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モダンと、ポスト・モダンの観念・思念は何なのでしょうか
- モダンからポスト・モダンへの考え方の変化や区別について調べました。
- 近代に入り、過去を見直し思念を組み立て直すことが可能になったと言われています。
- モダンは普遍的なものを抽出し、ポスト・モダンは多様な社会に戻すことが意図されています。
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大筋で、そうだと思います。 美術のジャンルの質問なのでおそらく建築のポストモダンを念頭に置いているのだと思いますが、ポストとはモダニズム以降・以後という意味でしょう。 建築のモダニズムは簡単に言えば民族的な意匠・伝統的な装飾とかに頼らないで、美しいプロポーションとか形態そのものの根源的でより普遍的な美しさに還元して考えようという考え方だと思います。 例えば建築を幾何形態やシンプルな色による構成で考えます。→デ・スティル 合理主義的な考えで、機能美という考え方も特徴的です。 民族・民俗的な装飾は無しで良いわけで、美にも共通の法則性やその応用があると考えますから国際的にも開かれた根源的な大きなひとつの基準で美の追求が可能であると考えます。→インターナショナルスタイル こういう考え方はいかにゴテゴテとゴージャスな装飾をするかということにとらわれていたそれまでの建築に対しては根本的に変革を迫る考え方であったわけです。 また民衆のなんでもない合理主義的な住宅であっても美はありえてそれは世界的に共通の言語でありうるという考え方は今でこそ当たり前ですけれど当時は画期的であったと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B0 しかしそういうデザインを可能にした科学技術の進歩や経済のグローバリズム化は、機能美ではなくて機能(第一)主義・合理主義、無機質で世界中どこへ行っても似たようなスタイルへとモダニズムを変質させた。 それに対する反発や否定であると考えられるのではないでしょうか。 http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 ↑このライターはポストモダンを時代区分ではなくて「モダニズムに対する緊張関係として成り立つ概念」だとしてますが私は賛成です。* 「もう一度多様な社会に戻す」とありますが、元に戻すんではなくてその対立的な物を発展的に統合すると言った方が良いのではないでしょうか。 以上自説に過ぎない部分もありますがご容赦下さい。 ブルーノタウトなどは表現主義→モダニズムというコースをたどった建築家ですが、日本の合掌造りに感動して文章を残している。これはモダニズムが民俗や地域的な自然との調和に対して対立的ではなくてむしろ普遍的な物をそこから抽出しようと考えていたと言えるのでは。 *モダニズム抜きで「今はポストモダンの時代」という風に考えてしまってバブル時代にいろいろ愚作が作られたように思います。
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- Tann3
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モダン、ポストモダンは、分野によっていろいろな使い方をされています。ご質問は「美術」に関するものでしょうか。 >ポスト<後期>モダンはモダンからどういった考え方を境に<後期>とされたのでしょうか ポストモダンを「後期モダン」と考えるから分かりにくいのだと思います。「ポストモダン」は「前期」「後期」といった質の変化ではなく、「モダンの次」と考えるべきで、「モダン」を否定する、あるいは立場・立ち位置を替えるところから始まるものです。 特定の流派・傾向を指すものではなく、その時代の主流=モダンに対して、新しく革新的に提起された次世代の風潮全般を指すと考えるべきでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3 http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 http://arai-neutralspace.com/monograph_H16-1.html http://10plus1.jp/hen_muse/text_9.html
お礼
ご解答、ありがとございました。(お礼遅くなりました。)
補足
勿論、時代はそのような「否定」から(ザックリ言って)変化・転換あるいは進化・模倣・後退(なんでもありだけど)するのでしょう。時代は常に先端を行くものですから。(「後期」って言うのは間違ってました。でも頭では理解してましたよ!*ご指摘ありがとう)。時代は常に革新的であるけれど、後に「この時代はこうこう、こうだったんだな」と名付けられます。今の時代はどう名付けられるのか・どう位置付けられるのかな。と考えたときに、モダン近代以降「位置付けそのものの問題」に着手しているのではないかと思いました。そうしたときに「モダン」と「ポスト・モダン」は対立、否定の関係ではなく同じ編成を(どんな事柄も結果そうなるのかもしれませんが)辿るものだと思ったんですね。(あくまで意図としては大学のレポートを出すに当たっての質問でした。)あと、リンク先すべて目を通しました(まだざっとだけれど)。ありがうございます。 そうそう(忘れてた)「美術」の観点でした。
お礼
回答を締め切りますので、補足に書いたので簡単になりますが、お礼。ありがとうございました。
補足
No2のかたに一気に捕捉をいれたので、もし宜しければ覗いてください。 *ブルーノタウトなどは・・・これはモダニズムが民俗や地域的な自然との調和に 対して対立的ではなくてむしろ普遍的な物をそこから抽出しようと考えていたと言えるので は。 そのように思います。「ポスト・モダン」と共に「地域性」「ローカリティ」という語が引っ張り出されるようになりましたが、「地域<性>」という「ひとつの個体の性質の一部」に必然的に置きかえられることによって意図的であろうとなかろうと「単一社会」が全面にでる仕組みにあるのだと思います。 *モダニズム抜きで「今はポストモダンの時代」という風に考えてしまってバブル時代にい ろいろ愚作が作られたように思います。 ゆっくりと落ち着きつつはあるでしょうね。次はどういったものが出るのか・楽しみです。 読んでいて楽しかったです。自説も、ありがとうございました。