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少年犯罪を減らす為に何ができるでしょう?
厳し過ぎる躾けの苦痛から他の子供が八つ当たりされたり。 様々な虐待から自暴自棄な行動に至ったり。 再婚者から暴言暴行暴力を受け自暴自棄な行動に至ったり。 少年犯罪に限らず、犯罪の裏には人に対する憎しみが見える事が ちらほらある様に感じます。(自己愛が過剰な例もあるそうですが。) 少年犯罪を減らす為に個人として出来る事は何でしょうか? 社会として出来る事は何なのでしょうか?
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- StuGIII
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おそらく質問者の意にそぐわない回答だと思うが 少年犯罪の原因は、根本的に「人間の残虐性」にあり、 それはそもそも、少年に限らず、全て世代が持っているものだ。 とりわけ、少年(少女)世代特有のものでもないし 少年期は大人しくても、青年期から中年期、老年期に突然 攻撃的になる例もいくらでもある。 時代も関係ない。 戦国時代も江戸時代も昭和も現在も 犯罪を起こしたり、暴れたり、他人を攻撃する少年はいくらでも いた。 昔の猟奇的少年犯罪の話は、いくらでもネットに載ってるぞ。 地域性や宗教も、ほとんど関係ない。 理想国歌に挙げられる北欧やドイツでの少年犯罪を 調べてみるとよい。 日本って穏やかな国だなぁと思うよ。 精神疾患や脳の異常性も原因として見逃せない。 これが根本的な要因ならば、 家族とか、社会とかなんていう「ゴタク」は 全く意味をなさない。 http://www.youtube.com/watch?v=-_ADkcqVczw ようつべでやってるよ。かなり特殊な例ばかりだけど 少年犯罪の実態を把握するのには、非常に役立つと 思う。 >少年犯罪を減らす為に個人として出来る事は何でしょうか? あなた自身が、何故犯罪に走らなかったのか。 その理由を考え、それを自分の周囲にいる子供らに 示せばいいのでは。 >社会として出来る事は何なのでしょうか? 社会に期待するのは、大きな間違い。 社会は、 欲深い大人たちの思惑と 怠惰で無関心な大人たちと 一方的な正義をふりかざす大人たちによって 作られ、運営されている。 優しい、思慮深い大人たちの声はかぼそくて 届かないのが実情。 結局、文化と宗教だけなんだよ。個人の救済は。
- cherry77_
- ベストアンサー率23% (291/1261)
レスを頂いたので調子に乗って再度回答させて頂きます。 少年犯罪ではありませんが、↓のような事件も核家族が招いた悲劇だし、母親だけを厳しく糾弾するだけでは根本的解決にはならないと思います。偉そうに2児の母親を叩いている新聞記者だって、自分の親に介護が必要になったら、自分は親の介護から逃げんるんじゃないでしょうかね。それから、↓の質問を出した人も、アパートに住んでいるとして 隣の部屋で幼児のネグレクトに気づいてても 子供を助けるよりも 悲劇が起こるまで知らないふりをして、悲劇が起きてから母親を徹底的に叩くことを選ぶんじゃないでしょうかね。
お礼
核家族化 地域社会の希薄化。 子供が地域の大人から学び育つ面が乏しくて 主に母親だけに育児の答えの無い不安が圧し掛かる。 未経験の親に経験者の理解や助言も乏しく。 メンタルが不安定になる必然的な環境が増える。 それでも人を傷つける事を選ばず自分を殺す人も 年間27000人。(WHO基準なら+7.5万人でしょうか。) 社会が余裕を失い 問題が起きたら何も改善せず人の所為にして終わる。 お互いがそうなれば改善なんか起きませんよね。 ちゃんと利害を理解できる精神状態の母親から 子の10年後、20年後の社会適合力を育てるに適った 社会サービスでも提供できたなら、 そしてそれが実証されたなら、社会全体に浸透し 殆どの人はその意味を理解し、 社会の「常識」が変わる日も来るのかもしれませんが。 まぁ・・壁が多い話なんでしょうけれど。 うーむ。
- myrtille54
- ベストアンサー率23% (120/502)
単細胞人間は何でも厳罰化でうまくいくと思っていますが、違いますよね。人間の性悪説を信じながら、結局は性善説にすがるような、加虐的なお花畑思想です。 例えば、交通法規。飲酒運転も轢き逃げ運転も厳罰化が進みました。その結果、飲酒運転で事故を起こしても酔いが醒めてから出頭するというような、いわゆる「逃げ得」が増えてしまいました。 厳罰化は犯罪をなくす有効な手段の一つであっても目的ではありません。 医療に喩えると、効果もあるが、副作用も強い薬のようなものです。それで、その副作用を抑える為に別の薬を服用し、そして、その薬の副作用を鎮めるために更に他の薬も加えているうち、体はどんどん蝕まれていく・・・ 私が小学生の時、クラスの1人が教室や廊下などで嘔吐すると、嘔吐した生徒が「汚い」とか、少しいじめられたりしました。でも、今度は そのいじめに加わっていた生徒が嘔吐すると また同じようにいじめに遭っていました。 私は そのような軽いいじめの延長線上に 少年犯罪の一端を担っている部分があるのではないかとも思っております。 私は他人を思いやるやさしさが大事だと思います。私は東日本大震災を経験しましたが、 自分の命の危険を冒してまでも他人を助けようとした人も多かったでした。これは、助けなければ厳しいペナルティーが待っているからではありません。人としての「やさしさ」は 厳罰からは育ちません。むしろ、阻害することも多いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 厳罰化を軽々しく口走る。 自分にとって都合の良い事実だけ取り上げ、 自分にとって都合の悪い事実には言い訳を付ける。 副作用とちゃんと向き合わない。 幼児の様な大人が増えつつあるのでしょうか。 心配ですね。 核家族化、共働き、地域社会の希薄化。 愛情を十分に知らず育つと子の心は幼児のまま育たず、 知識が幼児の心で解釈され続ける。 恐ろしい事なのかもしれません。 命の危険を冒してまで他者を救おうとする気持ちも そう出来ない人、そうしなかった人を責める風潮になれば 苦しめられ生きた心地がしなくなれば 犯罪傾向へと偏らせもしかねず。 物事には本当にうんざりする程表裏が付きまといますね。 「やさしさ」がどこまでの深さ、人間理解に至るか。 「やさしさ」を知れる人どどう増やせるか。 そこがテーマなのかもしれませんね。
- Ksenia
- ベストアンサー率12% (2/16)
少年法を廃止したら、下のような案件も母親に賠償責任はなくなるんじゃないでしょうか。 でも、子供では支払能力がないので、子供が大きくなるころには被害者は死亡しているでしょうね。このサイトも案外幼稚な正義感を持った人が多いんですね。
お礼
親が子を犯罪に利用し使い捨てる事が可能になると 苦しむ子が増える事になって行きそうですよね。 ご回答ありがとうございました。
- cherry77_
- ベストアンサー率23% (291/1261)
核家族化をなくして、祖父母と暮らし、人の痛みや悲しい死を身近に感じる事。 育児を母親中心ではなく、温かく全員で行い、家庭に子供の頼どころを作る事。 理想論に過ぎず、介護も大変ですけどね。 人の死が漫画の中の出来事になっている気がしてなりません。
お礼
私も一度上2行の考えに行きました。 しかし複合家族は複合家族で問題も多く、 今や双方が快適な暮らしの維持の為に 複合家族を望みすらしないという事すらあり。 複合家族にあった恩恵を 別の形でこの社会に代わりになる何かを作れたら・・ と思う事もありますが答えが出ません。 義務教育環境下に、元気なお年寄りが多く身近に居れば、 子の幼さゆえの衝突や傷付け合い憎しみを抱く事を 静かに諭し、相手の立場、痛みを理解する手助けに なるのではないかと考えた事もありますが、 まぁ価値観も人其々ですし、 子への独占欲から暴走している親に否定されて 受け入れられないなんて事もありうるのでしょう。 何か良い手はないものですかね・・。 ご回答ありがとうございました。
- love_pet2
- ベストアンサー率21% (176/826)
犯罪を犯す少年は親にも大きな原因があります。子供を大人と同等に扱っても無責任な親や教師が増えて、結局悪循環です。
お礼
確かに。 自分の責任ではないからと無責任な親が増えれば 少年犯罪は減るどころか増えて行くでしょうね。 罰は根本的な解決ではないのですよね。 どうにか減らせる仕組みを作れないものか・・。 ご回答ありがとうございました。
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
模範となるべき大人になること、じゃないかな。
お礼
そうかもしれません。 しかし頭が硬い模範的な人は、 相手の立場や気持ちを考える常識が欠落し 自分が暴力を振るって居る自覚すらせず。 常識すら不毛な暴力の連鎖を生む。 模範とは形あるものなのか。 考えさせられます。 ご回答ありがとうございました。
- hideka0404
- ベストアンサー率16% (819/5105)
少年法廃止
お礼
ご回答ありがとうございました。 厳罰が更正機会を潰し再犯が治安を悪化させる事が 脳裏を過ぎります。
少年法の廃案
お礼
ご回答ありがとうございました。 厳罰が更正機会を潰し再犯が治安を悪化させる事が 脳裏を過ぎります。
お礼
根本的には人間も所詮自然界の延長線上に居るだけなのですよね。 その行動が結果として生存に繋がった個性が現存する。 同属の捕食。雄同士で致命的な怪我を負わせ合う。雌を殺す。 連れ後を殺す。子同士が餌(十分な成長)を求め殺しあう。 生物が育児をする様になったり、群れる様になってから 個々の利害関係から生存に繋がる個性が少し変わり続けた。 育児や群れる事を支える機能(心理)を支える仕組みが 別の副作用を示している様に見える面もある。 人間以外の動物を人間が飼育した場合に選択する行動の差を見ると 脳の機能異常(高次脳機能障害や重い統合失調など)を除けば、 経験が行動の選択を大きく変えている様に見受けられます。 日常的に深刻な暴力や生命の危険に晒され続けると 相応の反撃をし相手にリスクを感じさせる方が攻撃され難くなる。 攻撃される事が少ない暮らしが継続すると、 攻撃する事で相手が反撃し自分が攻撃を食らう事を回避した方が リスクが少なくなる。 人間に限らず自然界でもそうしたバランスが 常に変動しながら現在の状態が生まれている様に思えます。 私は経験というのが暴力的な行動を その個体(または個人)が選択するか否かを かなりの部分を占めているのではないかと思います。 昔の日本は親が子を殴るのなんて当たり前だった。 障害者をからかいいびる者、労働者を殴る者も多かった。 心の中でどう想っていようと表現せねば伝わらない事が多い。 受けた苦痛から自身の身を守る為に反撃するという防御反応。 それを誘発しやすかった社会の常識、人々の暮らしが 必然的にそれを誘発していたのではないか? と思えます。 南アフリカ、メキシコなど治安の悪かった地域で 横行していた暴力などからも私個人としてはそう感じます。 学習する動物は苦痛な経験をすると、 それと似た状況を避けたがる学習を起こし、 苦痛な経験を何度も何度も何度も繰り返し続けると 生きる時間の大半が避けたい苦痛を呼び起こす状況となり、 些細な変化ですら不安や苦痛となり、 自暴自棄な行動な行動を選んで排除しようとしたり、 崖から飛び降りるなど自ら死を選ぶ事もある様です。 確かに仰る通り、 人間にも残虐性が豊富にあるから 他の動物の住む場を奪い作物を作る事に躊躇が乏しく、 他の動物の死体を物の様に扱い食べる事もできる。 同属であろうと邪魔だと感じる経験が多ければ 殺してでも排除したい気持ちになる事も少なからずある。 しかし同属にそれを行えば相手は自分も奪われる脅威になる。 相互利益を損なう固体の緩やかな排除(淘汰)が現在進行中とも 表現できるのかもしれない。 この日本社会が世界から見れば、 人口密度の割りには犯罪が少ない状態を どんどん新しい世代が生まれ続けているのに維持できている一因は 犯罪という苦痛な記憶を植え付けて 身を守る為に攻撃的になる必要が乏しい状態を維持しているから ではないか? 攻撃される事から身を守る為に攻撃する必要が少ないという 経験の面が違いを生んでいるのではないか? と私個人は思うのです。 幼い子供の無垢な残虐性を その子の経験が補強してしまうか? その子の経験が選択を拒ませるか? 私の考えは現状そういった方向です。 私は人間はそう特別な動物とは思って居ないので 考えの元は自然界の容赦ない現実が多いですが、 その解釈は結構自分の都合の良い方向に向いていますし、 あくまで私個人の物の見方に過ぎないのですが。 まとまりの悪い長文返答失礼しました。