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責任逃れをする人への対応について

責任をとるべき人が、自分の非を認めなかったり、責任逃れをしたりして、責任を取らない状態が長く続いてきた場合、 そういう状態を選択したり、行動してきたのは責任追及をしている側なんですか? ほかの誰(特に責任をとるべきなのにとらない人)のせいでもないのでしょうか? 責任追及するのは、被害者的な立場の人も多いはずです。そうしますと、善悪の逆転現象が起こって、被害者が悪いとなってしまいます。 これでいいんでしょうか?

みんなの回答

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8906)
回答No.3

>そういう状態を選択したり、行動してきたのは責任追及をしている側なんですか? いいえ、責任を求められている側の意向です。 決定的な証拠がないとかで追及が困難な状態にあるのではないでしょうか? >善悪の逆転現象が起こって、被害者が悪いとなってしまいます。 そんな事はありません。 責任逃れしている側が口八丁手八丁でなければ起こらない現象です。

  • kukekko
  • ベストアンサー率60% (9/15)
回答No.2

責任追及をしなければいけなくなった状況になった時点ですでに破たんしています。 その前の段階で、回避する選択肢を用意できなかったことが問題なのです。 感情に流された責任追及で、本来、一番重要であるはずの損害軽減対策が選択されないのが問題なのです。 福島の放射能汚染問題を外側から観察していると特にそう思います。「放射能汚染地域から、移住」して、新たな生活基盤を早く構築していくことが一番重要な解決策に思えるのです。ですが、責任追及をするために「そこにとどまり」、100年単位でかかるはずの汚染対策を加害者に要求しています。つまり、自分の人生を全て加害者を加害することに使っています。実際は、異なるのかもしれませんが、「マスコミはそのような演出をしている」ように感じます。そのため、被害者自身が、「安全で、健康な新たな生活基盤を早く構築」していくという、わかりやすい目的は、「加害者を加害する」目的よりも低くなってしまっているように思えます。 このような、状態になると、当事者以外は全く理解できません。「今できることを、できる範囲内で、最善を選択する」という、わかりやすい目標から、逸脱の幅が大きすぎるのです。結果、関係者以外の人たちからの距離が広がるのです。 「加害者を加害する」ことが目的となった時点で、周りの共感を求めてはいけません。「現状を改善する」「損害を軽減する」視点の優先順位が下がった時点で、関係者以外の人が理解できなくなることを覚えておきましょう。

maririn0313
質問者

補足

被害者が「加害者を加害」しなくても、逃げてしまう加害者はいますよね。

noname#206141
noname#206141
回答No.1

何に対しての『責任』でしょうか? それを明確にして頂かなければ、話になりません。 後『○○するべき』や『責任を取るべき』の『べき』は、決め付けの言葉です。 決め付けてばかりでは、真実は見えて来ません。

maririn0313
質問者

補足

>何に対しての『責任』でしょうか? およそ、社会で生きていくうえで、発生する責任です。 抽象的ですみませんが、いろんな事象の責任に共通するものはあると思います。 >後『○○するべき』や『責任を取るべき』の『べき』は、決め付けの言葉です。 決め付けとおっしゃいますが、社会には、一定程度の幅があるにしろ、常識という基準があります。 法律問題でしたら、法律や判例があります。 それらをルールにして、社会は営まれています。 したがって、ほとんどの問題には、正しい答えがあります。 上記基準による 『べき』です。

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