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戦国武将の給料日はいつだったの?
まぁ大名家とかで違いはあったと思いますが 給料日は大体いつぐらいだったのでしょうか? 論功行賞は戦における手柄に対する褒美の授与で 給料日とは違いますね 当時の給料は=石高、つまり米による支給です 例えば 織田信長だと 領民が年貢米を信長に収める→それを禄高に応じて足軽や下級の武士に支給していたと思います 国持ちの家臣達もそれぞれ同じように行っていたでしょうし その支給は大体何日にしていた とか記録なんかはあるのでしょうか?
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戦国時代は扶持米(毎月?) https://kotobank.jp/word/%E6%89%B6%E6%8C%81-124992 江戸以降、制度化 扶持米・毎月支給 蔵米取り・年3回(2月に1/4、5月に1/4、10月に2/4) http://www.viva-edo.com/houroku.html http://komonjyo.net/chigyoudori.html http://homepage1.nifty.com/SEISYO/kyuryo.htm
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- kamobedanjoh
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回答No.1
武士の俸禄は年1回の年俸制でした。 秋の年貢取り立てが終わって、札差業者に配給させる制度。 当然、下級武士は喰い繋ぎが利かず、札差から前借りし、手内職などで補いました。 前借りにも利息が付きます。札差は俸禄米を質とする高利貸しでもありました。 俸禄米が札差に納入されるのは、当然秋遅くか師走に入ってから。 高級家臣達は、支配地を与えられていましたから、かなり状況が違いますが、自転車操業で借金まみれは、下級武士も大名も同じ。 行政と経済のあり方が懸け離れすぎたために、明治維新に繋がったとも云えます。
質問者
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