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「テロに屈しない」 テロリストと話もしない、会話も
「テロに屈しない」というのは、テロリストのいう通りにしないと同時に テロリストと話もしない、会話もしない、という意味でしょうか?
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そういう単純な問題ではない。 例えば、米英のように「交渉しない。話し合いもしない」 という対応も一つの方法です。 ですが、米英は、軍事力で、テロを攻撃する手段を 持っており、実際、そうしています。 人質を殺せば、空爆すると逆に脅しているようなものです。 無言の交渉をしているともとれる。 だが、そのような手段を持たない国が、 何もできず、人質を殺されてしまった場合、 逆に、「何もできなかった」「テロに好き勝手にされた」 という意味で、テロに屈したという解釈も成り立ちます。 また、殺すと脅されていた人質を無事に取り戻すことができたら、 取り戻せたということで、 テロに屈しなかった、という解釈も成り立ちます。 例えば、後日、犯人を逮捕または殺害できれば、 テロに屈しなかったという思いも強くなると予想されます。 また、途中経過がどうであろうと、 最後まで、テロに反対して、テロを撲滅できれば、 最終的には、「テロに屈しなかった」と解釈することも 可能です。 なので、単純に言うことができない問題だと思います。
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- kamobedanjoh
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外交には表の顔と裏の顔があるようです。 「テロに屈しない」というのは、「テロリストの蛮行を怖れて自国の政策を変更することは無い。テロ集団に利益を供与しない」と言う、国連でも確認されているテロ対策です。 人質被害各国は、その前提で、ルートを探っては人質解放の努力をしています。それが裏の顔でしょう。 「毛沢東主義」を掲げる「革命主義集団」と政府軍との間で、長い間内戦状態に有ったフィリピンとネパールでは、この数年の間に和解が成立、内戦状態を終結させました。 元、ユーゴスラビアの地域では、民族対立の激化で凄絶な戦争が起こりましたが、今では対立を乗り越えて安定を取り戻し和解しています。アフリカ南東部でも民族的殺し合いが有りましたが、国連の仲介などもあって和解が成功しました。 どんなに憎み合い殺し合っていても、最後には交渉によって停戦に至り、停戦後は和解と親善関係の構築が図られます。アメリカの南北戦争も北軍の勝利によって決着はしましたが、南北意識は長らく残りました。 平和的解決の手段を追求することは、人類的責務です。そこに「交渉」は不可欠なのでは?
建前上テロリストと交渉したとは言えないだろうけど、本当に何もしてなさそうな所が現政権の怖い所じゃね。(´・ω・`)
- simonmagus
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「テロに屈しない」その言葉に何故テロリストと話もしない、会話 もしないという意味を勝手に付加せにゃならんの? 一方的な要求と通告、期限を切ったりと対話を拒否してるのは誰が 見てもテロリスト側だろ。相手は法治国家ではなくただの武装犯罪者 集団で、要求はレバノンで拘束中のリシャウィ死刑囚との人質交換だ。 日本政府が他国の死刑囚についてテロリストと直接交渉なんか出来ない。 それともレバノン政府にリシャウィ死刑囚の解放をしてくれと頼めとで も言うのかい? むしろ必要なのは今後また同様の人質事件が起きた際には自衛隊の救出 部隊が現地で行動可能になるように法案と憲法の改正。 いつまで己が両腕を縛ったまま武装した敵に対応せよと言うのか。
- matsu_kiyo
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仮に交渉しようとした、ということが明るみに出たとして、対話のテーブルについた、という既成事実が、独り歩きする可能性があるからです。 と・く・に、いま「アベガー」を連呼している、国内にいるレフティな人たちにとっては、今度は「安易に話に乗っかった」などと言い募ることが見え見えだからです。 相手にしなければ、そういう悪口や痛くない腹を探られることもありません。「相手にしないのが悪い」と言ってくるそのことがおかしいと大半の人は正しく認識しているわけであり、これからも「なんか言ってるなー、聞いてやれなくてごめんね(ソッポ)」でいいと思います。
お礼
ありがとうございました。