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自営業は一芸に優れていないとなれないのですか。
私の父は大学卒業後、数社を転職し、法学部卒に関わらず、鉄工所に機会や部品を売る会社を 立ち上げ、兄・私と同年代の周囲の友人に比べると裕福な育ちだと思います。 が父が一芸に秀でているとは思いません。 とにかく、気まじめ これが取り得です。子供の頃は 「パパは頭良いな」と思っていましたが、 今は、一線を引退し、のんびりしたおじいちゃんです。 大学も関西圏の関関同立の内の一校の法学部です。
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数社転職するうちに、失敗しないスキルを確立したということなのではないでしょうか。
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- radnelac
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ご自身(父君)の洞察力が秀でていたのかも知れません。 其れを『一芸に、、、』と言うのかどうかは判りませんが、 四大法学部出身であれば、その道に近い職場で仕事というのが一般的です。 しかし、数社の転職の結果 新たな発想で会社を設立されたとか。。 転職する間に、ご自身の身の置き所はどんなの所か悩まれたのだと思います。 其れには先見性と先の洞察力が生かされたのだと感じます。 つまり、経済社会のニーズが何処に有るのか?を察知し事業を 始められたと思います。 様々な事象に対するものの見方考え方、勿論開設の当たっては 資金繰りや人脈、販路、地域性、人材、好機など様々な条件が 整えられるか? しかし、事業が恙なく展開され、お話しでは順調に推移した模様です。 思うに、ご自身がお持ちの頑張りと、世の中をしっかり見つめ、 ご自身の待場立場での、思考が正確で緻密で有った事の証なのかも知れません。 いずれにせよ、法科出身で有るのにも拘わらず機械やパーツの販売店経営とは ただただ頭が下がります。
お礼
昔の親父を絵に描いたような人で、社交的ではないですし、小難しいじいさんです。 いつも、家族に言われているのが府警に入りたいので、法学部を選択したのなら 背が何cm必要とかなんで調べなかったのと言われています。 書斎には古き六法全書が並んでいますが、母がニュースなどを見て、法律的なことを 聞くと、結構、答えるようです。 今は、隠居してパソコンを一日中、触って何か調べたりしています。 過大なるお褒めのお言葉、恐縮いたします。 ご回答ありがとうございました。
自営に一番必要なのは「信頼」ですよ。 これは会社員でも何でも一緒ですけどね。 信頼は簡単には築けないものですし、簡単に失う物でもあります。
お礼
信頼を築くのは容易ではありません。(人としての信用・金銭等の信用) が、失う時にはあっという間に失います。 20数年前、バブル期があった際、私は20歳くらいでしたか、車を買う際に私ではローン を組めないので、父に代わりに借りてとお願いすると、審査もなく翌日、現金を銀行がお持ちくださりました。この時、「あー父の会社は信用があるので、こういうことが出来るん だ」 と父の信用を目の当たりにしました。 (当然、会社の預金を抵当に入れる、バブルという狂った時代であった事も関係します が)
- kaitara1
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一人で何でもこなすというのは実は最高の一芸なのでは。もちろんこなしかたもすぐれたものであったはずですが。
お礼
親のことなので仕事のことは良く解りませんが、 私は父に溺愛されていましたので、甘やかされて育ちました。 なので、親としてはどうだったか。 女の子なので女子高の一環校に行かせることが夢だったようで、音大だったので ピアノが苦痛でした(何台も買い換えたので、いろんな面ですごく教育費にかかっている と思います。 肺炎の際に入院せず、通院で治したことがありました。若かったからですが、 自分がないと吹けば飛ぶような会社は即、倒産するから入院なんかできないと 言ったことはすごく覚えています。 常に親ってすごいと思います。(私も親ですが足元にも及びません)
- JSJSJS
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寧ろ、経営者としての能力だからバランス感覚とコミュ力が重要でしょう。 販路のためには営業ができないといけないし、ある意味全ての基本ですな。 一芸に秀でている人間は寧ろ雇われる側になることの方が多い。 医者で例えれば、大病院の専門医と小病院のかかりつけ医の違いやな。 前者は特化していればやっていけるが、後者は治療以外にも経営を 考えなくてはいけない。 親が生きているうちにしっかり教えてもらう方がいいよ。
お礼
兄が後継者とならなかったため、父は後継者を育てていました。 会社は存続しています。 私達一同は株主と言う形で会社を牛耳っているかたちです。 当サイトで、コメントされていた方がいらしたもので。
お礼
企業は私が幼い頃のようです。 法学部に入ったのは大阪府警に入りたかったかららしいです。が、背が小さく試験に合 格できず、地元でバス会社や大手鉄工所の経理をしていたそうです。 その後、なぜか鉄工所に勤務します。その会社が倒産しそうになったので、企業したと は聞きましたが、当初から企業を考えていたかどうかは聞いたことがありません。 企業から社長を譲るまで一度も借金をしたことがないことが自慢のようです。 企業の際は、母が兄と私の教育資金に貯めていたお金を使ったそうです。 こう考えると親のことって知らないですね。機会があったら聞いてみます。 別の方にもお礼いたしましたが、母も 「この人頭がいいな」と思っていたそうです。 が、今はただの隠居じいさんと言っています。 父には数え切れないくらい感謝をしていますが、今春、息子が大阪大学に合格しまし た。 3歳から、お勉強に通わせ、中高一環の私立に通いましたが、息子は常に勉強している イメージが強いので、勉強が好きなのだと思っており、合格の際、勉強好きだもんねと 聞くと 「じいちゃんを見ていて、75歳で大学を出ている人なんて少ない上に起業し、勉 強はしなければいけないものだと思っていた。勉強なんか嫌いだよ」と言いました。 そういう面でも感謝しなくてはいけませんね。
補足
すみません 企業 → 起業 間違っています