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ふりだしからまた始めればいい

派遣社員。 正社員になろうとしても収入が下がる求人しかない。 現状は全くよくならず来年で38歳になる。 毎日が暗くなる一方。 どうしたらええじゃろか 仕事も私生活も詰んどるが。 誰にも相談できずこんなとこで質問する日々。 むかし同じ職場でよく会話してた奴が難儀やって 5年も貧乏して自力で開業したのに数か月で廃業して 先月自殺したらしい。あのおっさんも天涯孤独だった もうコツコツやるのでは人生の持ち時間が足りひんから 一発逆転できる仕事はないんけ?

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  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.1

同じ様な状態ですが、私のほうが結構年上です。 また私の知り合いも、私より結構年上ですが、同じ状態です。 そうなって始めて救いがあると思います。 そのあたりでどんな感じになるかお話します。 少し神秘的ですが、本当であると信じている話をしますね。 理屈で考えれば当たり前なんですが、実生活の中では感じることが少ない話です。 昔盲腸で手術をしたことがあるんですが、 その直前を思い出して一言で言えば、 「こりゃもう死ぬ」 でした。 他にも神経症やったことがりますが、 そのときも、 「こりゃ明日は生きてない」 でした。 物音がしただけで、 心臓の鼓動が乱れ、すーっと意識が遠くなるのは本当に怖かった。 安静にしても回復するのではなく、その分消耗する。 あの恐怖は、他の人には伝えられないものでした。 そのとき思ったのは、銀行口座にある数万円。 どんなに所得があっても、これを使わずして死のが悔しかったですね。 まさかそんな事を心残りにするとはそれまでは全く思いませんでした。 そのときは、家族がたてた物音に驚き、 それだけで何度か死にそうに成りました。 苦情を言っても理解されません。 「俺はこのまま家族がたてる物音で死ぬのか」 とか本気で思いました。 これを、必死に落ち着かせて凌ぎきったんですが・・・ そのあとは、貯金と言う発想をしないように心がけました。 将来に向けての貯蓄と言うのは、将来が無限に続く人のすることだろう。 明日死んでるかもしれない。 そう思ったとき、適正な貯蓄額と言うのが、私の場合は数万円以下でした。 健康であるとき、どんなに強気で自分を大きく見せても、 実際はそんなものなのだと心底思ったのです。 自分が明日生きていない。 そう本当に受け入れたとき、 その様な小さな後悔をするとは誰も気がついていないでしょう。 回復した今思うのは、 どんなに今を悲観しても、 「死ぬ間際は、あんな感じがするはず」 ということ。 そこからの感覚的な距離感で考えたとき、 「多分明日は、何だかんだと生きているはずである」 ということです。 こうした死の間際(と思い込んでいる)ときの感覚は忘れてはいけないと 痛感しています。 私たちが悲観している内容は、全くそのとき出てきません。 次は自分じゃない他人(別の肉体と言う意味かな?)。 家族の話です。 東日本大震災災の日に父が脳内出血で倒れました。 震源地とは相当の距離がありました。 電話で安否を確認した直後でした。 回復したのは幸いしましたが、そのあとも病状が思わしくない。 数ヶ月たって危篤になったんです。 そのとき病院で顔を合わせて思ったのは、 「ああ、これは助からない」 ということ。 それでも何でしょう? 何とかなるような気がしたんです。 一計を案じて、 「おじいさんは幾つまで生きたんだっけ?」 と聞いてみました。 すると、突然意識がはっきりして、血圧も戻りました。 私の父は、 自分の父母が幾つまで生きたのか懸命に思い出して話し出しました。 このとき感じたのは、 「ああ、これは助かって回復するだろう」 でした。 しかし、部屋の温度が少しでもあがれば、調子を崩して死ぬだろうと 思いました。 家族に部屋の温度を低めに保つようにと言ったのを覚えています。 「どうでも良いことが人の死線を左右する」 そんなときが本当にあります。 理屈で考えれば当たり前です。 しかし、その前後。 その定めの移り変わりを見ることが大事に思えるんです。 私は思うのですが、全ての人は平等にこうした生死のラインを持っています。 これを見定めずして、他のラインを見てはいけないと思うのです。 この死線というのは、自分でアレ他人でアレ、 (中々説明が難しいのですが)、実際に出会うと、想像よりも悪くありません。 勿論、運命的にどうにもならない場合は、死線として見えません。 どちらに転ぶか分からないケースがあり、このとき鮮明に見えるのです。 本当に、あり得ない、不思議な感覚です。 どんなに栄達しても、どんなに貧困で苦しもうと、 この不思議な感覚の前には、新鮮さのすべてが失われると思います。 あとで思ったこと。 父は自分の死線を見たのだと思います。 そのあと話してみて確信しました。 やはり、そうのようなニュアンスを語っていました。 しかし、一緒に居合わせた姉は見ていないと思えるのです。 おそらく見逃したのです。 身内に降りかかった不幸を哀しんで、忙しかったからです。 もしかしたら分かっていて、黙っているのかも知れませんが。 世の中の常識で測れば、どうでも良いことかもしれません。 しかし生きているうちに、これまで出来なかった体験をするという意味では、 これに勝る体験は無いと思えるのです。 これを見逃すというのは、何というか、勿体無いと思いました。 大変不謹慎な話です。 ですが、自分の場合も含めて思ったより悪くは無いのです。 そんな感じがすることの説明が全く出来ないのですけど。 人にとって一番大変なことです。 しかし、将来を悲観して苦しむ方がもっと気分が悪く、 良いものではないと思えます。 おなかいっぱい食べて、ごろんと横になっているとき。 「これが続けられるのなら、これと引き換えに出来る何があるのか?」 と、暇つぶしに考えることにしています。 同時に、預金が全く無いことを思い出して安心しています。 可能な限り減らしておこう。何時も思っています。 別のとき、 質問者さんと同じ様なことを相談されたことがあります。 何かしら逆転できる知恵をもってそうだと期待されたことがあります。 そのときに逆に問うてみました。 成功し、栄達し、人に認められるようになったとき、 あなたが朝起きる時間は何時だろう? 朝眠いときに、やはり起きなければならないとして、 今と大きく違うのか? 日々の時間を区切ってみなさい。 起床時間、朝食、午前の仕事。途中にある用足し。昼食。午後の仕事。 夕食、入浴、睡眠。 これらには必ず一定の時間が必要であり、 これが殆どを占めている中で、何か大きく変わることはあるのか? 借金まみれでも、兆円の資産を抱えていても、実際はこうした生活のリズム が大半を占めており、差異を感じられる部分が全くないのだということです。 そうした質問をしたとき、 真っ先に出るのが朝ゆっくり寝たい。 そればかりだと落ち込むので、少しは遣り甲斐のある何かをしたい。 その上で、暇つぶし程度に人と話したい。 こんなところに落ち着いてしまいます。 だとしたら、将来の逆転よりも、これらのどれかが不足しているだけなのでは ないでしょうか。 これらの足りない部分は、面倒を少し我慢すれば、一つ一つ補えます。 そして、 いずれは年を取り、もしくは何らかのアクシデントにより、 自分もしくは人の死線と出会うのです。 これらは誰に対しても平等であり、 また、これの特異な神秘感覚は、意識して見つめれば誰でも体験できます。 落ち着いて考えれば、どんな人間でも実際に得ている肉体感覚は同じなのです。 差異があるとすれば、如何にして自分を悲観できるかと言う話だけでしょう。 勿論、私の父のように、イキギタナク、そして慎重にどこまでも寿命を延ばす努力は 必要でしょう。 富と名声は永遠の命を保障するわけではありません。 近い将来、これらが全く関係なくなります。 心残りがあるとすれば、まだ見ぬもの、まだ知らぬ経験が多いと言う事。 しかし、何らかの形で(海外旅行とか)、そうした体験を補完できます。 それくらいはやってみるかとすればいい。 そして、 おなかいっぱい食べて寝転んでいるとき、 これに勝る快感がどこにあるのかを考えて見ましょう。 それ以上の何かがあるのならば、やっておくことです。 人は最後一人で死にます。 これは経験からですが、 自分が死のうとしている瞬間、他の人はこの後も続く生活について悩んでいます。 これが分かったとき。このときの寂しさといったらありません。 しかし、 これが意外と悪くないのです。 正確に言うと、寂しさの後、妙なファイトが沸いてきます。 これが何とも言えず素晴らしい。 もちろんそのまま逝ってしまっていれば、この話ができなかったんですが。 人を哀れんで感じる感覚と、当事者となって思うことは全く違います。 悲観するとは、想像で苦しむことです。 死線を感じるとき、この苦しみが止み、それまでの方が本当に苦しかったと 理解できます。 いつの間にか、冷静に色々と考えており、戦う自分に感心してしまいます。 そういうときしか得られないのかもしれません。 ですから、 誰かが死線にあるとき、これと同調することはとても大事だと思いました。 死線にある人は、同情も、建前も欲しがりません。 私たちは、 「ねばならない」 と考えすぎて疲れ過ぎています。 そうした自分から逃れ、 いずれ必ず来るものについて、待ち遠しいと思うのことが 本当のありかたなのではないかと思っています。 まともな話になりませんでしたが、 そうした苦しみもどうでも良くなる年齢があります。 そこまでは満腹感を楽しんで欲しいと思うのです。 以上、ご参考に成れば。

その他の回答 (2)

noname#202840
noname#202840
回答No.3

「ふりだしからまた始めればいい」 そこまで分かっていて、なぜ、 >>もうコツコツやるのでは人生の持ち時間が足りひんから >>一発逆転できる仕事はないんけ? となってしまうのでしょうか? 質問者様の「ふりだし」は、一体、何ですか?    人生、諦めてしまったら、そこで、お終いです。 とても、38歳の方の文章とは、思えません。  ボチボチ、死が迫ってきて、未練を語る老人の文章としか感じられません。 「ふりだし(動機)」が、間違っていませんか? 「方法(プロセス・道筋)」も、間違っていませんか?   本当に、「金(かね)」だけ、なんですか? ギャンブルは、必ず、負けます。(勝っても、なぜか負けの気分は、御存知かと)  「気が付いたら、いつの間にか、逆転していた」 (これが、王道かと思うのですが。違うのでしょうか)

  • marissa-r
  • ベストアンサー率21% (634/3008)
回答No.2

一発逆転…一攫千金 それは運だよねぇ♪ 例え収入が減ったとしても安定した収入と約束された日々を選んだ方が現実的では? 年を重ねる毎に待遇は悪くなるよ 何か資格は有るのかしら? 無いなら一発逆転を狙うより資格を取得する為に努力した方が有効だと私は思う 上手くやってる起業家は沢山いる 起業するのは簡単でも、それを維持するのは、ラクな事ではないよ 宮仕えの方がトータル的に見るとラクだよ

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