仕事となれば山ほどありました。
江戸時代に死罪や遠島などの判決には将軍の許可が必要でした。
お奉行様が、これにて一件落着!などということはありませんでした。
老中などから伺い書が出されれば、その都度読んで判断する必要がありました。
よきに計らえ、などは許して貰えませんでした。
実際に再検討を命じた例は沢山あります。
中期以降は目安箱というものがあって鍵は将軍以外の人が開けることが出来ませんでした。
投函されれば読んで老中に対応を下命する必要がありました。
いずれもキチンと読んで内容を理解する必要があります。
子供のころから徹底的に勉強させられました。
江戸時代は儀式の時代です。
毎月のように年中行事がありました。
これに法事や朝廷からの使節への応対がありました。
現在の天皇皇后の公務のようなものと考えて下さい。
このような時には大広間でジット座って挨拶を受ける必要がありました。
必要に応じて声をかけることもありました。
居眠りなど許されません。
元旦にも慶賀の行事がありました。
二日には外様大名が挨拶に来ました。
正月早々元旦二日と延々と大広間に座り続ける必要がありました。
寝酒をかっくらって寝正月など夢の又夢です。
排便の処理はなまけている訳ではありません。
レントゲンも血液検査もCTもない時代に内蔵疾患の早期発見予防には大小便が重要な情報源です。
色や臭いの変化で判断しました。
現在でも糖尿病や肝臓病、腎臓病などの発見の目安とされています。
大名は勝手に死ねません。
下手に死ねば、藩が消滅してしまいます。
大名の健康には家臣一同の生活がかかっています。
子作りも藩のための義務です。
奥さんも一人では心許ないので江戸と国元に最低二人はいました。
勝手に選べません。
家臣が選びます。
場合によっては幕府から押し付けられます。
嫌も応もありません。
いうなれば個人の身体ではなく藩にとって欠くことができない身体といいますか装置です。
健康で長持ちするように寄ってたかって管理されていました。
自分の体でありながら自分の体ではない、という恐ろしく人権を無視された役職だと考えて下さい。
偉いから大事にされていた訳はありません。
いまどきの中小企業のアホな三代目社長と混同しないように注意して下さい。