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複数人で統一された文体のドキュメントの作り方
複数人で手分けしてドキュメント制作をしていますが、個々人で文章の書き方にばらつきが出ます。 現状では一人のメンバが最終的に文体の統一を担っていますが「負担が統一役に集中してしまう」「統一役が変わった場合に体裁を維持できるか」などの問題点があります。 このため、掲題の件について書かれた書籍、ウェブサイトがありましたら紹介して頂けますでしょうか。 専門的なノウハウが必要であり、かつ、PMなどの管理者に求められるスキルと認識しています。
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- hue2011
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そんな本はありません。 私も書いていません。 理由は、読んだら誰でも共有できるわけでないことを出版なんかしたら、著者の意図と外れた解釈が独り歩きしたりし、偏見を受けるのがいやだからです。 この話は、実は品質という観点が大きいのです。そもそも品質であまりまともな書物がない。 私はPM歴は長いので、ここだけという前提でお話しましょう。 統一されていないというのをアモルファスなものと考えたら座礁します。観点はわずかです。 次の3点に着目します。重要なのはこの順です。 ・用語 ・構造 ・言い回し 用語ですが、小説や随筆を書く場合は、同じ用語が何度も出ることを抑止しますね。 私のこの回答自体もそういう神経で書いています。 しかし、報告書や論文、使用説明書や仕様書の場合、重要な用語は単一化することが求められます。 たとえば、同じ意味で「コンピュータ」「マシン」「制御主体」「処理装置」というのが1ページ内に同居したら問題だと思いませんか。 同じ意味なのであれば、全部を「コンピュータ」としたほうが明確になります。 たとえば大学で第二外国語としてドイツ語やフランス語のテキストを読もうとしたときを思い出しましょう。 辞書引きますね。 そのとき、これは何だろうと調べ、ああこういうことか、と納得したとします。 別の単語をひいたら同じ意味だったとき、どう感じましたか。 この二つはなにかニュアンス的に別のものなのか、と疑問になりませんでしたか。 辞書を替えて調べても全然明快にならなければそこから先がなかなか読めなくなりませんか。 このために、普通「用語集」を作ります。この書類の中に出ていい用語、を集めるのです。 もちろん文章ですから、説明のために使ういろいろなツナギ役の単語もあります。 ここで、こんなもんは軽いしいらん、と思う癖を捨てましょう。 価値を付加して判断した段階で、よくないというのはおわかりでしょうね。本来なにを目的としてこの質問があるかに戻ってください。 自分の判断で採用・落とす、を決断するようなことをしたら、人間が10人いたら10通りになります。 ここで文体は10通りになっているのです。 だから、名詞・固有名詞・意味が明快な動詞、は全部集めます。 そして単一化します。ここで内部会議を丁寧にしてください。 この製品に使う用語はこれとこれ、とするのです。この用語集は強力に引き継ぎ資料になります。 この用途には、「キーワード抽出ソフト」というのが役に立ちます。 用語集は、強力に文章の品質に寄与しますので、まず作っておき、申し送るというのが大事です。 次に構造、です。 「おじいさんとおばあさんがいました。ここに親しく通ってくるウサギがいて~~~タヌキは水におぼれてしまいました」 と説明する方法があって、これは次にどうなるのか、とひっぱりながら相手を話に引き入れ、結末にもっていくやりかたであり、間違ってはいません。 しかし、相手の興味を惹きつける感情コントロール法は思い切り個性が出るものです。 市原悦子さんが話したら、目のまえに生きたウサギの息遣いがわかるようで、となってしまうのです。 今回考えている書類は、これをやると書き手ごとに特色がでてしまう、ということになってまずいですね。 ものがいい悪いではなく品質が悪いと言います。素晴らしく味がいい、というのは品質がいいこととは違います。 砂漠の国で買っても北京で買っても、アラスカで買っても、ぴったり同じ味だからコカ・コーラは品質がいいのです。 市原さんだと心にしみるけど、ケーシー高峰が語ったらいんちきくさい、というのではその話は品質が悪いのです。 この観点おわかりですね。 さあカチカチ山をちゃんとした品質の文書にしたい。どうするか。 学術論文を書く場合はうるさく言われますから、学会発表など経験した人は体に身についている人が多い。 まず書くのはアブストラクトで、次に詳細であるという枠が必要です。 結論を先に書くのです。 「タヌキは川の中に沈み、死亡しました。どうしてこうなったかを報告します。 死亡に至る前に、タヌキは背中に背負った薪が燃え出し、死ぬ危険はすでにありました。 なぜこのようなことになったのか、述べるものです」 「タヌキの乗っていた船が泥で作られたものであり、浸水したあと溶けていったと考えられます。 タヌキは船が泥で作られたことを判断できなかったか。・・・・・」 というように続けます。 面白いかどうかはともかく、こういう言い方をされたら、安倍首相が言おうが、タモリが言おうが、同じ情報として伝わると思えませんか。 これを構造と考え、数種類のテンプレートにして共有します。 最後に言いまわし、ですけど、ちょっと考えてもらえばわかることがあります。 じっくり読んでチェックなどすれば、間違っていない限り大抵の文章は正しく見えます。 著者の世界にはまり込んでしまうのです。 一番問題になるのは、読んでいるそのものを自分も知っているということです。 知識を共有するもの同士だったら「あの、あれ」「あああれか」で通じますね。この危険があるのです。 わかりにくい文章であっても、理解している人が読むとすんなり流れていきます。それを知らない人に渡したら、相手は決して頭がいいとは思ってくれませんね。楽屋落ちです。 そこで、言い回しルールを作ります。 これは、全く知らないものでもチェックができ、そのチェック自体は極めて簡単なことです。 例を言いましょう。 私はこれをやっていますが、誰でもやらなければならないということもありません。いやであれば従う必要はありませんが、言いたい意図を組んで読んでください。 まず、1文は100文字を超えないものとする。 これは、錯綜しただらだらした文ができようがないと言うことになります。 ああなって、こうなって、という読点だらけで主語述語修飾語が混然一体となっている文章の読みにくさはないでしょう。 文字数で数えるのであれば、文章をワープロやエディタで作成するとき、横幅を100にしておけばいいのです。 折り返し改行が発生したら、不都合なんです。 次に、修飾語を禁止する。副修飾語はもっと強く禁止する。 「きれいに仕上がります」「不愉快な現象が発生します」「従来にない出来になります」 「絶対にしないでください」「きっとうまく行きます」 こういう表現はすべて禁止します。 定性的というより、感性的な話は、ものを明快に説明しているということにはなりませんから。 立場を唯一化すること。 実際には、書き手と読み手を明確にすること、です。 その文章は誰の役割で発しているか、です。 たとえばある機械のメーカーマニュアルとすれば、書き手はメーカーだと思う人がいますけど、それだとボケます。 書き手はその機械自体、あるいは機械を操作している人、でないと読めないでしょう。 だったら読み手は誰かです。 買ったお客さんだよ、とやっぱり考えなしでボケたことを言う人がいます。 こんなマニュアルを読む人というのは、この機械を操作する人以外の誰だとおもうのですか。 「スイッチを入れます」というのか 「スイッチが入りますと立ち上がります」というのではすでに視点が違うでしょう。 もし、最初の場合、つまり機械を操作する人の書き方を始めたら、全文章はその視点で書かれていないといけません。 そうでない、機械本体に人格があるような書き方をするなら、マニュアルは機械が自分のことを語っている整合性を必要とします。 何を言いたいかというと、仮に別のPCで作った名簿を読み込むような処理のとき、どう書くかがここで変わってくるのです。 機械が視点なら「挿入されたUSBメモリを読み込み、データベースに追加いたします。データベースから完了通知を受け取り、終了表示をします」となります。 オペレータが視点なら「USBメモリを差し込み、【読み込み終了】と表示されるのを待ちます」となるのですね。 特に能動態受動態を気をつけないといけないのです。 ネットが絡むと、アップロードとダウンロードの説明が混乱しているドキュメントをよく見ます。 文脈から意味は読み取れますが、文章の品質は悪いです。 この立場の話題の失敗例は、事故の説明のときよく起こります。 機械を主語として話しているのに「切断スイッチに触れたり電源を切ったりせず、サービスマンに電話してください」などと書いているのです。 これは、誰が誰に言っていることですか。突然サポート係だとかクレーム係が割り込んで話しています。 いままで機械とふたりで歩いてきた道に突然脈絡もなく悪魔が現れたように感じます。 あと、1文を3ブロックまでにする、その構成は5通りのうちどれか、などがありますが、紙面が足りなそうなのでここまで。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
おそらく、「一人のメンバが最終的に文体の統一を担」うのが、一般的な編集者の仕事だったり、ゴーストライターではないですが匿名で仕上げ作業をするバイトなどの人の出番なんです。 「書く内容やネタは決まっているから、あとは一人が書いたような文章にしてね、」というよくありそうな依頼です。 文章の書き方にばらつき、というのもいろいろな要素があります。 ですます調か、である調かは統一しましょう。あとは、あまりに長い文章を書かない(叙情的に綴ったり、詩のように切り過ぎない)、とか、段落は論理の切り替わるポイントでしか下げない(ブログのように一行ごとに空白にしない)などでしょうか。 まあ、「編者」という概念があるのは、こういうところも背景にあって、著者に並ぶだけの大仕事だから、ということですね。