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教育はこれでいいのか?
- 教育は子供の好き嫌いを無視し、忍耐だけを重視するのはナンセンス。
- スポーツや技術、料理などの好きな分野を通じて教育する必要がある。
- 学校よりも塾や習い事が重要視される現状で、言葉遣いも軽くなりいじめの温床になっている。
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世界でもとても教育水準が高いと言われるフィンランドが、教育方針の転換を行うようです。多様化する社会に対応できるように、教育も多様化する、そんな感じのことがニュースになっていました。今のままでも十分に評価されている自国の教育を改革するという、常に前進する姿勢がいいなと思いました。 フィンランドとは風土も国柄も全然違いますが、そういう姿勢は見習ってほしいものです。保身ばかり考えている学校教育関係者は、顔でも洗って心機一転して出なおして欲しい。子供の人権を無視するような教員は牢屋送りでいいでしょう。 さて、人によって能力の優劣は確かにあるが、だからといってそこに人間としての優劣は認められない。まして、それによって出来損ないなどと言おうものなら、言った方の人間性が疑われる。 私は、思い切って義務教育の学年制をやめて、単位制にすればどうかと思うのです。例えば10歳でも中学の単位を取れるようにしたり、逆に14歳でも小学校の単位を取れるようにすればいいのです。早く歩きたいものは早く歩き、ゆっくり歩きたいものはゆっくり歩けばいいのです。目安、指標だけ作り、あとは生徒個人の生き方にあった教育を受けられるようにしたらどうかと。この際、能力の優劣をオープンにしてしまい、かつ、人間としての品位を保てるような道義を同時に諭してやればいいのです。あと、ユニコさんは選択制の副教科の充実を訴えているようですが、それも私は否定しません。美術や体育や技術家庭をより多くとって、それに適性を見出した人は、それによって個性と自尊心を培えばよいのです。歯車のように働く人間を作り出す教育ではなく、その人がその人らしく生きていけるような将来を描ける教育の方が道理に適っています。 そもそも、厳しい大人の社会などといいますが、適当に生きてる奴なんてゴマンといるでしょ?適当に生きることを推奨するわけではありませんが、もっと寛容な社会が作られなければいけないと思います。
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まずは 子供に学問の幅を広げさせる事です・・ これしか無い等という様な教育で無く どんな分野があるのか・・を教える為に 義務教育があると言っても過言で無い・・ 好きだから それに没頭させる様では駄目になった場合や挫折した時 或いは嫌いになった時に困るだけ・・ だから 現在の方針で あまり 不都合で無いだけです・・
お礼
もちろん義務教育自体を否定しません。 しかし高校まで 何でどこも同じようなカリキュラムなのでしょう? 氷川きよしは芸能コース出身です。そういうコースがなかったら 彼は何をやっていたでしょうか? 勿体無いじゃないですか たった一度の青春を 悔いなき様にと言うけれど 春野嵐が過ぎたあと 何もしなかったと悔やむより ああ 過ちに 泣くほうがいい(裸の青春) どんどん色んあコースを作ってもらいたいものです。 不都合を感じないのは 劣等生の扱いを受けた事がないからでは? どうもありがとうございます。
- itaitatk
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確かに多様性を認めるべきだと思います。 世の中のほとんどが高校に進学し、半分以上が大学に進学しするというこち自体おかしなことだと思います。
お礼
中学まででも学問が多すぎます まして高校はやめる子が沢山いますよ。 文部省の役人は勉強が好きだったか詰め込んだか知りませんが 訳も分からず「次の問に答えよ」と言われても 尋問か拷問です 人の身にもなってやれよと言いたくなります。 勉強が出来ない事は悪いことなのか?無理やりやらされる事に耐えるのが人生なのか? 確かに義務教育は必要ですが 中卒や高卒ではいい仕事が貰えないんですよ 大学まで行って 大学生活をエンジョイして 高い初任給貰って 管理職につく資格を持って 学閥を作る。 高卒、中卒からしたら、そんな差別はないですよ。 大学に半数以上進学するのはいいですが 寝てるんじゃないでしょうか?授業では? お金がないと私立大学にはいけませんよ、国立でもそうです。 どうもありがとうございます。
- lisa6708
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良い点を主張されたと思います。 戦前の教育は貴方の言うような子供の能力に合わせた教育であったそうで、優秀であれば飛び級もあり、農作業が得意であったり、必要とされたらそういう道もあったようです。これは児童の能力に合わせた公平な教育であったという考え方があります 戦後になって戦前の教育は否定され、能力のある無しに関わらず教育を受ける権利があるとされた。これが戦後の公平な教育とされた。 どちらが良いのか悪いのか、或いは改良が必要なのかは、色々と考える必要がありますね!
お礼
私の大学時代は中学校の校内暴力の時代でした 何の為に学校に集まって 何の為に教え教わるか 大いに疑問がありました。 大学は中退しましたが その後家庭教師を仕事とした時期があって 勉強の出来る子や出来ない子を教えるうちに こりゃ向き不向きがあるなと思いました。 それなのに 出来ない子まで悪成績を叱咤し まるで悪い人間 価値のない人間のように考える世界に疑問を感じました。 勉強の好きな子には勉強を教え 農業の好きな子には 農業から勉強を広げ 生物や化学や社会や経済、栄養学などを教えてはどでしょうか それも必要なことから始めるのです。子供にはそれがどう必要なのかわかりません 成る程哲学には何でも必要かもしれませんが 農業には優先すべきはあると思います。 工業にも技術から勉強を始める手があります 現に数I数IIとか使いませんから我々は。技術では使うかもしれませんが。 栄養士に数IIとか物理IIとか要らないですよ。それに興味を持てという方が無茶です。 どうも大変ありがとうございます。
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お礼
仰る通りだとも思います。そう思うのですが 問題は 能力のある人間は給料を高く貰い やり甲斐のある仕事に就ける が 能力に劣るものは給料も安く ロボットの代わりの様な辛い仕事をさせられる 評論家で高いお金を貰えれば そりゃ楽しでしょうけど 空調を毎日毎日清掃、整備する仕事は面白くないです。辛いです 咳き込みます。 まして仕事にさえ付けない人もいます そのような人は福祉の世話になるのですが その福祉を行う人が結構大変なのです。 人権は皆平等なのか それともグローバルスタンダードとはその様なものではないのか? その辺をちゃんと議論しておかないと ゆとり教育を受けたのに 生存競争の社会に放り出されることになります。 どうも大変ありがとうございます。