑張れば出来る人がほとんどだと思います。 しかし、運動不足の中年がいきなり10kmジョギングはちょっと無理があります。 そういうことの繰り返しなのです。 明らかに出来ないことはしていませんが、ちょっと無理すれば出来る範疇のことが、周りの人からすれば「出来て当たり前」になってしまっているのです。 そういうレッテル・ラベルを作った過失は自身にもありますので、自業自得といえなくは無いです。 自業自得の一言で片付けられる程、私は大罪を犯したつもりはありません。 ある程度距離感のある人とはまぁまぁボチボチとやっていけるのですが、距離感の近い人とはどうも上手く行きません。 私の両親は70近くになりますが、2人とも命に関わる大病を経験したことにより、ただ命があり大きな病気・怪我がないだけで幸せであり、物質的なものに幸せは余り無いということを悟ったようです。 私が子供の頃の時の親とはまるで別人のような価値観を持っています。 基本的な人格・性格は変わりませんが。 話はそれましたが、「出来ること」の範囲の齟齬があり、永遠とそこに苦しめられている状態です。 齟齬を埋めようと話し合いを持ちかけると、大概相手は感情的に怒り出して、私が萎縮して何も言えなくなるか謝って終わるというパターンがほとんどです。 人生遭難していても、自己研鑽だけは少しずつ続けて行きたいと思っています。 また、一時の感情で、他者破壊に至ることだけは無いように、薬に頼ってでも、自分を破壊してでも守っていこうと思います。 欲を諦めることは欲求不満を捨てることになり、楽になると思いますし、なるべくそうしていますが、そうしたら無気力気味になってきました。 そして今は、ますますロボットの如く無欲で、見返りを求めず働く。よく言えば合理主義、悪く言えば「最大限努力している様に見せかける」様な状態で凌いでいます。 アドバイス、ありがとうございます。
お礼
私の場合は、身近な人と関するトラブルに心を拘束されて、1日24時間・1週間144時間・1ヶ月720時間うち、トラブルに関して直接的な苦痛を避けようが無い時間はほんの数%~十数%に過ぎません。 にも関わらず、その負の感情を「楽しいはずである時間」までず~っと引きずっており、大分愚かしい生き方をしていると思います。 その人(や会社・家庭等)のことなどどうでも良いし、今すぐ死んでもらっても構わないし、今すぐ絶縁しても構わないくらい思うことが出来れば、忘れることも出来るのでしょうが。 ありがとうございます。