- ベストアンサー
人生における「無駄」
タイトルのとおりです。長いのか?、長くないのか?さえも分からない自分自身の人生ことを考えて、貴重な人生なのに、ずいぶん「無駄なこと」と思えることもしてきたし、終末が近くなっているのかも知れないにもかかわらず、まだ「無駄のこと」をしているような気がします。 これ以上「無駄なこと」はしたくないと思います。しかし、よくよく考えてみると、そもそも人生において、『「無駄なこと」というのは、どんなこと』なのかが分からなくなりました。 この質問を読んでいただいたお方に、お伺いいたします。 『人生における「無駄」』とは、どんなことだとお考えでしょうか?
- みんなの回答 (14)
- 専門家の回答
みんなが選んだベストアンサー
無の境地に至った私には、 呼吸している。 それだけで生きていることの喜びが込み上げてくる。 何かへんてこな事をやっていても、損得とまつわる無駄ではないよ。 変なまねも遊びだ。 存在することの喜びと感謝が大切だ。 ところで、 私は幾百の悲しみを幸福に織り上げる織り手。 栄光の初代男子プリキュア。 キュアブルームだ。 変だろ。 楽しんでるよ。
その他の回答 (13)
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
>人生における「無駄」 そうですね。私もよくそんなことを考えます。日長いちにちぐだぐだと日光浴に精出して、そのあいまに美食を3回、風呂に入って快適快眠。そういった南欧でのヴァケーションを毎日何ヶ月も過ごして何の疑問も持たず、ぶれない精神の確かさを持っている白人たちには思い浮かぶことの無い疑問だろうと思います。 彼らは人生を楽しみと割り切って、勤労を厭います。 日本人は勤労を人生の目的と解釈する傾向があるので、とかく仕事仕事、実効のある毎日を好み、あいまには「無駄とは?」と真剣に考えることもあるのでしょう。つまり、貧乏暇なし、目的に向かってひたすら進む、その方向へそれること、抵抗する怠け心、邪念、邪魔ものすべてが無駄に思えるのではないでしょうか。効率100%の人生機械といったイメージ。 そういった邪魔ものをすべてそぎおとしてひたすら人生の目的に向かって突き進む。死ぬまでにどれほどの距離をゆけるか、どれほどの財貨を稼ぎ積み増せるか。最後は過労死に斃れる、そんな馬車馬人間もあっていいとは思いますが、なんだかさびしい感じもします。 私は、人生というのは3食と眠ること、つまり生きる楽しさ満足心を基本として、それでおたがいが少しでも楽ができるように協働する仕事という観念が生まれた、と思っています。多分それらに無駄なものはないのですね。仕事の働き分けがうまくいって、中には暇をもてあます人も増え、ある人は空を見て宇宙に思いをはせたり、木刳れや石を削りこんで芸術品を作り始めた。こういったものは、無駄といえば無駄ですが彼らはそうすることで更に満足心を満たした。近年は科学になってさらに多くのひとを暇にさせることに成功したということでしょう。 逆説的ですが、人が一日過ごして「あーっ今日は一日無駄に過ごしてしまった」と思うこと、一日を否定してしまうことが一番の無駄なことだと思います。精神的なダメージを与えて余命を削ります。 人間が生きることに無駄なものはない、と私は思っています。なにであれ自己肯定、無駄な思想でしょうか。むだにしそうですか、余暇人生w。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「そうですね。私もよくそんなことを考えます。」……私は、そんなことも考えずに、ただ毎日を過ごしていたように思います。ふと、『人生における「無駄」 』という疑問が湧いても、考えもせずに、手っ取り早く質問をしてしまいました。 もう、歳相応の経験も積んでいるのですから、少し自分なりに考えてみたいと思います。 「そんな馬車馬人間もあっていいとは思いますが、なんだかさびしい感じもします。」……まったく同感ですね。私は馬車馬人間とは全く別の人生を歩んできましたし、現在でも、のんびりと、「自分らしさ」というのを考えながら暮らしていますが、てんてん。(*^_^*) 「なにであれ自己肯定……」……考える上での参考になりそうです。ありがとうございました。
ん?貴方は自分の人生で何をしたいのですか?夢や目標、願いは無いのですか? それと関係のない行動全ては無駄なのではないでしょうか。 ある意味それはご本人にとってとても合理的な生き方になり無駄はなくなりますが楽しみもなくなるでしょう。 無駄かどうかよりも貴方にとって何が価値あることか、それを見極めて行動すればいいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「貴方は自分の人生で何をしたいのですか?夢や目標、願いは無いのですか?」……ないことはありませんが、ほとんど意識しなくなりました。 「それと関係のない行動全ては無駄なのではないでしょうか。」……でしょうか?もう一度、「夢や目標、願い」というのを考えてみて、それと関係のない行動全ては無駄なのか、考えてみます。 「無駄」ということと、「価値」がないということの違いは?……考えてみます。
- amenhotep2000
- ベストアンサー率31% (72/227)
22azqq22さん こんにちは。 追伸です。 先の私の回答は、いかにも物事を思考するにあたり、「孤独な観察者」としての哲学者または科学者のような回答ですが、確かに私は孤独な時間も読書して、楽しい時間ですが、決して、孤独ではなく、すばらしい恩師や友人に囲まれて過ごしてます。 何が言いたいかというと、人間は一生の間、自分ひとりで生きているわけでなく、他人という誰かと過ごしている時間がある。 その時に、人間はお互いに影響しあい、私という主体に変化を与えるものと考えます。 先の回答で人生哲学などと書きましたが、人はそれぞれ自分の信念を持っていて、「私」という自分自身の信念とは違うかも知れません。しかし、人それぞれに、違った信念があることに対し、私は拒否するのではなく、柔軟に考え、他人の考えも受け入れ尊重しますし、また、あるいは自分の考えを訂正し、さらに深く考えるきっかけになったりします。 ですから、22azqq22さんの人生に無駄などありません。信念が年を取るにつれ変化したかもしれませんが、22azqq22さん自体の存在が、コミュニケーションの中で他人に影響を与えたことは確実と私は考えます。 そのような意味で、私は、ひきこもりという現代における人達を危惧してます。 先の小学生男子の殺害事件を見ても、容疑者はひきこもりであり、多くの他人と接して、コミュニケーションの中で自分を感化する機会が乏しく、自分の考えが唯一正しいと思ってしまうのではないかと考えます。 もちろん現在ではインターネットというコミュニケション手段がありますが、おそらく仲間内の極端な考えの交わりとか、秋葉原の殺傷事件で死刑が確定した人のように、ネットからも自分が排除されたということから、私にとっては全くわけのわからない、連続殺傷事件を起こす。 昔の日本は大家族で、例えばおじいさんやおばあさんから昔話を聞いて、口伝により人間どうあるべきかを伝達する手段があった。もちろん女性は嫁姑などは苦労したと思いますが。 しかし、現代は核家族であり、両親が働かないと子供の教育すらできない格差社会で、多くの子供が鍵っ子です。子供の教育のすべてを学校の先生に任せ、問題があったら不服をいうモンスターペアレントなどという、非常識な親もいる。親からすら教育ができない子供が何から学ぶからいうとゲームやネットでしょう。 私が思うコミュニケーションの希薄が招く現在の日本社会の闇を回答します。 無駄のない人生を送った22azqq22さんの時代から、どのように現在の日本が映るか、お礼にて回答いただければ幸いです。
お礼
再度のご回答ありがとうございました。 「22azqq22さんの時代から、」……???私の時代は、まだ終わったとは思っていませんし、終末が近くなっているのかも知れませんが、むしろ人生を謳歌できるのはこれからだと思っています。(*^_^*)(*^_^*) 「どのように現在の日本が映るか」……と問われましても、論じる観点は、政治、経済、社会、教育などなど、それこそこのサイトのカテゴリー数以上の観点がありますし、そもそもそんな大それた事を論じることが出来る人間ではありませんのであしからず。ただ、一言述べさせていただくと当たり前のことですが、私たち「団塊の世代の生き方、考え方」が現在の日本の世相に与えた影響は大きいと考えています。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 >「変だろ。 楽しんでるよ。」 希有ですか。
お礼
こんばんは。 おはようございます。ご回答ありがとうございました。 >「変だろ。」……おっしゃるとおり、「変」ですね。 「楽しんでるよ。」……楽しめるということは良いことですし、特別「変」ではありません。 「希有ですか。」……???……何が「希有」なのですか?
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
何事においても、仏陀の悟りで理解することにしています。その結果には原因があると言う因果と言う真理です。 人生も結果で理解することです。その結果が無駄であったなら行なってきたことが無駄であったのです。全てが無駄ではなかったと思えるならば、どのようなことが無駄であったのかの原因を考えることです。 今、行なっていることが無駄であるかどうかを見極めることはなかなか困難なことです。しかし、それが出来る人は結果から見て無駄のない人生を生きることができるはずです。 『人生における「無駄」』とはその時には分らないが、後から分るものなのです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 仏陀の深い教えは理解できませんが、「因果」ということは、「人生の無駄」だとかに関係なく、大変参考になるお言葉でした。ありがとうございます。 「今、行なっていることが無駄であるかどうかを見極めることはなかなか困難なことです。」……私もそう思います。だからこそ悩んでしまう、迷ってしまうのでしょうね。しかし「なかなか困難なこと」ということは、「できる人もいる」ということですよね?それまでの悟りを開けなかった人がバカだということでしょうか? それとも、『人生における「無駄」』とはその時には分らないが、後から分るものなのでしょうか? いずれにしても、ほとんどの人間が、ほとんどバカだということで、少し安心しました。
- mstk2
- ベストアンサー率26% (157/588)
自分のしたくないことに時間を使うことが無駄でしょう。 ゲームをしたってよいのです。それが自分の人生において本当にやりたいことであるならば。 自分の好きなゲームをやってやってやり倒して、そのうち金もなくなって部屋を追い出されて、橋の下の段ボールハウスにすら入れず河川敷で野たれ死んだとしても、死の際までセガサターンのコントローラをがっしと両手で握りしめて離さなかったとしたら、ああこの人は幸せな人生を送ったなと(私なら)思いますけどね。 逆に、若い頃からばりばり頑張って出世して、58で社長になって60で定年退職してその2年後に過労で死んだりしたら、ましてや貯めに貯めた10億の資産もあの世へ持っていけないとしたら、その人生ほんとに楽しかったの?(無駄じゃないの)と私なら思うかな。むろんその人にとって、たった2年社長やって死ぬために自分は生まれてきたんだと心の底から思うなら、ああそれもまた幸せな人生であって、よろしんじゃないですかと賞賛したくなります。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「自分のしたくないことに時間を使うことが無駄でしょう。」……名言だと思います。 ただ、普通の人は、生きるために……生き方の問題は別にしても……、「自分のしたくないこと」にも、時間を使わなければなりません。三島由紀夫だったと思いますが、「人間、持って生まれたもので生きていけるのは、貴族と芸術家だけだ。」と。それなのに、さらに、自由になる時間を「無駄な時間」にして過ごしているのではないか?という疑問からの質問です。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>人生における「無駄」』とは、どんなことだ 永遠の生命などいう無駄な考えに取りつかれ、新興宗教やキリスト教などという無駄な宗教に振り回され、新興宗教やキリスト教の会員勧誘などという無駄な活動に血道をあげることかな。 無駄かどうかと同時に、迷惑かどうかも良く考えていただきたいですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「無駄」ということを具体的に挙げていただきましてありがとうございます。私も「迷惑」までも被ったことはありませんが、てんてん。 しかし、Mokuzo100nenn さんのご回答について考えてみたのですが、「人生の無駄」といっても、人それぞれなような気がしました。しかも「迷惑」も顧みず。むしろ、例に挙げておられる人たちにとっては、それが「人生の無駄」どころか、「人生そのもの」なのかも知れません。 何か、万人共通の「人生の無駄」と言えるものはないのですかねぇ。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
krya1998 です。 無駄の類義として、余裕とかあそびってありますね。 徒然草だったかな、橋の幅は足の幅で結構ということを論考してましたね。 それ以上は無駄だということを批判して。 そして人生にはこういうゆとりや遊びがないことはないですよね。 いいたいことは無駄は大事だということです。 高校の時(60数年前です)に高踏的哲学に意味性をおかない。民衆の生きる哲学をやるんだ、という友人に出会いました。 そして放浪遍歴を重ねている。50数年前、男の子が誕生したという。名前を遊雲とつけた。彼は空の行雲を眺めていて浮かんだだそうだが、この語自体は中国の書家の運筆を鑑賞して用いられた語でもあるそうですね。 つまり、遊雲驚竜。 遊学とか、遊行聖者とか、遊び人とか、遊芸とか。この遊は味わいがありますね。 書や絵画ではどんな空白があるかが大事ですよね。音楽でもなんでも間合いが。 そんなもんで、余白や遊び、無駄は大事だなぁと思っていますがなかなか達人にはなれませんね。
お礼
再度のご回答ありがとうございました。恐縮です。 「橋の幅は足の幅で結構」……おもしろいですね。「徒然草」ですか。忙しい現代人にはなかなか理解しがたいと思いますが。 「無駄は大事だということです。」……(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)安心しました。そして、凡人らしく、また、「無駄の達人」らしく、まだまだ「無駄」を重ねながら、生きることに決めました。 行き詰まったら、また、「人生の無駄」という質問をします。その時はよろしく。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
一見考えさせる提題ですね。 無駄の対義は有意義とか意味性ですか? いずれにしろ何らかの価値理念から評価判断しての観方ですよね。 その価値理念から外れているかどうか。 そして人の営為はその目指すことや価値理念性が変わったり、発展展開したりしますね。 どんな人のどんな営為といえども、その時その時に選択や判断をしているんではないですか? つまり何らかの価値性からの選択ですよね。 そうして行為選択した結果をある時期に無駄な行為だったとか、思うんでしょうね。 私自身は77を越えてはいるが老い先は短くはありません。有意義に価値を追求しております。 22azqq22 さんが老い先がもう短いのかどうか知りませんが、有意義に生きたいとか思っておられるのですか? そうだとすれば、質問みたいな観念的に無駄な人生とはなんたるや?などと思索することなく、自己なりに自己の真理と自己実在を追及して行為の選択をしていくんではないですか? 換言すれば、つまり質問への解答はそのようにしない人生が無駄なくだらない人生ですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「無駄の対義は有意義とか意味性ですか?」……近いかも知れませんが、それ程深く考えた質問ではありません。たまたま、パソコンでゲームをしていて、負けた悔し紛れに、こんなことしていて、「人生の無駄」ではないかという、極めて低レベルな考えに基づく質問でした。m(_ _)m 「つまり何らかの価値性からの選択ですよね。」……そうでしょうか?人間、生きている以上、何らかの行動をしているわけですが、そのすべてに「価値性からの選択」というのが意識されているでしょうか?価値性なり、目的が意識されている行動には、「無駄」というものはないとは思いますが、人間の行動のすべてが説明できるとは思えないのですよね。だから、ついつい、「人生における無駄」なんてくだらない質問をしてみたのだと思います。 「そのようにしない人生が無駄なくだらない人生ですね。」……その通りだと思います。そして、そのようにできないのも大部分の人生だと思います。
- amenhotep2000
- ベストアンサー率31% (72/227)
22azqq22さん おはようございます。 私は、人生を真剣に生きていたら、無駄ということもなく、無駄と現在思っていることがらも、後々になって「有益」になるのではと思ってます。 私は生物学の研究をしてましたが、論文をだしてなんぼの世界で、論文を出したNo.1の人が勝ちでNo.2の人はビリと同じと言う世界でした。 ですから、一般の人達が見ると、STAP 細胞事件は、科学界に対する非難にしか見えないと思いますが、実際、そのような世界に携わった私から見ると、過激な競争社会である科学界における勇み足と思います。 そのような世界で私はどのような生活を送っていたかというと、まず最新の論文のチェックをしなければならない。しかし、論文をだしてなんぼですから、データーの考察からみると明らかに疑問という、くずの様な英語論文も読みことになる。 しかし、その論文の参考文献を見ると、その論文の考えの元になった、論文に出会う。そしてまたその論文の参考文献を読む。 しかし、論文を読むだけでなく、実験もしなければならない。実験が長引き、夕食は家で食べようと思っていたら、帰宅は終電で午前様。飯をたべるか、寝るかの究極の選択をしなければならず、私は寝る方を選択してました。 しかし、時間の浪費と思われた、あまり価値がないと思われる英語の論文をたくさん読んだことで、現在、本を読もうとすると、本の急所がわかり、速読が出来るようになり、また、本の質もわかるようになりました。 よく、この哲学カテで、哲学の勉強するにはどのようにすればいいのですかという質問に対し、本を1000冊読みなさいなどと、素人がその回答を見ると、無理な条件の回答と思うことがあるようにありまあすが、上述したスキルをつけるためには、たくさん本を読むのは大事と思います。 ですから、若かりし頃「無駄な時間の浪費」と思っていたことも年をとれば「有益」になる。 私は、図書館の書庫の資料をコピーするため、お金であるお札という「紙」をコピーという「紙」にして、お勉強してます。しかし、本は人の心を豊かにする。人はお金でなく心と思います。 これが私の人生哲学です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「人生を真剣に生きていたら、無駄ということもなく、」……共感できます。そもそも、一生懸命生きていたら、「人生の無駄」なんて考えませんよね。少し反省します。 「後々になって「有益」になる」……そのように感じる「心」が大切だと感じました。 「一般の人達が見ると、STAP 細胞事件は、科学界に対する非難にしか見えないと思いますが、実際、そのような世界に携わった私から見ると、過激な競争社会である科学界における勇み足と思います。」……私は、「生物学の研究」には関係ありませんが、少なくとも、私には、「科学界に対する非難」という気持ちはありませんでした。また、「過激な競争社会」というのは、科学会に限ったものではないと思います。「勇み足」という表現が適切かどうか分かりませんが、「科学の基本」、あるいは「論理の基本」を踏み外してしまったのでしょうね。事件そのものよりも、その背景が大切だと思いました。 科学者の世界のことは分かりませんが、「論文を書く」ことと「論文を読みこなす」ことは最低こなさなければならない仕事ですよね。一時期話題となった、癌に関する「近藤理論」を世に出した近藤医師も、ものすごい数の論文を読んだと、その著書に記述しています。良い、悪いは別にして、その辺が、「普通の医師」と異なるところだと思います。 若かりし頃「無駄な時間の浪費」と思っていたことも年をとれば「有益」になる。……かも知れません。しかし、「後悔先に立たず」です。私のように、若かりし頃に有意義なこともせずに、やり直しがきかない高齢者になってしまうと、ついつい「人生の無駄」みたいなつまらないことを考えてしまうのです。 人生哲学を教えていただいてありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございました。 確かに「変」です。そもそも無の境地に至ったようなお方が回答するような高尚な質問ではありません。